アクセルにも、ブレーキにもなる思い込み(1) 『知ってるつもりーー無知の科学』

“物事を鵜呑みにせず批判的に考えなさい”,“虚心坦懐でありなさい”とは師によく言われるものだが,言われた通り自らの思い込みに囚われずにいることができるのだろうか.

自分の修士論文の冒頭を久々に見ると、なんとまた恥ずかしげもなく偉そうに語っているものである。

大学院時代に研究していた「思い込み」そして「バイアス」の話。去年翻訳が出た『知ってるつもりーー無知の科学』では、「知っている」と錯覚してしまう人間の不思議な力について認知科学の実験結果に基づいて新しい「知識観」を提供する画期的な書であった。

学生時代に『認知心理学』の授業でよく取り上げられていた実験。

『500円玉を何も見ずに紙にかいてみてください』

この問いかけは卒業後5年たった今でも胸に焼き付いている。この質問を聞いた時、「そんなの簡単だよ、いつも見ているから」と思ったが、実際にやってみると、500円玉を正確に書くことは難しい。

ぜひ、この文章を読んだみなさんも、何も見ずに500円玉を紙に書いてみてもらいたい。

これは、あれほど毎日見ている「500円玉硬貨」だが、実際にはその細かいところ、表面に書かれている植物の名前、それが花なのか、葉っぱなのか、など全く記憶していないということだ。

(いらすとやだとこんな感じ)

実際には「知っている」と思っていても、「知らない」ことが多いことに気付かされる。『知ってるつもりーー無知の科学』ではこうした「知識の錯覚」の例が並べられ、こう結ばれている。

ここまで、私たちが驚くほど無知であること、自分で思うより無知であることを見てきた。また世界が複雑であること、私たちが思うよりずっと複雑であることも見てきた。ならばなぜ、これほど無知な私たちは、世界の複雑さに圧倒されてしまわないのか。知るべきことのほんの一端しか理解していないのに、まっとうな生活を送り、わかったような口をきき、自らを信じることができるのか。
それは私たちが「嘘」を生きているからだ。(中略)複雑さを認識できないがゆえに、それに耐えることができるのだ。これが知識の錯覚である。

「知ってるつもり」は毒でもあり、薬ともなるのだ。

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