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「ワシも無人島で考えた… 」 #私だけかもしれないレア体験


#創作大賞2023 #エッセイ部門

もし人が、“美”そのものを見ることができたら?純粋で、無垢で、死ぬ運命や人生のもろもろの汚れやしみや虚栄から自由で、不変で、神々しい“美”そのものを。人はそのとき、自由で、神の友になり、彼自信、不死の身になる。………そのように生きられる生を、おろそかにしてよいものだろうか?
                                                        -プラトン



 むかし…、28年ほどむかし…、無人島で仕事していた事がありました。

 「あ〜最近TVの企画で瀬戸内海に浮かんでるアレね!」っと思った貴方!

「違います。全然ちゃう‼︎」とまず言っておきます。

 インド洋に浮かぶ、島国“モルディブ共和国”


人はモルディブ共和国の事を
“インド洋の真珠の首飾り“と呼ぶそうです。

 “インド洋の真珠の首飾り“の一つの島ティナドゥ島の近くの無人島でかつお節作りの仕事を始めたところでした。

その無人島は歩いて一周しても1時間かからない位の小さな島で、ティナドゥからボートで渡って働きに来たり、無人島に住み込みで働く人たちも数人いました。

モルディブはイスラム教の国で年に一度”ラマダン“と呼ばれる断食月があります。彼らムスリムは、ラマダン期間中、太陽が上がっている間は食事をしません、水も飲みません、暑い中飲まず食わずでは仕事になるわけは無く、ラマダンの期間、無人島で働く人達はお休みで無人島に私だけが残る事になりました…



全く人の気配を感じられ無い世界


 もちろん、インターネットができる以前、電話、新聞、TV、無線もありません。
運が良ければノイズだらけの短波放送NHK WORLDが入る程度…

住人は人間一人、猫一匹 ウサギ二羽(多分) と何故か僕に懐いたアオサギが一羽の世界…

この”全く人の気配を感じられ無い世界“は瞬く間に精神を崩壊にみちびきます。
誰とも話す事が無い、誰の声も聞こえてこ無い、人の営みの気配も感じ無い等。
人がいない世界はメンタルにこれ程影響するとは想定外でした。


自分しかいない世界で…の生活

真っ青の空と海…の下で如何に楽しむか「人がいる時には決して出来ない事ってなんやろ…」と考えてみて、ある種の結論を導き出しました。

 ところで、皆さんはお風呂の湯船の中でオシッコをした事はありますか?
海の中はどうでしょう?
泳ぎながらオシッコをする事は?
遠泳をする場合は有るのかも知れません。

ならば…
“大”の方は?
平たく表現すると“ウンコ”です。
そう、あの“ウンコドリル”で日本に一大旋風を巻き起こした“ウンコ”
子どもに向かって言うと必ず大爆笑の“ウンコ”です。

“水中オシッコ”の経験者 其れは、ほぼ100%の人類が経験済みの行為
されど
”水中ウンコ“経験者!其れは、推定不能な行為では無いのか?
フェルミ推定も出来ないであろう。
そして
”遊泳ウンコ“は誰も考えもつかないし、出来る機会も、人として生きていく上で決して与えられぬ機会では無いかと考えてしまった。

チャレンジ開始だ…
時間はたっぷりある…
幸いに誰も見ていない…(無人島だもの)

先ずは“水中オシッコ”だ
胸ぐらいまで美しいインド洋に浸かる、波が身体を揺さぶる…
難なくクリアした。
遊泳オシッコも…少しハードルが上がったが
どうしても、下腹に力を入れると美しいクロールのフォームが若干崩れるが“よし”とする。
想定通り”遊泳オシッコ“は簡単にクリアした、次は本題の”遊泳ウンコ“に取り掛かる。

”遊泳ウンコ“へのチャレンジは想定以上の難題だった…
想定としては遊泳は何度かチャレンジしなければ成功しないであろうと考えていたが、”水中ウンコ“は楽勝とたかを括っていた、「人の身体の理」「意識」を甘くみ過ぎていた。

幸いだったのは腹の具合は常に悪い、腹の具合が常に悪いのが「幸い」とはこれ如何に…
多分「便秘」気味だったりすると、そもそもこの壮大な実験の発想すら浮かばなかったであろう。

やはり「ゆるいお腹」は「幸い」なのだ。

自らの身体と美しいインド洋の自然を使った壮大な実験の始まりだ!

 想定が甘い僕は“ウンコ”を催したと同時に美しいモルディブの砂浜を生まれたままの姿で美しいインド洋に向かって砂浜を駆ける、そして美しいインド洋に胸ぐらいまで浸かる。

しかし…いきなり問題が発生した。

波に身体を揺さぶられ、「思うように身体をコントロールできない!」それ以前に美しいインド洋に浸かっただけで「予兆が消えた!」海に浸かる事で体内の生理現象が変化するのだ、僕は何度も砂浜と美しいインド洋の間を駆け巡る(生まれたままの姿で)砂浜で優雅に“ナニの予兆”を待ち、“ナニの予兆”が来ると美しいインド洋に駆け込んだり

時には生まれたままの姿で

まるで能を舞うが如く「そろり、そろりと〜」と謡ながらインド洋へ向かう。

しかし、成功しなかった。

いきなりの”胸の高さ“に問題がある事に気づいた僕は浸かる高さを変えて壮大な実験を続ける。

胸、腰、膝、どんどん浸かる高さを浅くしても”ナニの予兆“は消えてしまう、場所を変更するしか無い…「クソ〜」しかし敗退では無い、成功への為の場所変更だ、何事も段階というものが有り、一つ一つクリアしていく「守破離」の教えがこんな処で役に立つとは…

場所の変更先はオーシャンビューでは無く、「インディアンオーシャンビューな磯」だ、海に向かってしゃがみ込むのは少々難儀だったので、素晴らしい”インディアンオーシャンビュー“に向かってケツを向けてしゃがみ込む、インド洋の波が優しく僕の臀部を撫ぜる…

波がいくら優しく、臀部を撫ぜても波に撫ぜられた時点で…「予兆」が遠のく…
波が当たらない所まで移動する…波が当たらなければ問題なく出る。

「よし!」先ずは、海辺で放出に成功した…(…処理せず放出だが…)

 僕のお尻から、出て来た”ウンコ“は予想していなかった挙動をみせた。
インド洋にケツを突き出して、ナニをナニした僕の足元に別れを惜しむ”ウンコ“がまとわりつく。
その”ウンコ“の挙動をいち早く察知した僕は、素早く隣の岩に飛び移る。
「寄せては返す”波“」がウンコを僕の足元に戻してくる、インド洋に「因果応報」を教えられ、僕の排泄物はそれはまるでインド洋に拒絶されたように感じた…しかし、それは邪推だった。
 実は一連の経緯を岩陰に身を隠しながら見ている奴がいた

カニだ…
カニにが出てきた…
インド洋の波は僕のウンコを拒絶したのでは無く…
岩陰で待っていたカニさんに気づいていて、優しく「カニさんお食べなさい」と言わんばかりに岩部に打ち返したのだ。
これが、”自然の摂理“だ。
カニさんが食べ切れない分はインド洋の魚たちで山分けだ…
そして、僕のお尻から出た”ウンコ“は「輪廻転生」のインド洋へ旅立つ…

 思わぬ美しいインド洋の悪戯で自然の摂理を目の当たりにした僕は、次の日もその又次の日も、美しいインド洋を舞台に前人未到の壮大な実験を続ける。

 足首まで、お尻を海面に浸すぐらいに、とステップを踏んで海えと挑んでいく。

そうこれは、原始の営みを忘れ去ったひとりの人間が、自分の中の原始を呼び覚まし今まで人が挑む事もなかった ”遊泳ウンコ“への挑戦、自然との融合なのだ。
”遊泳ウンコ“にチャレンジする事で、さまざまな「学び」もある。

潮の流れ…
波の拍子…

これをしっかり把握して事を起こさ無いと、水中に放出された自らの“ウンコ”にまとわりつかれる羽目にあう。
読み間違う事もある、そんな時は色んな声が出る「ひゃー」「イヤーン」「グゥラー」
誰に伝える訳では無い“魂の叫び”だ。
 こうしてステップアップした私は遂に”遊泳ウンコ“にチャレンジする段階に突入した。

遊泳と言ってもさまざまな泳法がある
古式泳法
平泳ぎ
クロール
背泳ぎ
バタフライ

 古式泳法と一言で言っても古式泳法にも色々ある、立ち泳ぎなどは想像するにハードルは低いかも知れ無い、それどころか何処かの伝書に ”遊泳糞放出泳法“なるものが伝承されている可能性もある。と今思いついたが調べるのはよそう。

たち泳ぎであれば、ひり出した糞を自らの足で美しいインド洋に攪拌する事になるのは想像に容易い、がクロールであれ、他の泳法であれ撹拌は免れ無い。バタフライなどの放出イメージでは敢えて海面より尻を空中に突き出し”空中放出“なる神技も考えられるがひと月と言う時間では神技習得には時間が短すぎるので断念する。

 先ずはやはり、美しいインド洋に胸ぐらいまで浸かり時を待つ、慌ててはいけ無い

「気配を感じろ」「考えるな…感じるんだ」(ブルースリーの名言が脳裏を横切る。)

「内観」 だ!(こんな処でも釈迦牟尼の教えが我が身を救ってくれる。)

 自分の身体の内部に意識を集中して、肛門近くに気配を感じるまで気配を待つ…
ひたすら待つ…

「キターッ」僕は平静を装いつつ、顔をゆっくり海面につけ泳ぎ出す…

あれだけ考えていた泳法は決めかねていたままだったが、身体が自然に動き出した
クロールだ…

ゆっくりとバタ足をしインド洋から学び取った、潮目、波も考えながら泳ぎ出す
………

………成功した
少し撹拌もしてしまったが、
僕の放出した”ウンコ“は美しいインド洋の大海原へと旅立つ…




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