「鏡子の家」

三島先生の長編小説。2回目読了。

「そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです」
「あなた方はみんな年をとるんだ。生身の筋肉なんて幻にすぎないんだ」
「なかには君のように、はじめから年寄りの憐れな男もいる。情けない弱虫の芸術家で、僕らに腕っ節ではかなわないものだから、この世の筋肉がみんな滅びればいいと思っているんだ」

…最初に読んだ時に最も印象に残った文だけど、この後に、弱虫の芸術家が、「あのボディビルダーは朝鮮人だから」と慰められる場面が出て来てちょっとイヤ〜な感じがした。覚えてなかった。

NYへ渡った有能な貿易会社サラリーマンの清一郎、ボクサーから喧嘩でケガをして引退し右翼となった峻吉、筋肉自慢のイケメン無名俳優で醜い女に母親の借金の方で買われ心中する収、童貞の画家の夏雄、この青年4人がブルジョア夫人の“鏡子の家”をサロンとする知り合いというだけで、それぞれ勝手に他に干渉することなく自分の人生を歩んでいく。

収は女と死に、清一郎はNYへ、峻吉は右翼活動へ、夏雄は鏡子で筆下ろししてメキシコヘ画家修行へ。それぞれ“鏡子の家”を離れて行く時に、鏡子は別れた夫を家に呼び戻すことになる。

4人の青年と周りの女たちを天分の筆致で描きながら、三島先生特有の“美”に対するストイックなまでの態度と死への憧憬が如実に現れているように思う。

よくぞここまで、自由に暴れ回る美の概念を細部にわたって綿密に計算したように秩序立てて、それぞれの事象の中で表現する文体をつらつらと並べることによって構築できるものだ。

この小説は批判も多かったと聞くが俺には何度読んでも感動ものであったねー。

手にすることができないような崇高な美でありながら、常に手元で崩壊させる準備も用意しておく、崩壊が始まるとアッという間で180度歴史も変わるー。それが三島美学の一面でもある。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。