「美輪明宏とヨイトマケの唄」

美輪さんは昔、「紫の履歴書」を読んで感銘を受けて、その後、デブのスピ野郎と組んでて(そういうこともあるさ)、ちょいシラけたけど、三島由紀夫との交流も深く、とにかく情念の歌が素晴らしくてアルバムも持ってたし、彼(彼女)こそは“異形の天才”であると思ってる。

三島をはじめ、そんな美輪さんを取り巻く数々の天才たちのエピソードが満載で、めっちゃ面白かった。

「芸術は、表現者だけが芸術家であるだけでは成立しません。受け取る側に芸術家の資質があって初めて芸術として成立するのです」

美輪さん、本名・丸山臣吾は、“シスターボーイ”として巷で話題だったわけだが、夜の街に繰り出していた若き三島由紀夫が、彼を“天上界の美”と絶賛したことで、表舞台でも活躍するようになったという。

三島は、美輪さんの舞台を見て書く。
「日本人の心情のある柔軟さと、伝統的な強靭な退廃美と、甘ったるい少年らしさと、世路の艱難(カンナン)を経た大人の叫びと、ひどくモダンなものと、ひどく日本的なものと、感情を細い指先にあらわすその繊細な多少いやらしい技巧と、それから土くさい野太い歌声と、長崎の孤独な原爆少年と、東京の薄っぺらな植民地風俗と、…すべてのものが渾然として、それがおのづから、歌詞にも、曲にも、容姿にも、存分に盛り込まれ、このごった煮の中から、東京に出て来た田舎少年の、一本気な哀切な抒情が、芽を損なわれずに、伸び立っている。これはまことに珍重すべき芸能だ」。スゲー。

美輪さんが、「愛の讃歌」が上手く歌えなくて悩んでいた時に、恋人だった赤木圭一郎が事故死、さらに、大きなショックを受けた美輪さんが、後追い自殺まで考えていたのを、三島は「それなら死ねばいい。しかし、“愛の讃歌”がまともに歌えるようになってから死ねばいい。悔しかったら完璧に歌えるようになってみろ」と一喝したという。常々、「君は大物になる」と言っていた三島は、美輪さんの活躍を陰で支えていたのだ。

「僕は天才が好きだ。何でもない事、オヤと思う事なんでも天才はそれらを本当に意味のある真実に作り変えていく事ができるのだ」

美輪さんのみならず、三島の働きかけや助言によって、表舞台で名を成した表現者は多い。三島は表現者たちにとって見えない太陽のような存在だった。

「成分が悪意と妬みと嫉みで構成されている世間なんてものは、いつもいい加減なことをいうのですよ」

「ヨイトマケの唄」なんて、まさにドロドロとした日本人の情念そのもの。聴いてるとゾゾッと身震いしてくる。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。