見出し画像

【連載小説】『ガラケーの挑戦!』~運を動かす運動~第一話(全十話予定)(創作大賞2024・お仕事小説部門応募作品)

あらすじ
ガラケーさんこと相楽圭太 さがらけいたは、愛されキャラの中年サラリーマン。かつて医者を目指して十年浪人した過去があり、現在は幼馴染みの会社で働くも、うだつの上がらない日々。ある夜、オヤジ狩りに遭い、病院で四十歳の誕生日を迎える。退院後は同僚の中谷美里なかたにみさとのイベントを手伝いながら仲を深める。ある日、ひょんな縁で空手に入門。週一しゅういちでも稽古は疲れ、空手は仕事に直結しないが、徐々にやる気を取り戻してひらけていくのを実感する。入門から五年後、遂に黒帯を受験し十人連続で猛者と闘う。一人目から倒されて心折れそうになるも、十年浪人したあの日を重ねて何度も立ち上がる。

※この小説は、創作大賞2024「お仕事小説部門」応募作品です。

第一話・オヤジ狩り

人生は一瞬でハプニング
それは奇跡の始まりだった

今夜も会社帰りに後輩たちから、行きたくもない飲みに誘われている。
「ガラケーさんがいないと盛り上がんないし、一杯ひっかけましょうよ!」
よく言うよ、と思う。これまで僕は飲みの席で一度も盛り上げたことなんてないのにさ。
僕には、相楽圭太さがらけいたという名前があるのに、ガラケーと呼ばれている。会社内ではほとんどの社員がそう呼ぶ。最初の頃はスマホの時代にガラケーだから、乗り遅れているアナログ人間みたいな印象を持たれているのが嫌だったけど、今では言われても免疫力がアップしたのかどうでもよくなった。
「今日は、やめとくよ」そう断っても、「やだあ。行きましょうよ」と女子社員から腕に抱きつくように引っ張られ、結局安い居酒屋に向かってトボトボ歩いている始末。飲み代を軽減するための人員として誘われているのは明らかでも、断れない僕も悪いのだから仕方ない。
今日のメンバーは、男性が僕と重岡正成しげおかまさなりで、女性が増山ますやまあずき、新人の村上聖子むらかみせいこの合計四人。僕がイベント制作部の所属で、重岡が広告代理店部、増山が総務部、村上がIP企画開発部だから、弊社の飲み会は、部署の垣根にこだわらないのが特徴でよかったりする。飲みの席で僕の役割は、部署内での愚痴や自慢話の聞き役に回っているので、たまには後輩たちの前で愚痴は言わずとも自慢できるような功績を言いたいのも山々だが…。
「俺の上半期の売り上げは、八千万ぐらいは達成したかな」
重岡が口角を上げながら、まるでゴジラの放射能攻撃のように口からタバコの煙を吐く。僕は、はいはい、と頷きながら宙に一直線に伸びた煙が消滅してゆくのを、ぼんやり見つめている。
「シゲさん、それって凄くないですか!そんなに稼ぐなら、ほかの会社からヘッドハントされちゃいそうですね!」
増山はすぐ大袈裟に持ち上げるが、その反面どこか嘲笑っているようにも見える。飲み会での配慮はある意味大事だが、心なき褒め言葉は本人を勘違いさせるのではないだろうか。今日この場で僕は黙っているけど、〝褒め殺し〟という育成法に否定的な見解を示す時がある。自意識過剰を増長させていると欠点や短所を克服しようとしないし、浮かれているとそのうち過ちを犯すことになるだろう、と目の前の光景に否定を投げかける僕の声が胸の内で流れている。だがそんな不服は、入社して社会で働くようになり、記憶に残るような褒められた記憶がない僕の嫉妬だったりするのも事実であり、ふと我に返って胸の内で流れる声の一時停止ボタンを押す。
「いやいや。まあ、来期はもっと予算引っ張ってきて、会社に黒字残すからさ」
企業がイベントにお金を出すのを渋る時代だから、後輩である重岡の頑張りは認めなければならない。だけど毎度のことだが、〝俺は稼いでいますアピール〟には、うんざりしている。このタイプの人間は、自慢話だからと言って無視や違う話に切り替えようとすると、たちまち不機嫌になり、飲みの席でのモラルを唱えたりエチケット談議に移行するので余計に面倒になる。
「担当者の世代が、団塊ジュニアでさ。〝今の若い奴らに比べれば、俺たちの若い頃は、怒鳴られ叩かれ痛い思いをしながら教えられた〟とかなんとか、いつも時代錯誤なことばかり聞かされて、メンドクセェよ。まあ、社内でネッスの担当は俺しかできないし、俺の代わりもいないからな」
 それが勘違いなんだよ! お前の代わりなんていくらでもいるわ! そう大声で叫んでやりたい。取引先のクライアント名は、『ネッス』というお菓子メーカーであり、インスタントコーヒーが代表的な商品。ネッスとの関係は、元々弊社の社長から始まっている。営業成績も上げずに暇を持てあましていた重岡が、たまたま担当に任命されただけの話なのに、自分が優秀だから抜擢されたと自画自賛しているから、もはや救いようがないのかもしれない。結局胸の内の一時停止ボタンがいつの間に解除され、不服の声は流れ続けている。
「あれ、ガラケーさん、どうしました?食べるのに専念しちゃて」
 増山が訊いてきた。重岡の自慢話を聞いている素振りを見せながら、村上が取り皿に分けてくれたサラダに箸を伸ばして食べていた。
「ちゃんと聞いてるよ。えっと、重岡はスゲェよなって」
「あざす!ガラケーさんの給料だって、俺が頑張って今より上げられるようにしますから、任せてください!」
 豚もおだてりゃ木に登るって本当なんだな。なんか、偉そうで上から目線に感じるけど、こんなに自信を持った発言ができるなんて今の僕にはできないし、できるような稼ぎがあったとしてもやりたくないから逆に羨ましい。
重岡の自慢話がひと段落し、次はいよいよ僕をターゲットにした先輩イジリに移行する。
「ガラケーさんの逸話だけどね、カレー食べてたら、前歯が四本も折れちゃったって、すごくない?」
ほら、始まった。僕の前歯は、差し歯。今でもグラグラ揺れているから、固いものは食べないようにしている。
「へぇ、どんなカレー食べたんですか?」
 予測通り、村上が興味津々だ。
「いやいや、ただのレトロのカレーだったけど、勢いよくスプーンを噛んじゃったら折れたんだよ。虫歯をほっといたのが原因でさ。それに、浪人時代は、食事も偏り気味でカルシウムが不足してたから、食事はバランスよく採らないとね…」
 ここで僕が、『浪人時代』を口走るのがパターン化されている。
「そうそう。こう見えてもガラケーさんは、医者を目指してたんだぞ」
 重岡が浪人時代を切り抜いて触れる。
「えっと、獣医になりたかったんでしたっけ?」
「ちがうよ、小児科だよ!お前には、何十回も言ったぞ」
「あ、そうでしたね、ハハハッ」
 僕が小児科の医者を目指していたのを知ってて、わざとボケる。これもお決まりのネタになりつつある。
「さてさて、問題です。ガラケーさんは、医学部受験で、何年浪人されたでしょうか?」
 増山がクイズ番組の出題者のように、村上に問いかける。
「そうですね、う~ん、二年とか三年?」
「ブーっ!」左右の人差し指をクロスさせて×を作った。
「正解は、十年でした!」
「え―っ!十年って、十浪!」
 村上が驚く。眼球に付けている水色のカラコンが落ちそうなほど、目の縁を開いている。
「それって、本当ですか?」
 僕は視線を床に落として、うんうん、と顎を引いている。将来の夢を諦めずに医学部を目指していたら、十年が経過していたのだ。
「じゃあ、予備校にも十年通われたとか?」
「いやいや、四年かな」
「それも長いですね」
 たしかに長い。諦めが悪かっただけの人生。現役で合格した同級生たちが四年間の大学生活を過ごしている時、僕は予備校生だった。彼らが卒業して社会で働き始めた頃、予備校は辞めたけど、まだ浪人生活は継続していた。
毎回飲みの席で、十年浪人をネタとして持ち出されると、地球を逆回転させたようにあの頃の記憶と気持ちが蘇ってくる。表面では笑っているけど消えない心の傷跡に変わりないから、少しぐらい僕の気持ちを察してほしかったりする。忘れたくても忘れられないあの頃があるから今の僕がある、なんて堂々と言えたもんじゃない。アルコールが体内を駆けめぐり、余計に熱くなった感情を今夜も抑制している。
「社内でガラケーさんは、愛されキャラなんですね」
「愛されキャラ、ウケる!」
村上のひと言で、重岡と増山が両手をパチパチ叩いて大笑いする。重岡なんか、タバコの煙で蒸せて咳き込む。入社して間もない村上からも早速イジられる始末。世の中に存在する〝愛されキャラ〟と呼ばれる人の特徴には、一緒にいると幸せな気持ちにさせてくれる人が多いらしいが、僕は後輩たちから飲みの席で笑われるためのネタ的な存在。だから相楽圭太という存在によって、一瞬でも誰かが幸せであればいい、なんて嘘でも口に出せるほど僕という人間は立派でもない。ズボンのポケットからスマホを掴み出して時間を見たら、終電が迫っていた。
「明日早いからさ、ぼちぼち出ようか?」
 画面の片隅が小さな蜘蛛の巣みたいに割れている僕のスマホを見た村上が、
「ガラケーさんもスマホなんですね。てっきりガラケーを使い続けているからガラケーさんって呼ばれていると思ってました」
「よく言われるし、そう思われているけど、ちがう。〝相楽圭太(さガラケイた)〟を略してガラケーだよ」
「本来ならガラケイじゃないですか?」
「そうだけど、ガラケーの方が世の中的に馴染まれているから、みんなそう呼ぶよな。まあ、ほらキムタクだって略して呼ばれてるし、ゴマキもそうじゃん」
 ここは笑うところなのに、重岡と増山は聞いていない素振りをしてコートを着て帰り支度をして、「ああ、そういうことなんですね」と村上が笑うわけでもなく、もうどうでもいいや、みたいな関心薄れている様子に、なんだか虚しさが芽生える。
結局つまらない飲みの席は、三時間ほどで終わった。会計二万四千九百円のうち、一万円を僕が出して、残額を三人が均等に割って支払いを済ませた。近年会社の人間たちと楽しく酒を飲んだ記憶がない。僕は料金をいつも多めに払うことで、ちっぽけなプライドを維持しているつもり。そんな気持ちなど一ミリの関心もなく、ありがとう、のひと言もない後輩たちの礼儀知らずは、どうかとも思う。店を出て、三人とは逆方向の駅に向かって歩いた。

帰りの電車の中、ため息が止まらない。周囲の乗客たちが、ため息を繰り返す僕に対して、こいつ吐くんじゃね、息クサぇぞ、みたいな嫌悪感丸出しの表情を浮かべている。各駅停車の満員電車は、一駅ごとにドバっと下車したかと思えば、またドサッと乗車してくるので常にギューギュー詰めの状態だ。吊り革を握って揺られている僕は、ただでさえ息苦しい空間の中で、頭がボーっとしてきた。このままじゃ立ったまま眠ってしまいそうだ。まぶたを瞬かせて、首を小刻みに振って意識をはっきりさせようとする。電車が急ブレーキ気味に停車した。人の波が押し寄せるのを、全身に力を入れて踏ん張った。その時、
「あのう、降りますから、ちょっと退いてもらえません?」それまで半分眠っていた目の前に座る男性が立ち上がり、僕の肩にぶつかった。僕の中の線が音を立てて切れた。
「おいコラッ、なにぶつかってんだよ!舐めてんのか!」
 ついつい怒鳴り声を上げてしまった。満員電車の走行中は、常に横揺れ状態が続いていたので、目の前に座っていた男性に体当たりしないように、全身に力を込めて吊り革を両手で握りしめていた。見ず知らずの人間のへの配慮も知らずに、ちょっと退いてもらえません? とかもっと丁寧な言葉遣いはあるだろう。おまけに肩にまでぶつかるなんて、そらキレるわ。
「ああ、す、すみませんでした」
 目玉が零れ落ちそうな程大きく見開いた男性は、満員電車の人混みを、焦って掻き分けながら停車駅で降り去った。他の乗客たちからも注目を集めている僕は、なんか文句あんのか、と言わんばかりに周囲を睨みつけた。すると、みんな慌てて視線を逸らした。どいつもこいつも根性なしじゃねぇの、このビビりが! 今の僕の形相は、おそらく迫力満点なのかもしれない。中高校時代の友人たちが不良漫画のキャラクターに影響されている姿を見て、僕にはあんな怖い顔なんて到底できないと思っていたけど、なんだろう、この爽快さは。こんなに感情を爆発させたのは、いつ以来かな。いや、今日が初めてだ。たまには、人目を気にすることなく溜めているストレスを発散させてみるのも悪くないな。現代社会はコンプライアンスの厳格化が年々進行しているので、痛みで社会の良し悪しを学ばれた世代にとっては生き難い時代らしい。今夜の飲み会で重岡も言ってたけど、団塊ジュニア以上の世代には、面子を潰される言動に敏感な人を多く見かける。僕が入社した時代には、まだまだ社会にパワハラが人材育成の教養として存在していた。実際に言葉で殴られるのは日常的で、頭を引っ叩かれる時だってあり、その瞬間は嫌だったけど、後に振り返ると成長させてもらえたと思えていたりする。一方で僕らより下の世代には、団塊ジュニア世代以上の人を、SNS社会に適応できない老害と陰口を叩いている連中もいる。この人間模様はウチの社内でも見かけるし、他社の人からも聞く話。やっぱりハラスメントは嫌だけど、その撲滅運動が、年長者や上司へのリスペクトを失わせているだけではなく、苦痛から守られているのをいいことに舐め腐った態度をとる人間を量産しているデメリットも発生させている気がする。僕は日頃から抱えているモヤモヤした胸の内も含めて、今さっき肩にぶつかった男性に発散してしまったのかもしれない。目の前の空席には、誰も座ろうとしない。それは僕にビビッているからだ。堂々と腰を下ろして最寄り駅への到着を待った。

~まもなく元町中華街駅、終点です。山下公園最寄り駅です。お出口は右側です~

パッと目が覚めた。あら、やっちまったよ…。僕が下車する駅は、とっくに通過していた。これまで何度か寝過ごしはあったけど、さすがに終点の元町中華街駅まで来たのは初めてだ。慌てて折り返し電車を確認した。が、すでに最終電車も終了していた。
タクシーで自宅まで乗って帰ったとしても、深夜料金が加わって一万円を超過する。そんな高額なタクシー代の領収書は、経費では落とせる自信がない。しかも、財布の中の所持金は、千円札が一枚だけ入っていて、今日の飲みの席で一万円も払ってしまったから、給料日までの生活費が大変苦しい。
スマホで地図アプリを開いて、自宅住所を入力して経路を検索した。徒歩移動時間が、【四時間二十三分】途方もない数字が表示されて目眩がした。いくら運動不足を解消のつもりとポジティブに考えようとしても、さすがに酒が入っている今日の体で四時間以上も歩き続けるのは、逆に疲労困憊で倒れそうだ。
明日の午前中から、浜松町のラジオ放送局で大事な新規イベントの打合せが控えているから、遅刻は絶対にダメなのだ。二月下旬の真夜中の野外は強烈に寒いので、公園のベンチで横になっても寒さで眠れそうにもないはず。ならば朝まで営業しているファミレスを探して、ドリンクバーを注文して仮眠しよう。そして、スマホでタイマーをセットして、始発電車に乗って帰宅すれば問題ないかな。現時点から近い場所で、朝まで営業しているファミレスを検索した。朝五時まで営業している店が見つかったけど、三駅分の距離を歩かねばならなかった。地図アプリに表示された経路に従って道を歩いてみるものの、海近くの風がやたら冷たいせいで、酒の酔いすら醒めてきた。ひたすら歩く途中、のどが渇いたのでコンビニに立ち寄った。暖房がきく店内の温かさに朝まで浸っていたい甘ったれた気持ちを振り切って、レジで会計を済ませて、店の外で炭酸水をグイっと飲み干した。その他二本買ったホット缶コーヒーをズボンの両ポケットに入れて、カイロのつもりで手を温めた。コンビニの駐車場には、車高の低い赤のセダンと原付バイクに乗った若者たちが集まっていた。茶髪のロン毛や、短髪刈り上げとか今どきのヤンキーっぽい若者たちと視線が合った。僕を睨みつけている奴もいれば、くわえタバコを吹かしながら薄っすら笑いを浮かべている奴もいた。怖さは感じない。僕らが小中学校の時代に見かけた高校生の不良には、パンチパーマに剃り込みとか本物のヤクザと思える程の迫力が備わっていた。僕らの同世代の暴走族とかと比較しても、今どきのヤンキーたちは中途半端なイケメンで生意気なヤツぐらいにしか見えない。ムカつく気持ちを抑えつつ、中途半端なヤンキーたちの気配を気にしながら横切ると、誰一人としてイチャモンつける奴もいなかった。
ファミレスまでの到着予想は、徒歩であと二十分ほど。実際に歩いてみると、体も温まってちょうどいい運動になっている。すると、ブォブォブォブォーン、ブォブォブォブォーン、背後から真夜中なのにうるさいエンジン音を鳴らしながら車と原付バイクが接近してきた。アルコールが体内に残っているのも影響して頭が痛くなりそうな音だ。周辺には住宅もあればマンションも立ち並び、窓灯りが点いていたり消えていたりするのに、迷惑そのもの。二人乗りしている一台の原付バイクが速度をゆるく僕の右側を通過してゆくのを目で追いかけていると、急に反転して停車して僕の歩行を妨げた。もう一台の原付バイクにも二人乗りしていて左側に停車して、アクセルを回してエンジン音を鳴らし続けている。ヘルメットを被っている奴、被っていない奴といたが、それは、コンビニの駐車場に集まっていたヤンキーたちだった。背後で車が停まり、エンジン音が消えドアが開き、車の中から人影が浮いて見えてきた。僕の目を潰すようなライトで囲まれ逆光ではっきり顔が見えないが、目算で人数は九人。その中には女の子もいる。原付バイクのエンジン音も消え、奇妙な静寂が訪れた。
「テメェさ、さっき、俺たちの顔チラチラ見てただろ?なんか文句あんのか!」
「は?文句なんかないよ。退いてくれないかな。明日早いんで」
絡むんじゃねぇよ。もう、メンドくさいな。いつの時代も女の子の前では必要以上に威勢の良さを見せようとしている若者がいるのかもしれない。だけど、僕みたいな普通の中年にイチャモンつけたところで、カッコイイとか強いとか思われるはずもないのに、気持ちが若いな、青春してるな、と笑いを堪えてヤンキーたちの間をすり抜けようとした。が、肩を掴まれて簡単に引き戻され、足元がドタバタと縺れそうになった。
「オッサン、話終わってねぇし。ナメてるとフルボにしちゃうぞ」
 こいつら、なんなんだ。〝フルボ〟ってフルボッコのことか? それよりも、まだギリギリ三十代の僕は、『オッサン』と言われてムカついた。
「あのね、君たちさ、たった一人を大勢で囲むなんて、卑怯だと思わないか」
 ぼちぼちキレますよ、という雰囲気を漂わせながら言ってみた。
「このオッサン、逆ギレしそうだよ。笑っちゃうよな」
 嘲笑するヤンキーたちには、中途半端では通用しなさそう。だったら、腹の底から大声を出して、一喝してみようかな。ついさっき、電車の中で張り上げた大きさぐらいの声を出したら、きっとビビるはずだ。
「人がおとなしくしてりゃ調子こきやがってよ。いい加減にしねぇと」
その時、背中に、ドスッと鈍い衝撃を感じた。目の前が揺れた、と思った直後、僕は宙に浮いた。
「痛っ!」前のめりに倒れ、アスファルトにダイブして、顔を打ちつけた。
「逆ギレの罰だよ」、「貫禄ゼロだし」、「頭おかしくねぇ? よくもまぁ、この人数に喧嘩売ろうって気になるよな」とヤンキーたちの見下す声が降り落ちる。
「うっ!うぐぐっ」腹部に蹴りがのめり込む。ミゾオチに当たって、息ができない。食べたり飲んだりしたすべてのものを吐き出しそうだけど、吐き出せない気持ち悪さが伴う。
「ねぇねぇ、顔の怪我、ヤバくないかな?」
 女一人が、僕の顔にスマホのフラッシュライトを照らした。
「おいおい見ろよ!このオッサン、前歯ねぇから」
「ホントだ。ウケる!」
 差し歯が取れてしまった。
「このクソガキがぁ!」
 人が気にしている肉体的部分をバカにする奴らは許せない。アスファルトに這いながら、無我夢中で相手の足にしがみついた。
「きゃあ!キモッ!」暗かったので僕の両腕は、女の足首に抱きついてしまった。
「人の彼女になにしやがんだ、ゴリャ!」
 また腹部に強烈な一撃を打ち込まれた。悶絶する僕の顔をフラッシュライトで照らしながら、「キャッキャ」と冷ややかな笑い声が囲んだ。
「せっかくだからさ、オッサンの財布の中、チェックしとこうぜ」
「そだね。有り金みんなもらっちゃえ」、「ほら、おとなしく寄こせよ!」ヤンキーたちは、容赦ない蹴りを何発も放ちながら、僕からショルダーバッグを奪おうとする。顔を踏みつけられ、複数で両腕を掴まれて、ついにショルダーバッグを手放してしまった。
「や、やめろ…、かえせ、か、え、せ」
 ちゃんと声が出ているのか自分では分からないが、ひたすら叫び続けた。ヤンキーたちがバッグのファスナーを開けると、逆さにして中身を振り落とした。手帳や営業用の紙資料がボトボト音を立ててアスファルトに落ちた。「見っけた」金色の財布を拾い上げ、中身を確認して、「マジか。千円しかねぇし」、「いまどきのサラリーマンの稼ぎって、こんなダッセーのかよ」「財布の色とは、大違いじゃん」
 あの財布は、弟夫婦が昨年の誕生日にプレゼントしてくれた品物だった。値段は知らないけど、金運がよくなりますように、と願いを込めて買ってくれた財布だった。
「まぁ、金だけもらっとこうか。あとはいらねぇから」千円札を一枚だけ抜き取り、クレジットカードや保険証を周辺にまき散らした。その後、財布を野球のピッチングのように放り投げた。どこまで遠くに飛んだのだろう。アスファルトに落ちた音は聞こえなかった。
「オッサンのポケットに、なんか入ってるぜ」
 ヤンキーたちが、僕のズボンのポケットに手を入れて、缶コーヒーを抜き取った。
「なんだ、金じゃねぇのかよ。飲む?」、「パス!加齢臭しそうでキモい」、「じゃあ、いらねぇな」タブを開け、コーヒーの液体を僕の顔に浴びせかけた。
「ぶわっ、ぶわっ」鼻から口から液体が入って、咳込んでしまう僕を見て、腹を抱えて笑う。これはイジメだ。腹部を蹴られた痛みが緩和されてゆく変わりに、意識が薄くなっていく。このまま死んじゃうのだろうか。
 その時、パトカーのサイレンが聞こえた。
「やべぇ!警察に通報されたっぽい!」、「逃げろ!ダッシュ」ヤンキーたちは、車と原付バイクに乗って、一目散に逃げ去った。僕は追いかける体力も気力もなく、無残な姿で倒れているままだ。
 サイレンの音が大きさを増す。

~そこの君たち、停まりなさい!逃げないで停まりなさい!そこの君たち!~

 どうやら警察が追いかけっこしている。あいつら捕まったのかな。捕まってほしい。こんなひどい目に遭うのは、僕だけで十分でしょう。それにしても、冬のアスファルトは、とても冷たい。一週間後に、四十歳になる僕だけど、生きていれば病院で誕生日を迎えるのかな。
「大丈夫ですか?しっかりしてください」
 救急隊員が駆けつけて声をかけてくれた。うつろな目で見渡したら、警察官の姿もチラホラ見えた。全身の痛みを我慢して夜空を見上げると、パトカーと救急車の点滅灯で空が赤く染まっていた。
「これは、あなたの物ですか?」
 警察官が手に持っていたのは、金色の財布だったので、「うん」とうなずいた。見つかって本当に良かった。あの財布を失ってしまったら、弟夫婦に顔向けできなくなるので、これで安心だ。僕の体は、担架に乗せられた。明日の午前中の打合せは、もう無理だ。申し訳ないけど、救急車の中で眠ることにした。

第二話につづく

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


第二話以降のリンクは、こちらから↓

第二話・小児科医への憧れ


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?