忍び寄るあの魔物との付き合い方

私も気づけば、アラフィフ。

正直、40歳を過ぎてから年齢なんて数えないでもいいや、くらいの感覚でしたが、なんだか40歳という響きと50歳という響きは、似て非なる不協和音を心の内に響かせますね。

というのも、いろいろな本に書いているのですが、この年齢になってくると、否応なしに、これまで目を背けて逃げていた現実や自分の都合のよい解釈で見てみないふりをしてきた現実という魔物が、ドラクエばりに目前に現れ、迫ってくる。しかも、現実という魔物は倒すことはできず、逃げても追いかけてくる。こんな恐ろしい魔物は他にいない笑

両親も70歳を越えて、いつも心配ですし、
僕は結婚していますが、子どもがおらず、そして一人っ子(ついでにバツイチときたものです笑)なので、親の面倒や家を自分の代でなんとなく絶やしてしまうことに、後ろめたさというか、なんとも言えない気持ちが最近は募ってきます。仕方ないことだし、僕という一人の人間が選んだ人生の選択なのでとやかく言われたくない!なんて内心強がるのですが、現実という魔物がその心を見透かしてくるわけです。本当に厄介な強敵です。

では、どうしたらいいのかとあれこれと考えるのですが、結局、現実を受け入れるしかない。現実という魔物と共存していくしかないという結論にしか至らないのです。

現実と共存するってどういうこと?
現実という魔物が喜ぶことって何だろう?
と思いを巡らすのですが、果たしてこれといった明確な結論が浮かぶわけでもありません。
では、現実という魔物さんはいったい何のためにやってくるのか?
と、また問いを立てるわけです。

人間は、頭の中で夢を見るし、想像もできるし、理想も描くことができる。
空想の中では、空だって飛べるし、宇宙にも行ける。
これは、他の動物にはできない、きっと人間にしかできない才能なのだと思います。

でも、夢や理想はポジティブに動くときはよいですが、現実を自分の都合のよいように解釈して、何ともあり得ないような未来を想像することだってできるわけです。そうやって現実から遠ざかろうとする人間の弱さも助長するネガティブな働きをすることにもつながると思うのです。

そうすると、一時期は現実という魔物から逃げたように感じるのですが、実は現実という魔物は常に私たちを尾行し、ここがチャンスととらえると、私たちの心に一気に迫ってきて、それに恐怖するわけですね。
ただ、見方を変えると凧のように空に舞い上がり、途方もなくあちこちと飛んでいってしまいそうなところを地上に引き戻してくれる糸になってもくれる。

長々と書いてしまいましたが、結局何が言いたいかというと、
現実から逃げるから怖くなるのであって、現実を受け入れ、可愛がれば、きっと「現実と向き合う」という対比構造ではなく、「現実と生きる」という同化構造に変わっていき、敵対しなければ、恐怖もなくなるのではないかと思うわけです。

今日から現実を仲間にして、ドラクエ的にいえば、現実というパーティを連れて、人生という広い草原に旅に出ようと思う、昼下がりの、曇った日曜日でした。


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