プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その7 最終回

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』が到着して聴いてからのレビューを連載する。今回は7回目、最終回となる。

到着前に憶測レビューしたのはこちら(一部加筆訂正済)。

https://note.com/tomohasegawa/n/n6cebb33dfea0

Born 2 Dieのレビューはこちら。

https://note.com/tomohasegawa/n/nfae311749749

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その1

https://note.com/tomohasegawa/n/n96facb6a5dc0

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その2

https://note.com/tomohasegawa/n/n57705e9eb9e2

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その3

https://note.com/tomohasegawa/n/n392ca4b547e9

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その4

https://note.com/tomohasegawa/n/n834f996abc72

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その5

https://note.com/tomohasegawa/n/n26ae1598f062

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その6

https://note.com/tomohasegawa/n/n8c5ca0fd6e89

1010 (Rin Tin Tin) (4:42)

時期こそ2010年3月から4月のペイズリーパーク録音、しかしタルとクリスがおらずボーカル、楽器全てプリンスによるもの。モーリス・ヘイズの存在もない(よってコ・プロデュースもされていない)。コーラスはシェルビーら3人組がいるが、本来このワンマン・スタイルこそがいつものプリンス。寧ろ『Welcome 2 America』がトリオによる録音を基本としていること自体が異質なのだ。一緒にプレイしている人間にどのような音楽を作っているのかを秘密にしているプリンスもある意味らしいのだが、バンド・アンサンブルがそれで生み出せるのか、という最大の難点がある。しかしそこはプリンス、今まで聴いてきて全くの違和感を見せていない。しいて言えばホーン・セクションが一切入っていないこと。まあこの辺りはプリンスの気持ちがそうであったというだけで説明は出来てしまう。先のアルバム『20Ten』でも「Compassion」以外ホーン・セクションは入れていなかったし。

長谷川はノリノリのダンス曲を期待していたのだが意外にも哀愁のサウンドで始まる。“全ての女性へ、そして男性へ。僕らがいる今以上におかしなことなんてあるだろうか。地震、洪水、同族の者たちよ皆急げ。リンチンチン、ローンレンジャーを呼ぶんだ”。

悪を滅ぼしてくれるローンレンジャーを呼んでくれとリン・チン・チンに頼む。ローン・レンジャーとリン・チン・チンはラジオ・テレビ番組、映画とあらゆる形で公開されている有名人(と犬)だが、それぞれは関連のない別番組の出演者(と犬)だ。ここでは差し詰めコラボとでも言うべきか。ローンレンジャーを主人公としての曲設定なら愛馬シルバーがリン・チン・チンであった方が通りが良いはず。しかしそこはどうしてもリン・チン・チンでなくてはならない理由がある。大体タイトルが「1010(リン・チン・チン)」なのだから。ローンレンジャーのいたテキサス・レンジャーはアメリカ先住民族の襲撃に対抗するために作られた自警団だが、白人至上主義的と言えるローンレンジャーを曲に入れ込む意図は何だろうか。オーロラ社からプラモデルも作られたほどの人気だったローンレンジャー、アメリカのヒーローの典型として肌の色は関係ないということなのか。

“骨髄に向かって、時の砂漠の中、水のように流れる。乾いた喉を素直に潤すように、盲者のように素直に見る、心の眼。僕らはファンクに心を委ねなくてはならないね”。

プリンスがシェルビー達によく言っている心得があり、それは“水のように身を任せる”というもの。それが歌詞に登場している。ここでThe Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストのインタビューを紹介したい。

クリス:プリンスはオールド・スクールなんだ、旅行予定表のように動くのではなく、流れに身を任せるというか、僕らはプリンスの遊び場にいるような感覚、そしてプリンスには特別な流れがあると感じられるんです。そして同じことをすることに価値があるんだと。心から演奏すること、ファンキーにすること、クールで、楽しく、人間が演奏をする、これらのことを繰り返すことがね。

アンドレア:シェルビー、何年もの間ペイズリーパークに来る沢山のミュージシャンのプレイをフロントロウのシートで観ていたと思うんです。プリンスとの仕事で学べることで共通なことってありますか。クリスも言っていましたが、プリンスが良く“Be like water 水のようにあれ”と言っていたと。

シェルビー:プリンスは私にいつもそう言っていたわ。シェルビー、ただ身を任せるんだ、色々考える必要はないよ、上手く行くように、もう君は学んでいるんだ、水となっているんだ”って。私の人生のアプローチの仕方になっているの。彼の声が聞こえるのよ。何か物事を進めていく時、ちょっと込み入っている時とかにね。“水のように、わかる?流れに任せるんだ”って。直ぐにリラックスしてくるわ。私が貰ったアドヴァイスの最高のものよ。

歌詞の訳を続ける。“神の息子たち、人類の娘たち。凋落の始まりより現れた人類同士の争い。僕らがまだ理解できていない遺伝学をどう扱おうか。きっとバンドの音を聴くべきなのだよ、バンドの”。

ここで少し音が弾み出して活気づくものの哀愁さは尚持続している。この歌詞の後、リンチンチンにここは呼んでもらうしかない、と懇願気味なプリンスの声が入る。タイトル「1010(Rin Tin Tin)」のリンチンチンは1010ということだと。1010はエンジェルナンバーで、“神の導きにより正しい道を進むには、たゆまぬ努力が必要”、という意味を持っている。“またバンドの音を聴くべきなのだよ”と威厳があるように訳してみた。実際少し威張り気味のプリンスがそこにいるので。

“デジタル生活におけるアナログ人。情報過多なのにはただただ心配、恐ろしい。全てが同質、同一となって、価値なんかない。ここはひとつファンクに心を委ねなくては”。

情報過多、「Welcome 2 America」にも出てきた言葉だ。そしてどこかPファンク的思想を展開するプリンスがいる。エディ・ヘイゼル辺りを感じさせなくもないワイルドなギターを絡めつつ、リンチンチンと更に呼び続ける。因みにパーラメントの「P. Funk (Wants To Get Funked Up)」が「Welcome 2 America」に似ているとprincevaultにある。実際にその陰鬱なサウンド、We-Funkという(仮想)ラジオ局にようこそ、といった語り口調は踏襲しているといって良い程だ。しかし“俺のファンクをPファンクにしたい、僕のファンクをノーカット版で広めたい、ファンキーに盛り上げたい”というサビの部分は寧ろこの「1010(Rin Tin Tin)」に近いものがあろう。

“君が命令する側でも騙される側でも同じ、いつ株を買うか探してる。君は雇用者の時計の中で動いている秒針みたいなものさ。水のように身を任せるのがベスト。ロックじゃ振動しない、なら原子が振動するその間、ベートーベンとバッハの間で僕と会おう。”。

stockを株、clockが時計、rockをロックと、それぞれで韻を踏んでいる。原子が振動することで熱を発生するので、ロックよりファンクという意味合いで訳してみた。この曲の通底しているテーマは、ファンクが僕らを救う、だから。でもベートーベンとバッハの間にあるのはファンクなのかどうか。『Welcome 2 America』のスーパーデラックス・エディションのブックレットで、ベートーベンとバッハのコーラスの部分はイギリス人のアクセントで行うようプリンスから指示されたとあるのだが、その方がファンキーだろ、という含みがあると長谷川は考える。またそのブックレットで、コーラスの女性たちにこれからレコーディングする曲の歌詞が配られることもあったそうで、リヴは歌詞をとても重視するので、プリンスの頭の中がどうなっているかが分かって皆で驚いていた、とある。彼女たちにある種難解な「1010 (Rin Tin Tin)」の意味を是非いつか聞いてみたいものである。

“嘘に満ちた荒野に置き去りにされたあなたを導いてくれた高貴な人への信頼。君の教育者でもある彼が、時の真実へと君を今連れていく。そんな真実なんてあるのか”。

高貴な人は神であり、ファンクを示している(のだろう)。時の真実は1010が10時10分を指すという意味と符合はしている。しかし正直この辺りは全く意味が分からない。長谷川もプリンスの教えに従って、分かったような気になって水のように身を任せてみる。すると先にレビューした「1,000 Light Years From Here」で紹介したコーネル博士の言葉がもう一度蘇ってきた。

コーネル:そんな悲劇の真っただ中でも、プリンスのように、そしてブラック・ミュージックの伝統的人物達のように、彼らはどこかへ私達を連れって行ってくれるのです。ステイプル・シンガーズ、そしてカーティスへと繋がる流れ、どこへ?深い愛の場所、勇気、コミュニティー、喜び、楽しみの場所へ。ファンクを私達はまやかしのものには絶対にしません。いわばプリンスは伝承の流れの中にいてアメリカの欠陥を示したのです、動き示し続けたのです。

歌詞の訳を続ける。“何も知らない、リンチンチン、ローンレンジャーに訊いてよ、リンチンチン、同族達よ、急いだ方がいいぞ、僕らはファンクに心を委ねなくてはならない”。

何を急ぐべきなのか。時の真実へ向かえということか?でもなぜローンレンジャーへ尋ねるのだろう。ヒーローならこの謎を答えてくれるとでも言うのだろうか。そもそも白人のローンレンジャーはファンキーなのだろうか。

“陪審員がきて、善悪についての話をする。奴らの目に嘲笑が見える。権力を行使しているんだ。時計をチェックして。誰か僕に本当の時間を教えて。What time is it?奴らもファンクに心を委ねないといけないね”。

2010年12月10日のWBLSのラジオ・インタビューでプリンスが、“時計のサンプルはいつも10時10分を指しているよね、1010だ”、と自分の時間の使い方が人とは違うという説明をしようとした際にそう語っているのだが、1010は時計の10時10分、そしてそれがreal time本当の時間、そしてエンジェル・ナンバーでもある、ということになろう。What time is it?はザ・タイムのセカンド・アルバムのタイトルだが、今は何の時間?ファンクする時間!、ということでもあり、この曲がファンク礼賛である、ということは理解できる。しかし曲全体からは、体を動かしたくて仕方がない、そんなファンクの魅力があまり感じられない。終末思想なんか踊って吹っ飛ばせ的「1999」の持っていたダンサンブルさとは対の位置にあるような曲である。ファンク的要素を入れ込んでも無意味に踊らせてはくれず諭す方を優先する、プリンスの新機軸のファンクを提示しているのかもしれない。

Yes (2:56)

ペイズリーパークのテープを撮影した写真の中に2010年3月15日とあり、それが録音日だと思われる。この日は「Welcome 2 America」を作っている一方「Dance 2 The Higher」という今回の『Welcome 2 America』に未収録のトラックも作られている。ザ・ファミリーの「Yes」とは異なるこの「Yes」は大変躍動感のあるトラックだが「Yes (mid tempo)」という曲も3月15日のテープに収められている様子で、ゆったりとしたテンポのオルタネイト・ヴァージョンも同時に作っていた。もちろん今の時点ではそれは未発表となる。タルがベース、クリスがドラムのいつもの『Welcome 2 America』セッションのトリオで、後に2010年3月から4月に(後述するインタビューでも言われているように)大変印象的なコーラスが録音されている。尚同じ年の春にモーリス・ヘイズのキーボードが加えられている、つまりコ・プロデュースがされているとprincevaultには記載されているが、『Welcome 2 America』のブックレットにはモーリスの名が一切ない。コ・プロデュースもされていないとしている。

跳ねるドラムが突き進み高揚感を演出する。プリンスも歌っているものの寧ろ煽り役で、主軸はシェルビーらの女性陣だ。エリッサの声を特徴的に強調したりして彩りに変化を与え、チアガールの応援のようなコーラス・ワークが展開されていく。

ここでこの曲のエピソードがThe Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストで語られているので掲載する。

アンドレア:そしてプリンス、タル、クリスはライブのトリオとしてレコーディングしたと同時にトリオのヴォーカリストとしてパート毎にレコーディングさせるべくリハーサルをしたと思います。NPGのヴォーカリスト、仲間としてそのセッションで思い出されることを言ってください。

シェルビー:じゃあ始めましょう。「Yes」の音の調子を覚えてますか?プリンスは私達に音程を保っているようにと指示していたわ。なぜなら同時にマイクを前に沢山のヴォーカルを入れなくてはならなかったから。アレサ・フランクリンが歌ってる時にコーラスが音をしっかり捉えているように、エリッサは入れてない、リヴは入れている、マイクの前で3人が上手く歌えるように。

エリッサ:1人失敗したら他の2人はやり直しということになるんです。

リヴ:エリッサの隣にいるとわかる、エリッサは笑ってるのよ、歌っている時。私はいつも彼女を見ているの。

シェルビー:「Yes」の最後のイエー、ィエイ、ィエイ、ィエイ、ィエイ、ィエエェーと変化していくけど音程とブレスを外さないように指示されて、息をする場所はどこにしようか探したわ。私の人生ではそんな長いロングノートはそれしかない。

リヴ:彼が私達の前で歌を見せて、さっと、さあどうぞ、って言って、え、これ出来ないの?ってのがあったでしょ?

エリッサ:あったわね。

シェルビー:私達が出来なさそう、でプリンスは出来る、ってなって、私があなた達に歌って見せるのよね。

リヴ:私はそこで、まあ!ってなって。

シェルビー:もっと息しないと、肺活量を鍛えるんだ、そうプリンスが言っているような気がして。彼が音をキープして欲しいってわかっているから、私達皆そうしたの。レコードの「Yes」のイエーの部分を是非聴いてみてくださいな。

さて歌詞を見ていこう。“もし全く新しいネイション国家の一員になる準備万端なら。イエス!新しいシチュエーションの方の準備は?イエス!わかった、ならみんな、より大きな籠へ追いやられるというわけじゃなければ、ページをめくるんだ!イエス!”。

Y、E、Sとアルファベットを唱えているのがチアガールっぽい。籠cage、捕虜収容所という意味もあるが、2014年のアルバム『Art Official Age』のオープニング曲「Art Official Cage」を思い出させる。“公式芸術の籠から、僕の心は解き放たれることとなった”という歌詞が登場するし、「Yes」と関連しているように思える。「Art Official Cage」の野心的且つエレクトロなサウンドは方向性が異なっているが、パンキッシュな点が似てなくもない。

“もし病んでぐったりして疲れきってしまっているんなら、夏は今さ、情熱を火のように燃やす時が来たぞ、カモン!皆の心の中で変革が起こる、皆がそれぞれ自分の役割を担うんだ。イエス!”

この歌詞の後ロッキッシュなギターが轟く箇所がある。バックバンドのギターリストの一人がが少し前に出てきてここぞとばかりに脚光を浴びている、そんな雰囲気だが、もちろんプリンスによる。

“もし準備オッケーなら、あなたのお望みの通りにいたします。イエス!来世の準備が出来たなら、僕らはその鍵を持っている、あげるつもりでいるんだよ。でも君の夢をかなえることが出来るって信じないと。イエス!イエース、イエー”

ここでインタビューにもあった限界ロングノートのイエースが披露されて大団円。確かにパンキッシュで『20Ten』収録の「Everybody Loves Me」にあった能天気アゲアゲムードも感じさせるが、Thy will be doneあなたのお望みの通りにいたします、と格式あリげな言葉、更に来世の話も出てくるし、3分弱の小曲と片づけるわけにはいかない、神々しさも纏ったインパクトのあるナンバーである。尚Yesと連呼するので、イエス・キリストのイエスを言っているのでは?と思う方もいるだろう。筆者もそう思って調べてみた。日本ではイエス・キリストというが、英語ではジーザス・クライストである。これはオリジナルのギリシャ語でのイエスース・クリストスをそれぞれ訳したためなので、よって英語Yesとイエス・キリストのイエスとは関係ない。

One Day We Will All B Free (4:41)

タルがベースだが、ドラムはクリスではなく、プリンスだ。トリオ編成ではないわけだが、2010年3月中旬の『Welcome 2 America』のためのペイズリーパークでのセッション中に作られたと思われる。シェルビー達のコーラスもその後行われているが、モーリス・ヘイズ、彼の名がない。もしかするとこの曲はプリンスが一応完成させたであろう『Welcome 2 America』には含まれていなかったのか、もしくはモーリスがキーボード等を加える必要のない完成された曲としたのか。どちらにせよこの曲は『Welcome 2 America』のラストを飾るに相応しいと歌詞からも思われる。タルがベースを弾いているのもあり、2010年の秋に追加でのレコーディングがプリンスにより行われた際に新たに作られたということでもない。princevaultでは2010年3月中旬にペイズリーパークで作られた、としか記載がない。


スネアの連打が印象的なイントロ、ドラムはプリンスによるものだとは前述したが、確かにクリスと比べて質感に違いが感じられる。特にスネアの音量が大きく録音され、少し濁っている感じなのだ。割れているという程ではないけども。これがプリンスの味なのか。

“君が眠る時に知ることがある、結局夢なんだと。毎日毎日恋焦がれることがある、暮らしの合間で起こらないのかと。ベッドのそばで跪き、そうなる兆しがあればと祈る君。お母さんが言ってたことがただ時間の無駄でした、で済んでくれますように。でもいつか、いつか僕らは自由になれるだろう”。

ほわっと丸く朗らかなリズム、バッキングの主軸となる軽やかなプリンスのカッティング・ギター、ブルっと震えるベース音、そしてシェルビーらコーラスを一つにまとめてデュエット役とし、プリンスと時には競い、時にはハモる、螺旋のようにくるくるとヴォーカルが展開していく。

“君が教会に行くと騙されることがある。君が死すべきその意味について。まるで占いされているのと一緒さ。理由などないんだ。神の創造物の一つを手にしたということだけど、それには鎖が繋がれている。平和が決して訪れないとわかったら、国々を支配しているのはどんな奴なのか、君も不思議に思うだろうね。でもいつか、いつか僕らは自由になれるだろう”。

そしてギターソロ。歌詞には希望も交じっているからか、ご機嫌さが感じられる。フーと吐息のようなコーラスが被さる。あまり調子に乗るわけにもいかないぞ、そんな気持ちではないとは思うけど、その明るめなギターの音色は長くは続かず収束する、聴き手の名残惜しそうなため息が聞こえてきそう。

ここからプリンスの声が低くなり、真剣さが加味された歌い方となる。何か訴えたいことがあるのでは。“君が学校へ行くと学ぶことがある。存在していないことについて。君の知る歴史だけがもし燃やされることになったのなら、そうならないように抵抗するべきだ。ベンジャミン・フランクリンはそのままでいいけど、同じベンジャミンでもバネカーは決して奴隷に生まれてはいないんだ。そして、ああ、もしジョージ・ワシントンが嘘をつかなければ、多分僕らは救われていたはずなんだ”。

本当になんで嘘ついたんだよ、と悔しそうに歌い、救われていたはずだと、悲し気に嘆く。この歌詞で3人のアメリカ合衆国の偉人が登場しているので説明したい。

桜の木のエピソードでおなじみのジョージ・ワシントンはアメリカの初代大統領である。彼は黒人奴隷のプランテーションを持っていた。ただ彼の妻が持っていたものが相続された形で大きくなり、ジョージは黒人奴隷の保有は経済的に負担が大きく、黒人の家庭ごと売ることを望んでいた。でもそうするとジョージの持っていた奴隷と妻が持っていた奴隷が結婚し家庭を持った場合、ジョージの方だけ売ってしまうと家族がばらばらになってしまうのは良くないと、妻が亡くなった後に解放しようと考えていたそうだ。よってジョージは奴隷に対してやや進歩的な考え方を持っていたという説があるのだが、黒人奴隷を持っていたことは事実であるし、奴隷の歯を抜いて自分の入れ歯にしたという黒い逸話もある。そしてジョージはネイティブ・アメリカンは全く認めず、徹底的に排除する姿勢を崩すことなく絶滅政策を採っている。この辺りは「1010 (Rin Tin tin)」に登場する西部劇のローンレーンジャーとダブる。

自由黒人(法的に奴隷でない地位にいた黒人)であり、独学で暦を作るための計算を習得したベンジャミン・バネカーは、国務長官トーマス・ジェファーソンの推薦でジョージ・ワシントン大統領よりワシントン市建設委員会の一人として指名される。しかしジェファーソンは自然の中で2つの人種ははっきりと識別できるように作られており、白人は、黒人に比して肉体と知能の両面において優っている、黒人が劣っているのは、彼らが奴隷であることや彼らの社会環境が原因なのではなく先天的なものである、と主張していた。それでも黒人であるバネカーをジェファーソンは推薦しているのである。そしてバネカーがワシントン市での仕事を終え、新しい暦を作成すると、黒人の生活環境を改善するようにジェファーソンに書簡を送った。しかしジェファーソンはその暦は科学者ジョージ・エリコットの援助で作られたものだと思い込みバネカーによるものだと認めようとはしなかった。それでもバネカーの暦はアメリカの6つの都市で使用され、バネカーはアフリカの天文学者として広く知られることとなった。

もう一つのベンジャミン、ベンジャミン・フランクリンは現在の100ドル紙幣の肖像画の人で、印刷業で成功した後政界に進出、アメリカ独立に大きく貢献した。また凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたことでも知られている。最晩年のフランクリンは、黒人問題を解決する国会への嘆願書に署名している。独立宣言には「すべての人は平等につくられている」とあるのに、黒人は奴隷として扱われていることに心を痛めていたと言われている。

プリンスが歌う、ジョージ・ワシントンの嘘。それはもちろん黒人奴隷に対するものだと思われるのだが、では何の嘘だろう?黒人蔑視をしているのは万人に知られているはず。黒人が白人より劣っているという嘘だろうか。6歳のジョージが斧の切れ味を試そうと、父が大事にしていた桜の木を切り倒すが、僕がやりました、と正直に認めたから許された、その桜の木のエピソードが実は嘘であるらしく(伝記本が売れるように後から加えられた)、そのことも含めて、嘘つきとプリンスは言っているのかもしれない。

“いつか、輝かしい日に、僕らは自由になる。いつか、いつか、僕らは...”。

ここまで自由が来ると明るく演奏してきたが、終わりに向かっているのだろう、やや不穏なバッキングとなっていく。

“自由になる。僕は君達のことを話しているんだよ。そして僕のことでもある。いつか、いつか僕らは自由になれるだろう、いつか僕らは...”。

しかしもう一度希望を掴んだかのように明るさを取り戻した演奏へ。ただ真の最後では“自由になる”と歌われずにクローズしてしまう。しかし自由になれるという言葉はその余韻と共にリスナーの脳内で繰り返し聴こえているはずだ。

最後にまたThe Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストより、コーネル・ウエストとモーリス・ヘイズの会話を掲載する。

モーリス:博士、あなたは間違いなく正しいです。そして実証もできる。プリンスは僕によく言ってました、彼の継父や、異なる悪猫との対処の仕方を。彼らは交代でプリンスをボコボコにしていたのです。“今日プリンスを叩きのめしてやる、昨日はお前がしたからな”。僕はただワオ、クレイジーだ、と言うしかなかった。それらのことを通してプリンスは自分に使命があるとわかっていたのです。

コーネル:まさにその通り。

モーリス:彼にはよりグレイトにすることができる何かを持っていたんです、それが自分よりグレイトなものだったとしても。博士、話が聞けたのは素晴らしいです。あなたとプリンスは良き友人です。あなたはぴったりピン止めできる程にあらゆる種類のアーティストに関しての歴史と知識を持っています。日々の会話の中で、僕がプリンスから奪ったものがあるんです。彼の曲作り、彼の人生の見方、そして彼の考えです。これらすべて重要なものです。特に教育に関することになると、プリンスは人々をそのことに飛び込ませようとしていました。

コーネル:その通りです。人々は私を教育者として見ています。なぜなら私は教え、執筆をするから。しかしプリンスは最高峰の教育、そしてその本質を例示しました。注目させる方法の確立、決定的重要性を認識出来るようにするための育成、慈悲深さを成熟させること。彼はスピリチュアルな探究者でした。知識の探検者でした。アーティストの中のアーティストでした。こう言いましょうか、永遠に発展し続けるアーティスト。それこそが教育とは本当はなんなのか、なのです。崇高な精神性、疑問に思うこと、愛すること、それらを融合させたのがプリンスです。それは極めて重要なことです。なぜなら愛はとても脆弱だから。そしてまた心を繋げるものでもあるから。そして心を開くものでもあるから。しかし探究心はとても危険なものでもあります。限界線を超えて、常に勇ましさを自分に課さなくてはならないからです。傷づいてしまうことになる。勇気を持つべく崖から飛び降りるようなものです。シャーリー・シーザー(クイーン・オブ・ゴスペルと呼ばれる)の“何もない所から飛び出して何かに着地する”の如きです。一方でプリンスは黒人、ヒューマン、そしてプリンス自身にとても自信たっぷりな程に深い。特に黒人、自由な黒人にはとても奥深いです。

モーリス:その通りです。

コーネル:彼は特異性を全く否認しません。これがブラックに関することだからです。ジェームス・ブラウンはミック・ジャガーとは異なります。私達はミックを愛していますが、ミックは座っている必要があるのです、ジェームス・ブラウンがステージに上がっている時には。



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