「ソーシャルアート」

単に障害者が表現するということで、本来のアウトサイダー・アート、アール・ブリュットとは違うかもしれない。

まあ、障害の有る無しに関わらず、社会から外れてるとの自覚がある時には、その繋がりを回復するための手段の一つとして“表現する”ということがあるかもしれない。

本には、障害者の表現活動からその現場、団体、アトリエ、福祉施設、一般社会や企業との関わり等が紹介されている。

作品に接する場合、障害者が表現したということがその価値を左右するのであってはつまらないと思う。純粋に障害者本人の内省的な表現衝動に価値を見出すのであれば良いけど。

俺も一応、2級の障害者ではあるけど、社会的な存在として保護される立場にあるというだけで、異質な、特異な存在というわけではない。

しかし、個人のレベルでは右半身麻痺になったことで、健康に目覚めて、自分の身体を特別に意識するようになって、毎日のリハビリを通して身体の微妙な変化を観察するようになった。

加えて、麻痺した右半身を補うように、本や映画等、様々な表現に接して世界を広めることにさらに貪欲になったと思う。

これは多分、障害者にならなかったら絶対にやらなかったと思う。

だから、障害が表現行動のきっかけやその後押しになることはあるのだ。つまりは、障害者のアートもそうだけど、既に障害者自身が表現になってる場合もあると思う。

社会的には排除され易い存在だからこそ、既存のアートをも超える、社会を震撼させる程の表現が求められるのかもしれない。そういう意味ではアウトサイダー・アートである。

障害者とはなんだろう?確かに人間の身体は五体満足に揃ってることが前提だけど、もし欠けてるとしても、個人的には障害を上回る個性に昇華できないものかと考えてる。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。