【邦画】「キューポラのある街」

まだ17歳の吉永小百合さんが主演の、1962(昭和37)年の邦画「キューポラのある街」(浦山桐郎監督のデヴュー作)。Amazonプライムにて。

原作は児童文学だが、前向きに生きようとするものの、周りの理解を得られずに、出自に悩む、多感な中学3年生の女子学生・石黒ジュンを中心に描く青春ドラマだ。

やっぱり小百合さんの演技はスゴいねぇ。17歳にして見事だ。感心するよ。

キューポラってのは、外に煙突が出てる鋳造工場の溶解炉のことで、つまり、そういう工場が多数あって職人も多く住んでた埼玉県川口市が舞台だ。

高度経済成長期の、下町に住む下層階級の、困窮に苦しむ職人一家。

そんな環境でも、長女のジュンは、中学卒業後の自分の進路を見据えて、内密にパチンコ屋でバイトをしながら、少しでも全日制高校進学の学費を稼ごうと忙しい毎日を送っている。

鋳物職人の父親(東野英治郎)は、昔ながらの職人気質で、頑固者で飲兵衛で、入った金もすぐに酒か博打で使ってしまい、いつも家計は火の車だ。そんな父親は、大怪我をしたことで、会社の人員整理の対象となってしまう。

この父親がとんでもない奴で、労働組合が助けようとするが、「アカの世話にはならん!」と拒否し、ジュンに在日の友達について「アイツらとは付き合うな!」と怒り、高校進学を夢見るジュンに「ダボハゼの子はダボハゼだ!中学出たら働くんだ!鋳物工場で!」と言い放ち、修学旅行に行く金も飲んでしまう始末。

つまり、貧困を基に、家族も友情も民族も、全てにヒビが入ってしまうのだ。

「勉強なんかしたって意味がない」とクサるジュン。先生が「何をやってても、その中から何かを掴んで理解して付け焼き刃ではない自分の意見を持つ。そいつを積み重ねて行くのが本当の勉強なんだ」と説得する。

ジュンは書く。
「私にはわからないことが多過ぎる。第一に貧乏な者は高校に行けないということ。今の日本では、中学だけでは下積みのまま一生うだつの上がらないのが現実なのだ。下積みで貧乏でケンカしたり酒を飲んだり博打を打ったりする。気短で気が小さくその日暮らしの考え方しか持っていない。みんな弱い人間だ。もともと弱い人間だから貧乏に落ち込んでしまうのだろうか。それとも貧乏だから弱い人間になってしまうのだろうか。私にはわからない」。

ジュンは、家計を助けるために飲み屋で働く母親が、男性客に愛想を振りまく様子を見てしまいショックを受ける。在日で不登校の友人と初めてバーに行き酒を飲む。そこで不良少年たちに暴行されそうになる。

自暴自棄になってしまうとロクなことがないジュンだが、社会科見学である電機メーカーの工場を訪れたことがキッカケとなって、定時制高校で学びつつ自立した労働者になるという未来が見えてくる。

当時の、在日朝鮮人の帰還事業も描かれており、貧困や労働者、民族の問題など、確かに、社会主義が夢見られた時代の、左翼が好みそうな材料が揃ってはいるが、高度経済成長期のある一面を描いており、何よりも苦悩しならも逞しく生きる小百合さん演じるジュンの姿に感動である。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。