アキ・カウリスマキ

前に、「浮き雲」や「過去のない男」、「愛しのタチアナ」、「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」などを観て、独特の世界観にいたく感動した北欧・フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキ。日本の小津安二郎を敬愛してるというし、当然、俺の中では評価が高いのは言うまでもない。Amazonプライムで、彼の作品をいくつか観たのだ。

まずは、「マッチ工場の少女(The Match Factory Girl)」(1990年)。プロレタリアート3部作の一つという。いつもの女優さんが主演だけど、少女ぢゃねえなぁ。ユーモアはあるが、珍しく、救いようのないラストで“少女”が周りの人間を毒殺(?)して警察に捕まって終わり。

次も、プロレタリアート3部作の一つ、「真夜中の虹(Ariel)」(1990年)。失業したばかりの男は、自殺した父のクルマで旅に出るが、途中で強盗に全財産を奪われる。なんとか日雇いの仕事をゲットすると、仕事の帰りに子持ちの女と出会う。ある日、彼は金を奪った強盗と再会する…というカウリスマキらしいロードムービーだ。

そして、3部作のラスト、「パラダイスの夕暮れ(SHADOWS IN PARADAISE)」(1986年)。ゴミ収集車のドライバーの男は、行きつけのスーパーのレジの女に一目惚れ。男は女をデートに誘うが失態をやらかしてしまう。すったもんだあって、女はいきなり男のアパートにやって来る。男と女は一緒に暮らすことになるが…。なんとも不器用過ぎる男の恋の物語だ。

続いて、「街のあかり(Lights in the Dusk)」(2007年)。今度はフィンランド3部作のラスト作品。デパートで警備員を務める男が、ある魅力的な女と出会う。しかし、彼女はマフィアの情婦で、男を利用してデパートの宝石売場で強盗を働く。男は、女を庇って刑務所に入る…。孤独だった男が、女と出会い夢を見るが、利用されてドン底まで落ちる。しかし、立ち直る希望を忘れたわけじゃない。カウリスマキ監督が、底辺の人間を見つめる視線は優しい。

「コントラクト・キラー(I Hired a Contract Killer)」(1990年)。ロンドンで暮らすある孤独な男は、急に、長年勤めた職場を人員整理で解雇される。全てに絶望して自殺を図るが、ことごとく失敗する。男は、全財産を持ってマフィアのアジトを訪れて、自分自身の殺害を依頼する。しかし、パブで薔薇売りの女と出会って恋に落ち、生きる希望を取り戻す。追って来るマフィアの殺し屋から必死で逃げることになる。パブのシーンで、ジョー・ストラマーのミニライブが入る。

カウリスマキ監督の映画は、特にプロレタリアート、底辺の労働者階級の人間が主人公。いきなり職を失ったりして不幸に見舞われ、徹底的に踏みにじられて、社会の隅に追いやられて疎外される。

主人公とはいえ、決してイケメン、美女ってわけじゃなくて、どちらかというと地味で、カッコ悪くて、垢に塗れたブス・ブサイクが多い。

台詞は少なく、動きも少なく、場面で見せる手法で、時にユーモアに溢れる。歩く靴音やドアを開ける音など、やたらと雑音が強調される。ほとんどがロケーション撮影だ。

そして、ドン底に落ちた主人公が、徐々に人間性を回復して立ち直る過程を描くことが多い。その回復の過程に恋愛事情が入ったりする。

取り立ててスゴい演技をするじゃなしに、大げさに構えることなく、まさに等身大の人間そのものを描いており、これぞカウリスマキ監督なりの人間讃歌だと思うね。フィンランドの小津安といってもいいかな。

すでに監督業は引退したというのは本当だろうか。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。