プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その3

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』が到着して聴いてからのレビューを連載する。今回は3回目。

到着前に憶測レビューしたのはこちら(一部加筆訂正済)。

https://note.com/tomohasegawa/n/n6cebb33dfea0

Born 2 Dieのレビューはこちら。

https://note.com/tomohasegawa/n/nfae311749749

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その1

https://note.com/tomohasegawa/n/n96facb6a5dc0

プリンスのニューアルバム『Welcome 2 America』を聴いて その2

https://note.com/tomohasegawa/n/n57705e9eb9e2

Hot Summer (3:32)

アルバム『Welcome 2 America』のリリース日は2021年7月30日の真夏。それに先んじて、いよいよ本格的な夏到来となろう7月22日に先行でSpotify等に登場したトラック。2010年6月7日に89.3 The Currentのウェッブで公開されており既に聴いていた人もファンなら少なくないだろう。長谷川も今更とは思いつつもいざ聴くと、日本のくそ暑い夏の強烈な激熱風を心地良きブリージンに変えてくれるなあと、とても颯爽に感じ、何度もリピートして聴いてアルバムのリリースを待った(本格的な夏の方は来ないで欲しいと願いつつ)。実は既存とはミックスが違うそうなのだ。リヴのコーラスが左から飛び出してきてステレオ感があるし、キーボード音にはメリハリを感じる。つまりモーリス・ヘイズのプロデューシングの結果が反映されているということになるのだろう。ただ既存のは音がそれほど良くはなかったし、しっかりリマスタリングしただけ、ヴァージョンとしては一緒と言っても僕は良いと思う。princevaultによれば2010年春にモーリス・ヘイズが追加のプロダクションを行ったとあるが、89.3 The Currentのヴァージョンもヘイズのプロデュース後だったと僕は推測する(パーカッションを付けたりしたのはヘイズなのかもしれない)。ただ『20Ten』のデラックス・エディションのマスターがもしあって、そこの「Hot Summer」にはヘイズのプロデュース前のもっとシンプルなヴァージョンが収録されていたということはあるかもしれない。やはりソニーからの『20Ten』の再発はデラックス・エディションで、を是非お願いしたい。

『Welcome 2 America』に収録の「Hot Summer」はタル・ウィルケンフェルドがベース、クリス・コールマンがドラム、そしてくそ暑いな!のインパクトのあるヴォーカル・フレーズが聞けるリヴ・ウォーフィールド(09年1月12日ビヴァリーヒルズのプリンス借家でのパフォがデビューのリヴはまだこの時新人、このレコーディングの際に実は相当緊張していたそうだ。確かにいつも聴けるリヴの声と長谷川が思えなかったのも、リヴが自分の声を見つける過程での声出しだった、とすれば納得できる)を前面に出した3人の女性コーラス、そしてコ・プロデュースをしている関係もありモーリス・ヘイズがキーボード、それ以外は全てプリンスによるもの。ポッドキャストThe Story Of Welcome 2 Americaでこの時期の関係者のインタビューがあり、その周辺のセッションへの言及があるので、関連がありそうな部分をピックアップし、更に『Welcome 2 America』のスーパー・デラックス・エディションのブックレットのライナーとも比較しながら、長谷川なりの解説を交えて紹介したい。

プリンスがテレビでタルを発見し興味を持ち、なぜかジョン・ブラックウェルが彼女の電話番号を知っていたのでプリンスに渡したのが始まりだ。その観ていた映像はジェフ・ベックの『ライヴ・ベック3〜ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ 』だと思われ(テレビでタルを見つけた後、タルがいるジェフ・ベックのライブをと、YouTubeやDVDのソフトでより調べるべく観たのかもしれない)、2008年のリリースである(その1年前の07年7月にジェフ・ベック・バンドのレギュラー・ベーシストとなっている)。プリンスは最初のタルへの電話でHow are you?も言わず、ジャック・ディジェネットのドラム・ロールは好きかい?と尋ねている。タルは、もちろん好きです、と答えた。その時のプリンスはきっと電話口で満面の笑みを浮かべていたはずだ。ジャック・ディジェネットは68年にマイルス・デイヴィスのグループに参加、エレクトリック・マイルス時期のリズムの要のような人である。ただジャックは幼いころからピアノを習っていて、アルバムにピアノでのプレイも吹き込んでおり、実はベースも凄く上手い。何でもプレイできる誰かさんを思い出させるのだ。そしてプリンスはラリー・グラハムと共にタルのYouTubeをリピートして観たんだと彼女に言ったそうである。The Story Of Welcome 2 Americaのサイトにリンクが貼られているジェフ・ベックの「Stratus」のパフォーマンス映像(前述の『ライヴ・ベック3〜ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ 』からのもの)があるが、タルの天真爛漫な高校生のクラブ活動中の如き若々しいプレイが楽しめる。「Stratus」はプリンスもよくステージでカバーしていたし、タルとスタジオだけでなくツアーも一緒にの気持ちがあったはずだ。そしてプリンスとタルがロサンジェルスでジャムをすることになる。08年中のことだ。プリンスが当時ビヴァリーヒルズに借りていたホーム・スタジオ兼パーティ・スペース(もちろん寝泊まり可能)77 Beverly Park Ln.で行われたのだろう。尚リヴ・ウォーフィールドも08年10月8日にペイズリーパークに初招待されている。翌09年、プリンスはタルにトリオのプロジェクトがあるのでドラマーをスカウトしてくれないか、と依頼する。ここでプリンスはタルとトリオを結成したいという意思を伝えている。それはアルバム制作、更にツアー用メンバー、つまりNPGの新メンバーへと繋がっていく(はずだった)。依頼されたタルはドラマーのオーディションをするのだが、その前に電話でコンタクトした際に、私と一緒にジャムしない?とだけ尋ねたそうだ。イエスと言った1人にクリス・コールマンがいた。クリスはそう言われて友人と接するような気持ちで、もちろん、したいです、と答えている。尚『Welcome 2 America』のスーパー・デラックス・エディションのブックレットではその時の状況が少し違っていて、クリスの発言は“ニューキッズ・オン・ザ・ブロックのツアーが終わった所で連絡が来て、3つか4つの素材をアップしてリンクを送ってと言われてそうしたんだ。タルは3人のドラマーのオーディションをしていて、最終的に僕を選んだ、でも当時は知らなかったんだ”となっている。The Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストでは、オーディションには3人いて、それぞれとタルはジャムのテープを録音しプリンスに送り、プリンスがそのテープを聴いてクリスをピックアップした、ということになっている。なのでタルがクリスを選んだ、というわけではなさそうなのだ。ただタルがオーディションする気持ちで臨まれるとプレイヤーの真価がわからないから、ジャムをする気楽な気持ちでプレイしてもらいたい、一方クリスも、プレッシャーは全くなかったと言っており、タルの思惑は一応叶ったとは言えよう。

09年12月4日、ペイズリーパークでクリスとタル、そしてプリンスがジャムを行った。一番最初に到着したのはクリス。入るとライトもカメラも取り巻きもなし、ただ当時のアシスタントだけがいた(リックという名)。彼がドラムをチェックしてください、というのでクリスが言われた通り行うと、そのアシスタントが“実はPが、もしこのドラムが気に入らなければ、私達は店に行くことになっているんです”とクリスに言ったそうだ。ペイズリーパークでPと呼ばれる人物は1人しかいない。そしてそのPはまだ到着していなかった。リックとクリスは車でギター・センター(アメリカにある楽器チェーン店)に行きクリスのためのドラムを購入した。そして再びペイズリーパークに戻り、購入した真新しいドラム・キットをサウンドステージにセッティング(その日の内にしているはずで恐るべき手際の良さである)、クリスがそのブランニューのドラム・キットに座ってダブル・ペダルを試していると、誰かがステージに近づいてくるのがわかった。クリスはその時に初めてプリンスに会うことが出来たのだが、How are you?の挨拶もなく、プリンスが最初にクリスにかけた言葉は“僕は君が何色を買うのかな、って思ってたんだよ、いい色だね”だった。“色はキラキラ輝くシルバーで、どんな色のライトに照らされても栄えるものだった”とクリスは語っている。そしてプリンスとクリスがミネアポリスまでのフライトはどうだったか等の話を暫くしていると、先ほどのアシスタントのリックが現れ、プリンスの肩にベースをかけようとしていた。そうなればもちろんその後はプリンスがベースを弾き始めるわけだが、おいおいおい、とクリスもびっくりしながらも叩き始めることになる。“止めちゃ駄目だ、ビートを刻むんだ、お前の鼓動は確かにスーパー速くなっている、だからただ止めなければいいんだ、今は尽きないでくれ、俺はお前が必要なんだ”とクリスは心の中の自分にSMSのZoomによる遠隔映像会話の如くメッセージを送り込んだと語っている(もちろん09年当時Zoomはなかった)。こんな感じでヴァイブが生まれたのだ。やがてプリンスが「777-9311」のフレーズを弾き始めた。クリスにはその時冗談抜きに本当に天使と一緒にいるって思えたそうだ。天使が“プレイできる?覚えてる?”って言っているように。なのでクリスが「777-9311」のフレーズを彼なりに叩くと、それにプリンスは驚いているように感じた、とクリスは語っている。クリスが叩くとプリンスがベースを弾く。プリンスはクリスを見てそしてドラムを見る、そしてプリンスは、お、曲わかっているんだな、と思っていると感じた、と。その瞬間こそ、契約成立、となったのではとクリスは思ったそうだ。そしてプリンスはジェームス・ブラウン的なスタイルを引用した演奏になっていき、クリスが、ジェームスは僕も好きです、と一緒にグルーブを作っていった。つまりそれはクリス曰く“エンドウの鞘の中の二つの豆のようによく似ている”。そんなワン・ネーションな2人になったということだ。そしてタルがペイズリーパークにやっと到着。こうして新しいトリオがステージでいよいよそのヴァイブをお互いに感じ合うこととなった。

タルは、こう語っている“プリンスとのトリオは、自然でオーガニックで、実際私が思っている以上にとても素早く進行していくの。集中してリハーサル・ホールで一緒にプレイしてると思えば、次にはレコーディングをしていて、数日中にアルバム一つが出来てしまうのよ。リハーサル、レコーディング、この間を行きつ戻りつしている間にね”。本格的な彼らのレコーディングは2010年の3月、そして4月に行われている(尚1月にラリー・グラハム、プリンス、そしてクリスは「Cause And Effect」をレコーディングしており、その際にタルは不在であった。彼女はハービー・ハンコックとのツアーに出ていた)。そしてその2人はペイズリー・パークのスタジオAで、プリンスが如何に驚異的なスピードで仕事をしているか、そしてプリンスの周りにいる人達を楽しませるか、を知り学んだ。タルは言う“私達は曲に関して事前には何も伝えられていないのよ。リハーサルではどんなコードなのかも知らないの。リハーサルで私達がプレイしたマテリアルは私達がスタジオで行ったことと関係がない。基本的にスタジオでプリンスが、このコード、で次にこのコードで、次のセクションでまた指示するから、さあ行くよ、テープを回すね、となってレコーディングがスタートするんだけど、どの曲のどの部分なのか、実際次のセクションもどこにあるのか、何なのかもわからないの。だってプリンスは演奏に伴って歌っていなかったから。時折マイクでコーラス、ブリッジ、スネア、スネア入れずに、とか言って指示するだけだから”。コーラスがあったとタルは言及しているが、実はインストのセッションだったとされている。確かにタル、クリスの声は『Welcome 2 America』の曲中に聴くことが出来ない。実際クリスも“沢山レコーディングをしたけど、ヴォーカルは一切なかった。ヴォーカルが聴けたのはリスニング・パーティの時が初めてさ”と語っている。また“アルバムの曲のレコーディングはワンテイク、もしくはツーテイク、殆どがワンテイクだった。そして間違い、というかプレイを変えたり良くしようとすると、プリンスから、それ駄目、と言われたの。つまり2度目のチャンスはない、演奏することは疑わずにその瞬間にコミットするということを学んだわ。プリンスは自信を持ってと言っていたけど、次に何が起こるかわからない瀬戸際にいることが良い経験となった、そしてそういう状況はプリンスが望んでいることなのよ”、そうタルは語っている。またクリスは“プリンスはオールド・スクールなんだ。旅行予定表のように動くのではなく、流れに身を任せるというか、僕らはプリンスの遊び場にいるような感覚。そしてプリンスには特別な流れがあると感じるね。そして同じことをすることに価値があるんだよ。心から演奏すること、ファンキーにすること、クールで、楽しく、人間が演奏をする、これらのことを繰り返すことがね”と語っている。

このトリオは新曲を作っていたが、プリンス以外何が作られているのかわからなかった。そして新曲もプレイするだろうツアーのためのリハーサルもしていない。この後シェルビー・Jらのコーラスが加えられてプリンスが編集、更にモーリス・ヘイズのプロダクションも加えられて一応アルバムは完成されたと思われる(しかし『Welcome 2 America』として完成したかどうかは不明である)。もちろんリリースされていない以上、そこから更に試行錯誤があったわけだ。『Welcome 2 America』のスーパー・デラックス・エディションのブックレットには以下のように書かれている。“プリンスが飛行機代を支払ってくれて2度リスニング・パーティを開いてくれたの。そこでフル・アルバムを聴かせてくれたわ。最初は個人的に私達に聴かせ、次に招待されたときにはリムジンでクラブに行った”とタル。クリスも“プリンスはとても気に入っているんだな、ってわかった。実際彼はスタッフや友人達を呼んで聴かせていた。でもそれがプリンスが燃やした最後のエナジーとなったんだ。でもプリンスが満足していないとか楽曲が世に出ないとかは感じられなかった”と語っている。

またThe Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストでは、プリンスがその時に語ったことを含めたタルとクリスのインタビューがある。

2010年5月の終わり、クリスとタルはペイズリーパークに招待され、完成したアルバムを聴いた。その時はわからなかったが、それがペイズリーパークへの訪問そしてプリンスを見る彼らの最後となった。しかし夏に二人とのコミュニケーションを終えた後もプリンスはアルバム『Welcome 2 America』をその年の終わりまで完成作業を続け、冬にヴォルト内のアーカイブとなった。

クリス“タイミングこそがすべて。その時なぜ世に出さなかったのか、僕にもその理由の一部さえもわからない。でも彼がその時ハッピーだったのは思い出せる。僕らと一緒にいて幸せだった、本当に。僕はこのサウンドを聴かせるのをずっと待っていたんだ、ありがとう、このサウンドを出す手伝いをしてくれて、僕が今までしたこととは違うものなんだ、暫くの間このサウンドと共に座り続けるよって言ってた。それはクレイジーだったよ。今この国で起こり続けている事、その経過を話しているって。彼が今書いた曲、ニュース番組を観てさ。強いんだ。『Welcome 2 America』では真実を彼は話しているんだ。そのことを是非チェックして欲しい。彼が意味していることを。プリンスが最後の曲、そして最後の日に僕に言ったんだ、ありがとう、これを世に出すようにする、世に出すようにするから、って。プリンスは、世界へ放つというより、自分の中から外に出す、という意味なんだろうけど、このサウンドは、正直頭から離れない、ね”。

タル“私が見た最後の彼は、この机に座っていて、中に私が入ると、彼が私に感謝して言ったの、僕はこのサウンドを何年間も探していた、君は私にそれを見つける助けをしてくれたんだ、って。そう言ってくれたことはとても素敵なことだったわ。そしてそれが最後の鮮明な記憶であることが悲しい。名誉のことなんだけどね、どんな小さな助けが出来ることさえも”。

モーリス・ヘイズは“二人が新しいバンド・メンバーとなったとしてもおかしくはなかった。タルは天才、クリスも同様。新しいニュー・パワー・ジェネレーションになる可能性は十分にあったんだ。でも事態は別の方向に行ってしまった”と語っている。09年終わりから10年の夏までライブはほとんど行わず、楽曲、アルバム作りをいつもより専念していただろうプリンス。『Welcome 2 America』はその中の一つに過ぎないのだろうけど、リリースする気持ちは『20Ten』の方にシフトしていき、2010年7月4日のデンマークから7月25日のフランスまでのヨーロッパ・ツアーも『20Ten』のためとなった。実際その時のツアー・メンバーはドラムがコラ・コールマン・ダンハム、ベースがジョシュ・ダンハム、モーリス・ヘイズとカサンドラ・オニールがキーボード、シェルビー、エリッサ、そしてリヴの3人女性コーラス。更にハーモニカにフレデリック・ヨネがいた。09年は他にもレナート・ネトやロンダ・スミスといった他のメンバーともライブ演奏していたプリンスだが、当時の基本のバンド・メンバーをこの20テン・ツアーにも使っている。2010年も基本のNPGを残しつつ、タルとクリスによるトリオのライブを行ってもおかしくない状況ではあった。タルが忙しそうだとプリンスが判断したのかもしれない。またこの頃のプリンスは大所帯でやりたかったのかもしれない。実際英国領タークス・アンド・アイコス諸島のローカル・ミュージシャン、クイントン・ディーンをプリンスがそこに訪れた際にスカウト、2010年5月4日のタイム誌100号記念のイベント時のパフォとその後のアフターショウの際にメンバーとして彼にギターを弾かせている(イベントは一部、そしてアフターショウは何とコンプリートで映像が存在する)。クイントンはプリンスと上手く行かなかったのか密かにミネアポリスを去ってしまったのだが、このようにプリンスは2010年のツアー・メンバーを増強するべく探していた。大所帯にしたいならホーン・セクション不在なのはなぜ?と思うかもしれない。そこはホーンの代わりとしてハーモニカのフレデリック・ヨネに信頼を置いていたプリンスがいたのだろう。20テン・ツアーでの彼のプレイは異彩を放っていたし、プリンスのライブ・キャリア全体においても異色なツアーと印象付ける要因となっていた。

「Hot Summer」が20Tenツアーで演奏されている。とは言え2010年7月5日のベルリン公演、7月10日のベルギーのWerchter公演、共に「When You Were Mine」や「Guitar」のプレイの後のエクステンド・ポーションの中で歌のフレーズとして登場するだけで、純然とした曲演奏ではない。しかしライブ全体の中でどちらも間違いなくハイライトとなっている。ベルリン公演では「When You Were Mine」のポップなロック演奏が「Hot Summer」の雰囲気とマッチしていると言えよう。プリンスがスリリングなギター・ソロを弾きながら観客にクラップを要求、女性コーラスに暑い夏!と唱えさせつつも、プリンスは僕は(今年は)暑い夏になると思うよ!と何度もサビを歌って引き込んでいく様は圧巻だ。ベルギー公演での「Guitar」もやはりギターが牽引していく演奏でバッキングをそのままにして歌詞だけ「Hot Summer」にしても、しっかりハマるのではないかと思わされもする(つまり「Guitar」と「Hot Summer」が同系曲であることを意味するのだが)。共に演奏していた(前座とは言ってはいけない)ミント・コンディション、グラハム・セントラル・ステーション、そして自身のバンドのニュー・パワー・ジェネレーションに愛情を示して、と観客に要求、そして最後に僕に愛を見せて、僕の名前は?プリンス!と観客が叫ぶ。演奏を継続しつつもプリンスが暑い夏のショウになりそうだよね、とシェルビーに話しかけると、それがキューになって「Hot Summer」のジャムにスイッチ。僕と一緒に歌ってどう思う?とプリンスが観客に尋ねている辺り、新曲への反応を試しているのがわかる。途中ドラムだけにして観客が盛り上がっているのか観察するプリンスもいたりする。

それほど目立ってはいないのだが、3人の女性コーラスがいて、そして何より暑い夏フェスがあって、そこで演奏される「Hot Summer」はきっと最高だったはず。ここで女性コーラス3人のThe Story Of Welcome 2 Americaのポッドキャストの「Hot Summer」関連のインタビューを載せておく。

大きく輝く太陽のようなリヴのHot Summerの叫び。リヴはこう語っている“リヴ、Hot Summerって歌って欲しいんだ、そう言ってプリンスはファルセットで私の前で歌って見せたの。私はオッケー?!って感じで。そして出来上がりを聴いたら、私はそれがどう使われるのか知らなかったんだけど、聴いてみたら、ワウ!これはクレイジーよと思って。全てがしっかりと成立していて、素晴らしいって思ったわ。面白いって気持ちから来る、気持ち良いヴァイブがある、大好きよ”。シェルビーは“大好きよ。強い気持ちになれる、成功する気持ちになれる、皆ツイストを踊りながらビーチにいるような。アネット・ファニセロ(42年生まれ、ディズニー作品に出演、アイドル歌手でもあった)のビーチ映画のよう。皆でビーチボールを投げたりして。ホットなパープル・サマーだってことよ”と語っている。エリッサは“私達が車に乗って湖の方に行った時のこと覚えてる?日差しが広がっている中、外にいる人達が車内の彼のことを見ているのよ。でも私達は気にしなかった。車のウィンドウを下げて、「Hot Summer」を車内からかけたの。ドライブして音楽を聴く、というのではなくて、ミックスを車内で聴く、テストのようなものね、プリンスもいいね、って言ってたはず。車の中って結構いい音がするのよ。彼がコントロール・ルームでミックスを流して聴かせてくれるのが好きだった。彼は踊り回って、それが正にプリンスなんだけど、途中で流すのを止めたりするの。それがイエー!って感じ、十分よ、って”。そしてリブ“全部流してよ、スニペットじゃなく!”。

「Hot Summer」で“君が僕の仲間である限り、暑い夏が続くよ”とプリンスが歌っていることで、タル、そして遅れてクリス、二人がプリンスのバンドに加わったことをプリンスが認めた、その証の歌のように聴こえてくる、と長谷川は当初書いた。しかしその後に登場する歌詞“なぜ人生はいつもミステリーなんだろう?君が見る、思う次第でなるようになる。君はどうかな?僕はわかっている”に、プリンスだけが分かっていることがあり、タル、クリスの二人が一時期だけトリオとなった、そのミステリー、その謎を解くカギ、それもプリンスだけが知っている、と歌っているように今の僕には聴こえてしまっている。

その4につづく。

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