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読書は脳をどのように変えるのか?     『プルーストとイカ』


「物事をひとたび書き留めてしまうと、書かれた文章は、いかなるものであろうと、至るところに漂い出して、それを理解できるものだけでなく、関わりのない者の手にまで渡ってしまう。文章には、それを読むにふさわしい者とふさわしくない者をどうやって見分ければよいか、知る由もないからだ。しかも、誤用されたり悪用されたりしたら、文章自体には防御する術も自力で切り抜ける術もないのだから、必ず、その産みの親が救いの手を差し伸べることになる」。
                                   ーソクラテス

プルーストとイカより

僕は本を読む事は好きだが、得意では無いと思っている。難しい文章だと眠たくもなる。
普段生活していて「分かっているつもり」でも、「気づきににくい事」は結構あるようだ。
「読書は苦手」「漢字は読めるけど書くのは苦手」と思っている人は結構多いと思う。(僕も含め)

子どもの頃を思い出すと…
先ずは声を出して読む音読から始まる。読み方を覚えた文字を目で追い(意味を考えながら)声を出して読み上げていく。

子ども向けの絵本からはじまり、幼稚園年長や小学校低学年になる頃には「黙読」が出来る様になってくる。

自分が「黙読」が出来るようになった頃、近所の勝くんは相変わらず大きな声で漫画を読んで大声で笑っていた。「うるさいな〜静かに黙って読めや〜!」と言っても「声を出して読んだ方が面白いから」と勝くんはいつまでたっても声を張り上げて、大声で笑っていた。
最初の頃は、勝くんが家に遊びに来てくれて一緒に漫画や本を読むのが楽しかったのに、勝くんの朗読がわずらわしくなった…。

子どもの頃「黙読」をしていて、行から次の行に移るのを失敗しやすい事にも気づいた、目で文字を追いかけ、行の終わりから次の行の頭に移るには指のカーソルが必要だったのだ。

「文字」を読むのと同じ頃「書く」教育も始まる。
「文字を書く」のも「脳」にとっては大仕事で「左」「右」を理解する事でさえ大変だ。

自然界では「左」「右」はそもそも重要では無いのかも知れない。

子どもの頃、私たちが字を書くと「さ」「ち」で混乱するし、「し」はどっちにはねるんやった?「へ」もしばしば逆になる。「b」と「d」は?と混乱した記憶が有ると思います。
誰も皆、読み書きには苦労した記憶が有るのではないでしょうか。そんな幼少期の苦労で読書や作文が嫌いになった人も多いかと思います。

「文字の読み・書き」と言うのは「当たり前」と思い生活しているが、そもそも「文字」はホモ・サピエンスの遺伝子には刻み込まれてはいない。

子どもの頃、読み書きの「教育」を受けて、文字が書けたり読めるつもりになっていますが「教育」というトレーニングが上手くいっていない場合もあるし、脳がそもそも「読み書き」という機能を持っていない場合もあり、子どもの頃だけでは無く大人になっても人ぞれぞの個人差があるようです。

でも、誰もが仕事のレポートは読むし、SNSの文章やニューストピックスも読んでいる。

でも「読んでるつもり」になっている可能性が結構高い。

以前、職場のコールセンターで、新たな周知事項を文章(PC)でオペレータに伝えた後、周知内容と違う案内をするオペレータがいました。訂正した後、オペレータと話しをすると「周知事項」には全く書いていない解釈をしていました。「全文を読んだ」とは言いますが、完全に「勝手な解釈」と「思い込み」でした。

「目を通した」いや「“理解出来る”センテンスだけ拾い読みをした」と言う表現の方が正しいかも知れません。
また別のオペレータは「分脈」が読めない、単語として書いていないと、理解出来ないという方もいました。

この様なエピソードは特定の人だけでは無く複数の人に頻繁に起きていました。彼らにも問題はありますが、伝え方の工夫が「効率」(タイムパフォーマンス)の為に排除されているのも事実です。

PCが普及する前の頃は周知と言えば、紙のレポートを配布の上、朝礼やミーティング等での口伝えもありましたが「時間の無駄、紙の無駄」という名目で、各自PCで確認して下さい。となった職場が多いのでは無いかと思います。

実は、それでは理解出来ていない人が数%〜数10%いる可能性があります。

本人はしっかり読んだつもりでも「実は読めていない人」は本人も、周りも気づきにくいし、何より「理解していると思い込んでいる」のが厄介です。

ヘリプコター
みさなん、こんちには!
メソポタアミ文明
マカロニグタラン
アンドメロダ銀河

NHK ヒューマニエンス「“文字” ヒトを虜にした諸刃の剣」
脳の早とちり(自動化)

上記の文章を正確に読めたでしょうか?
上記のような文章は脳は自動的に下記のように解釈して正しい言葉に置き換えています。
ヘリプコター➡︎ヘリプコター
さなん、こんちには!➡︎ みなさん、こんにちは!
メソポタアミ文明➡︎メソポタミア文明
マカロニグタラン➡︎マカロニグラタン
アンドメロダ銀河➡︎アンドロメダ銀河
(太字が入れ替わっています)

要するに馴染みのある言葉や解釈をしてしまう事があるという事です。
言葉の意味や行間を、正確に理解せずに読むと全く違う解釈が生まれてきます。

SNSの文章を素早くスクロールしながら目を通し、スマートフォンに入ってくるニュースもトピックスを読んで理解した気になる。そんな生活が、私たちの読字に確実に影響しているのではないでしょうか?

こんな話しを人に話しするのは、結構難しいんです。前出のオペレータに「周知、理解出来てないよね!」とかストレートに話しをすると今時は「パワハラ」と逆に言われかねないし。例を取り上げて話しをしても「そんな人も居てるんや〜」と他人事で話しを聞くでしょう。個々に“読字理解”にも多様性がある事を自分ごとと理解する為に『プルーストとイカ』を読んで下さい。


ここからが『プルーストとイカ』の紹介です。

読書の神髄は、孤独のただ中にあってもコミュニケーションを実らせることのできる奇跡にあると思う。

ーマルセル・プルースト


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本書 帯より

小児発達学と認知神経学の教授、言語と読字そしてディスレクシアの研究者が文字を読む事でいかに脳が変化してきたか、変化するか。「読む」ということは、どういう事かを読字の歴史から辿って行きます。

“クレイトークン”の話しから始まる、最終パートは“ディスレクシア”の話しに突入していくので、「ディスレクシア」と言う言葉を少し理解しておいた方が良いかもしれなので
参考まで。

ディスレクシアは、学習障害のひとつのタイプとされ、全体的な発達には遅れはないのに文字の読み書きに限定した困難があり、そのことによって学業不振が現れたり、二次的な学校不適応などが生じる疾患です。

1896年に英国のMorgan先生が最初に報告しました。
知的能力の低さや勉強不足が原因ではなく、脳機能の発達に問題があるとされています。
そのため発達障害の学習障害に位置づけられており、2013年に改定された米国精神医学会の診断基準(DSM-5)では、限局性学習症(いわゆる学習障害)のなかで読字に限定した症状を示すタイプの代替的な用語としてdyslexia(ディスレクシア)を使用しても良いことになりました。
読字に困難があると当然ながら書字にも困難があります。そのため本邦では発達性読み書き障害と呼ばれることもあります。

国立成育医療研究センターホームページより




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