東日本大震災から10年

2021年3月11日

東日本大震災から10年

緊急事態宣言下ですが、今朝も何気ない、晴れた東京の朝でした。

10年前、2011年3月11日の朝もそういえばいつもと変わりない朝でした。あの日、目覚めた瞬間のあの時の自分に、もう一度会う事が出来たら、なんと声をかけるだろう、稀にそんな空想をします。

あの何気ない朝が、人生を大きく変える日の朝になりました。

当時の私は福島県議会議員、あの日は3月県議会定例会常任委員会で、農林水産委員だった私は午前中に現地調査を終えて帰庁し、県庁の県民連合会派控室で執務中に運命の時刻を迎えました。

混乱と迷走、被災状況の把握、情報の混乱に、重なる余震、停電、電話不通、断水。コンビニやスーパーからは物が消えてガソリンスタンドからはガソリンが無くなりました。加えて原発事故、必要な情報が入らず厳しい日々でした。県民の悲しみ、怒り、諦め、苦しみと言った負の感情が大きな渦になっていくのを現地で感じました。

体育館に次々と搬送される津波犠牲者に涙し、手を合わせ、浜通りの瓦礫の山々を巡り、国会議員らといわきから南相馬、相馬、名取、東松島、気仙沼、陸前高田、釜石、宮古、久慈、八戸から三沢まで被災地を訪問した3月でした。人生でそれまで経験した事のない悲しい時間でした。

あの大震災と原発事故という艱難辛苦を経て私の人生観や政治観が大きく変わり、結果的に、私はその後、政治を離れて民間で新しい挑戦をする選択をします。もしかしたら、東日本大震災が無ければ今も漫然と県議会にいたかもしれない、10年後の今の自分の人生、今の気持ちをあの日の朝の自分に伝えたら、彼は何と言うでしょうか、この時期になると空想します。

鎮魂、追悼、防災、復興、人生、すべてに真摯に想いを馳せるそんな1日に今日はしていきたいなと思います。そして福島県の復興に関わる全ての人たちに心から感謝します。

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