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鍬崎智広の歴史①


00_はじめに

自己紹介がてら自分の歴史を書いていこうと思います。
高校生までに考えたことや、何が一番の思い出か。それらに今の自分を構成する大事な答えがあると思い自分でも実験的な気持ちでいます。言いたいことも明確でなく見切り発車でどう着地するかわかりませんが、どうかお付き合いください。①では高校生までの自分を書いていきます。

01_誕生~幼少期

生年月日:1996年9月15日 24歳(2021.05.13時点)
熊本市にて誕生し、育ちは泗水町です。
幼少期は「レゴ」と「お絵描き」が大好きな子供だったようです。ただ、人見知りがすごくてなかなかコミュニケーションが苦手だったことを覚えています。

02_小学校生

小学校の頃は「ゲーム」が一番の小学生でした。よく遊んだゲームは、「ポケモン」「モンハン」←?? です。よく家から2km先の「神社」に学年問わず集まりまして、みんなでゲームやカードで遊んだことが一番の思い出です。今考えれば神社というコミュニティスペースの凄みに驚きます。大きい樹木と伝統的な大工仕事でつくられた建築と神聖な雰囲気のその場所は、とても居心地のいいものでした。そして時にはゲームだけではなく晴れの日は境内で鬼ごっこやボール遊んでいました。喉乾いたら散水用やお清めのための水道で水飲んでました。大人になってとても恵まれた環境だったなと思います。

03_中学校生

中学校の頃は「サッカー部」が中心の生活でしたが、今思うとすべてが中途半端だったように思います。前の代が県内で注目されるくらい強く、僕らはその恩恵を受けて、比較的恵まれた環境でサッカーしていました。しかし、日々の練習をなんとなく過ごしてしまい、気が付いたら最後の大会でした。1回戦目ハーフタイムで相手と気持ちの差を感じて負けを確信し、大泣きしたのを覚えています。あれだけ悔しい思いをしたのは初めてで、それを感じるのが遅すぎました。だから、これからは一生懸命生きようと思い、受験勉強は努力して、偏差値50以下の僕が偏差値60以上のそこそこいい高校に合格することができました。
受験勉強の時、地元の小さな「塾」に通っていましたが、全員が同じ学校の生徒なので緊張感が全くなくて、休み時間にゲームやお菓子、マンガを持ち寄り、いろんなことでバカやって楽しかったのを覚えています。僕は記憶力が弱くてエピソードトークが苦手ですが、雰囲気だけは鮮明に覚えていて、中学校で一番の思い出は?と聞かれたら「塾」と答えています。

04_高校生(高専編)

高校は、福岡県の高専に進学しました。親戚一同の期待を胸に新天地へと旅立ち、寮生活を送りながら学校に通いました。第2志望で「機械工学科」に合格したのですが、「建築学科」に転科できると聞いていたので、2年になったら転科しようと考えていました。しかし「条件」を確認しておらず、三者面談の時にその「条件」の厳しさを知り、すぐに辞める決断をしました。親戚一同の大反対をうけ1週間は家族で大喧嘩していました。それでも、僕の決意は固く、「転科できなかったら5年...いや、就職後も鉄と油とともに過ごすのは...」とモチベーションが上がらないことを説明して両親を説得し、通信制へ転学を許してもらいました。
高専の思い出は、「寮」です。入学式の午後に軍隊みたいな挨拶をするように4つ上の先輩たちに指導を受け「どうしよ...」と九州中から集まってその日に知り合った人達と同じ気持ちの共有ができて、仲良くなるのが早かったことを覚えています。最初はただただきつかったですが、慣れてくると逆に楽しくなり、寮生70人みんなと同じ釜の飯を食べ、同じ環境で勉強し、同じ部屋で寝る。気づけば、かけがえのない仲間が増えていくのを感じていました。
辞めた後、成績もあんまり良くなかったせいか、辞めた自分に劣等感を感じて、連絡を取るのが怖くなり今でも関係が続いてる人はあまりいません。でも、SNSで活躍を確認して刺激を受けて、「こいつらと胸を張ってもう一度会う日が来るように頑張ろう」と今でもモチベーションにつながっています。

05_高校生(勇志編)

転学先の通信制高校は、「勇志国際高等学校」を選択しました。理由は「イルカがいる学校」、「格段に安い」という異色さにひかれました。今は違うかもしれませんが、毎月ネット上で授業を受け、レポートで提出して年に一回スクーリングとして御所浦に4泊5日の登校を実施するような学習内容でした。そのため家にいることが多く、授業もレポートも自分の都合のいい時間に実施していいので、高校生活のほとんどをバイトや絵画教室に通って過ごしていました。一人でいる時間が多く、今までよく考えなかった「自分」のことについてよく考えるようになったり、SNSで友人と充実した高校生活を送っている同級生をみて客観的に自分を分析するようになり、いい意味でも悪い意味でも「自分」を知るいいきっかけになりました。そのおかげで迷いなく将来に向き合うことで、やりたいことが明確になり、まっすぐに道を歩み始めることができました。
スクーリングでは、御所浦の「民宿」(正しくは旅館ですけど雰囲気とイメージを重視して以降「民宿」と記載)に4泊5日泊まったのですが、そこで出会った友人は卒業して約7年経った今でも関係が続き、中には親友と呼べるような人にも出会えました。夜はその日に獲れた魚料理が出て、朝は船の汽笛で起きます。島民の心の距離感が近くて温かい人柄と、リアス式海岸が生み出す凪の静かな海に癒されて、勉強しに行ったのに、大満足で来年のスクーリングが楽しみになっていました。そのころから御所浦に魅了されていたと思います。

06_最後に

①は高校生までの僕を振り返ってきました。
書いていてだんだん、2つの軸で話すように意識していました。

1つ目は、それぞれのフェーズで葛藤した内容。今の自分を構成するのはこれまでの葛藤が大きく影響しています。自分を知ることや、失敗があったからこそ次は頑張ろうという気持ちに気づけたことは自分にとって一番の財産です。

2つ目は、それぞれのフェーズでの思い出。高校までの自分の場合「思い出」と「場所」が必ずリンクしていることが特徴です。その「場所」には共通点があり、それは、人が集まる場所であるということです。きっと素敵な「場所」に巡り合い、そこで出会った人とのコミュニケーションが大切な思い出だからこそ「地域おこし」といった仕事をしようと思ったんだと思います。

見切り発車でも書いてみるとさらに理解が深まりますね。特に2つ目の軸については自分でもこれまで言葉にすることができていなかったので、考えを整理するいいきっかけになりました。
時期が来て気持ちが乗ったら②を書こうと思います。次は専門学校と社会人編です。これまで考えてきた理想で夢を塗りまくっていた僕の心を何度も何度も折ってくる出来事に遭いました。それは結局成長につながることになります。前職を退職したばかりなので、もう少し時期を置いて綴ることにします。

文章が苦手だったので読み苦しいところが多かったと思います。でもここまで読んでくださった方には感謝です。これからも頻度は少ないかもしれませんが頑張って投稿していこうと思いますので、宜しくお願い致します。

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