社会人2年目、人生25年目へ
社会人1年目が残り1週間で終わりを迎えようとしています。
1年前、噂で「社会人1年目は赤ちゃん」と聞きました。
「そんな中、何もかも知らない状況の中生き抜いた、激動の1年を振り返ります!」
なんてアツい言葉は正直出ませんでした。
”利益の追求”を果たすべく株式会社の組織の人間になったことで、学費を払い、アルバイトをし、保険を払ってもらう生活は終わりました。一応出勤時間があり、一応退勤時間があり、しっかり休みがあります。
ただ、あくまで24年間生きている人生のうちの1年であり、
学生時代と地続きに時間が進んでいる印象です。
「心が揺さぶられたとき」に文章として残してきました。今回は、整理と今後の方向性、そして誰かの小さな共感を求め、文章にします。まぎれもなく等身大な今の私です。
(たった数年前に書いた文章を読み返すだけで、あれ?なにをいっているんだ?と思うことも多々ありますが、それも自分であり生きて進んでいるということで、いつも残したくなります)
ようやく仕事内容を話せるようになりました
「ヒトとモノに最適な、生命の母体である自然の変化を活かした室内の環境を提案できる」と、一見ふわふわしてわかりづらい会社に魅力を感じた就活時代。
会社にはショールームがあり、
ひとりひとりのお客様に寄り添った提案できることが魅力です。
「農業分野や食分野で、新しい視点で可能性を探りたいです。人をつないでいきたいです(やる気満々)」と、相変わらず「農・食」にしか目がなかった就活時代。農業分野において、新しい視点を知れる。
人をつなぐ、人に会う、話を聞く、提案する、それは営業という仕事なのではと思い、今に至ります。
一言でいえば「暖房や冷房の建築業界のメーカーで、新規開拓営業をしており、相手はエンドユーザーメインです」ということですね。
”営業”とはどんなものかを先輩について周り、自分なりに解釈して新しい顧客へ会い「知ってもらう」ことからはじめる(種まき)。0→1。とても地道で、しかし絶対に必要であろう部署。たった1年ではありますが、会社を存続させるためには売上の比率としては大きくないけれど、重要なポジション。そもそも重要ではないポジションなんて無いのだと当たり前なことに気が付きます。少数精鋭の中小企業だからこそかもしれませんが。
(営業先の商品マーケティングをしている方から「大手のお菓子メーカーだってどれだけ新商品を作ったって、売り上げの7割(確か)は代表のお菓子だからね」と聞き、はっと自分の役割を意識しました。食べ物に例えてくださるとスッと理解しがちです。)
売上の結果は”数字”という、判断しやくすわかりやすいものがあります。
私は既存の自分のお客様はもちろんひとりもいないので、すぐにじゃんじゃん売りまくる!ということは不可能です。”ある商品をそのまま売る”営業ではないからこそ尚更。流れ作業の仕事ではないからこそ、楽しいのかなと思ったりします。
「この仕事の流れは学生時代は知らなかった」だからこそ、新しくてそして楽しいのでしょうか。
しかし、どんな「商品」を売るかは、単価も用途も必要性も層も全て違いますが ”『買って良かった』『知れて良かった』と思えるものを届けることができる”。それが学生時代に思っていた「つなげる仕事」なのかなと、まだふんわりではありますが思います。
それを教えてくれたのは「農家さん」です。高校生の頃からお世話になっている農家さん(製粉工場の社長でもある)が、東京の展示会へ連れて行ってくれ際の「私が声掛けしたことによって、商品を知らない人に知ってもらった。食べてもらえた」体験により、届ける楽しさと必要性を感じました。今思えば、色々な営業プロセスのごくごく一部の出来事なのですが、そんな小さな体験が生きてくるものなのですね。
個人ブランドで人と会う
就活時代、今だからこそ思う決め手は「未知なる可能性」であったかもしれません。
私の人生、「食」から離れることは無さそうですが、当時「軸」として色々書き殴っていた(考えていた)ノートを読み返すと「大手と中小」「農業系と他」といった勝手な比較をしていました。
1年半ほどたった今読み返してみると、強ち間違いはなく的を得ています。(改めて、就活をサポートしてくださった方々へ感謝です)
基本的にBtoBメーカーであり、名が通った大手という訳ではありません。だからこそ、「個人として」「ひとりの人間として」人と会うことが多いです。新規だと尚更です。
ほどんどの方が知りません。「温度と湿度のメーカーです、お話しきかせてください」ちょっとばかり怪しいですよね。どうやって会社を名乗ろう?どうやって新しい人に会っていけば良いのだろう?まだまだ手探りですが、自分の立ち位置が少しずつわかっていったことにより「教えてください!」と新しい場所へ行ける回数が増えました。
今持っている武器を使い進む以外に道は開けません。そこでいきてきたことが「学生時代に出会った方々」の助けです。
note冒頭”学生時代と地続きに時間が進んでいる印象”と表したことは、そのためです。
「人からのご紹介」により、新しい人に会え、ときには「こんなことできる?それならこうしてみたら?」とアドバイスと仕事をいただき、はたまた社内では解決できない不安を包み込み、そして活力をくれます。
1年目から自由にさせてくれる組織内の環境があってこそのスタイルかもしれませんが、本当に助けられています。
学生時代から変わったことといえば、”見るからに私と世界が違う人のことを知りたいと思えるようになった”ことでしょうか。
私と話したことがある方はわかっていただけると淡い期待を抱いていますが、タイプの違う方と話すのはすごく怖かったですし、合わないと決めつけていました。どんな見た目だってその要素で全てが決まる訳ではないですよね。といいつつ、身なりと雰囲気というものは中身まで表すものであるとも感じます。
その点全てを踏まえての個人ブランドなのかもしれません。自信を持って”ブランド”と言えるくらいになりたいです。
無知を振りかざし動きをとめない
250件の訪問数は、今年の成果です。
全て提案につなげることができれば万々歳ですがそんな訳にはいきません。ただ、少しずつ具体的な内容をいただいたり、専門的な現場のことを教えていただいたり、「いつでも悩みは現場にある」ことは間違いなさそうと、出張現場で強く思いました。新人特権で行ける期間であったからこその数ですが、これからのキャリアの中で大切な数字と出会いになって欲しいです。
入社したての0人から比べると、少しの進歩です。しかし、「現状維持は衰退」この言葉は強くのしかかります。だからこそ、世の中は動き、世界は変わっていきます。2年目も、具体的な悩み、見えない氷山部分を引き出せる努力をし、新しい出会いをふふっと楽しめるくらいになれたらと思います。好奇心旺盛です!と長所で話していたことは活きていきそうです。
と言っても、現実はがむしゃらで、へろへろになって身体のどこかに不調が出て「あ、休すも」と思うくらい余裕はないかもしれませんが(実際ちゃんと現れてくれる私の身体)。
それでも、「”無理やりではなく”動くこと」が絶対に大事です。そう思っています。別の言い方をすれば「動きたいと思えるくらいな精神状態をつくる」ことが心身ともに健康に保てたりするものなのでしょうか。これに関しては、社会人1年目のぺーぺー。正解があるかすらわかりませんが、やってみなくてはわからないことだらけな生き方なので、ゆっくりとでも動いてみます。
「今の失敗はなんにも失敗にならないよ」
「課題を解決するために、新しいことをしてみたい」
「叶えたいことのために、新しいモノを生み出したい」
新規開拓営業という括り中での仕事ができて、
1「何もないところからすこーしずつ形にすること」
2「まだ知られていないことを届けること」
に魅力を感じていることに気が付きました。
仕事でいえば、”圧倒的な技術の商品があってこその提供できること”ではありますが、それのためだけに生きている訳ではないですよね。まだうまく言えない上にとても曖昧なのですが、「今やってみたいこと」はこのふたつをうまく絡ませ合って、溶かして、創り出すことかもしれない。それが「商品」なのかもしれないと思っています。
「蕎麦」で自分ができることを広げてみたいです。
どこまで「蕎麦で商品」として「形」となるかは、新規から受注につなげる営業よりも未知かもしれないのですが、「今の失敗は家族だったり、守るものがないからなんの失敗にもならないよ」というお言葉であったり、信頼できる方からの「なんでもできるから、なんでもやってみて」という強い後押しがあり、「さあ、はじめてみようか」というところです。有り難いことに、お世話になった高校がある幌加内町やそば製粉会社、頼もしい友人、先輩がアイデアを一緒に出してくれています。目途が立っていないことをほそぼぞとですが発信することに、恐怖を感じてしまいがちに社会人になってなったのですが、柔らかく見守っていただけると「もう少し頑張ろっかな」と思えますので何卒。
何もしない理由が見つけられなかった
「今の失敗は失敗ではない」という魔法の言葉をいただいた方を含め、私の周りには多才な先輩方と仲間がいます。あらゆる農家、酪農家、6次化までしちゃう漁師、編集者な猟師、大企業でバリバリ個性を出している方、公務員とは思えない趣味を持っている方、デザイナー、ものづくりの作家、写真家、教師、ブライダルプランナー、中小企業の営業、起業、料理人、ライター、百姓、旅人、歌手などなど。職種でいえば多種多様。職種でくくらなくても良いのではないかなとも思ったりするのですが、ざっと書いてみると本当に色々な人生と働き方があります。
就活をするとき、「キャリア」というものを考えました。なんとなくの人生妄想があります。これもまた、曖昧で難しくまだわからないことなのですが、今の働き方はもし自分の家族ができれば続けることが難しい気がします。少なくとも優先順位が変わったり、暮らすためにやるべきことが必然に増えるからです。それはそれで、人生の分岐点。「じゃあ、優先順位が変わるその分岐点に自分のやりたいこと(仕事になるかどうかわからないけどしたいこと)をはじめてみようかな」と就活中は思っていました。
もちろん”本業”を辞めるつもりは全く無いし、もっと頑張りたいと思っている”からこそ”、2年目はもう少し背伸びをしてみようかなと思っています。
「ちょっとした固定概念を取っ払って動いてみよう」と妄想しています。多分、私が勝手に尊敬している先輩方は、それなりに大変な社会人1,2年目を過ごし、慣れてきて動けるようになってから個性を出し、輝いている話を聞きます。だからこそ、私もしっかり下積み時代(という表現が正しいかはわかりません)を過ごします。しかし、あほなことに、”尊敬している方々のようにその年になったらなれる準備ができている”と思い込んでいたかもしれないことに気が付きます。そんなまさかですね。今は、先輩方、あるいは後輩までもが輝いていて、その”瞬間”しか見ていません。どんな過程と葛藤があって今の姿があるのかを忘れていました。
尊敬する、最近ご結婚して個人事業主として働いている先輩から
「いつでもやりたいことはした方が良いし朋佳ちゃんならできると思う。けど、どこかネックになっていることがあるなら、それを全うし自分が納得してから動いたら良いよ」と言葉をもらいまいた。
”こうあるべきだ”という世間体に流されることがないと思っていたのにも関わらず、まんまと悪い波に乗っていました。
いつでも、気づかせてくれる新しい言葉と、新しさを受け止められる心のキャパが必須です。
そんな出来事があったことをきっかけに、2年目のしたいことです。全てが良い意味で仕事でありたいし、それが生きてることでありたいです。
社会人の時間は貴重だってこと、ちゃんと知りました。ちゃんと読んでくれた方々がいれば、それがなんだか本当に嬉しいです。
本業の組織人としての成果と混ざりあって、「伝える」「つなげる」といった自分のやりたい提案営業を、出会っている仲間と共にやってみたいのです。
きっと私は「自分がひとりでつくりあげたもの」を提供するのではなくて
(蕎麦はひとりで打っていますけども、農家さんがいて、製粉作業者がいて、物流があり、つながっていく)
「一緒につくっていく」ことや「つくられたものを届ける」ことがやってみたいのかもしれません(これは未完成)。
またおごがましいですが、
私と何かしたいと思ってくれた方がいらっしゃったら、ぜひ、それをかたちにするか、遊びにするか、仕事になるか、わかりませんがお話ししたいです。
春は一番苦手な季節です。
「春風みたいな」という例えを昨日知り、心が安らぎました。
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