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今の時期だからこそ必要な”学び”

今回は、最近私自身が挑戦して感じたことについて記していきたいと思います。

私はこれまでコーチングについて学び、現場でどのように活かし競技力(主に剣道)を向上させるか(あるいは自分がするか)ということを考えてきました。


コーディネーショントレーニングも『いかに剣道の動作をスムーズに習得できるか』という考えから、まずは自分が学び【率先垂範】をモットーにオランダのキッズを対象にオンラインで実践をしてきました。


そして、「今できることを一生懸命にやって強くなるんだ!」という

オランダの子ども達の前向きな姿勢から私はあることを考えさせられました。それは、

競技力が向上する(剣道が強くなる) = 人間性が向上する


というバランスのとれた指導(教育)が世の中ではどれくらい実践されているのだろう?ということです。

これは剣道に限ったことではないですが、指導の中でそのスポーツの競技力を向上させることに固執した場合、指導をする側も受ける側も何かが疎かになってしまう場合が時々見受けられます。

指導者は優位な立場を利用し、体罰、パワハラ、セクハラ、モラハラなど、指導の中で競技とは関係のない人格の部分を否定してしまうことで、競技力を向上させる以前に個人の可能性を紡いでしまっていることがあります。


剣道は【人間形成】が目的とされる武道です。しかしながら、最近では剣道の指導者が問題を起こしてしまった事例がしばしばニュースで取り上げられていました。そんなニュースを目にした時に私は「自分のことも管理できない人間が子ども達に何を指導するんだ?」と強い憤りを覚えました。

そして、今大変な世の中で多くの試合などがなくなっているからこそ、私は剣道が持つ教育的意義を見直したいと思うようになりました。


そこで、専門的に教育に関する知識を学び直すため、某研究機関を受験しました。受験に際し、現代の教育における課題、withコロナ時代における教育の在り方、国が目指す教育の目的など、改めて教育に関する勉強をして受験に挑戦しました。

教育について考える時間が増えたことで、同時に考えの伝え方表現方法子ども達に対する視点なども改めて考え直すことが多くなりました。教育とコーチングは同義に捉えられがちですが、似て非なるものです。


コーチングのコーチ(coach)とは元々馬車を表しており、馬車で人を目的地まで運ぶ様子から、ある目的に向けて人を導く人を表すようになりました。つまり、良い成績や結果を挙げるために必要な知識や技術を教授することが目的となります。

一方教育とは、望ましい姿に変化させるために心身両面にわたって、意図的、計画的に働きかけ、その人の持つ能力を伸ばそうと試みることとされています。教育は最終的な目的が結果ではなく、その人の持つ可能性を最大限に伸ばすという願いが込められています。

これからは剣道界全体が、剣道のコーチングをして競技力を伸ばすという視点だけでなく、『教育の手段として最も有効なものが剣道』という認識であってほしいと思います。


さらに、たとえ試合が開催されなくても、頑張ってきた練習の成果が試合で発揮できなかったとしても、【剣道】というものが個人の教養を深めるものであってほしいと思いますし、パフォーマンスと人格のどちらも向上させれるような教育的指導がもっと広がっていってほしいと思います。

私は今回、自分が新しい分野に挑戦したことがきっかけで「これからの社会に必要な教育や学び」について深く考えることができました。


これからの時代は「0から1を生み出す力」が重要となります。それは与えられたことを正確にこなすことが求められてきたこれまでの時代に比べ遥かに難しく、個々の力が試される場面が増えていくことを意味します。


これからも、どんな状況下であっても常に私自身が学ぶ姿勢を持ち、教育に携わる人間の一人として【率先垂範】を心がけ剣道を通して子ども達の教育や社会の役に立てるように頑張りたいと思います。



やるもやらんも自分次第







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