ヨットのこと
僕の特徴の一つに『ヨットレースをやっていた(今も)』というのがあるので、ちょっとそれについて。
1989年に大学を卒業して小さな広告会社に入社したら、そこの社長がヨットをやっているという。そして僕に「乗らないか?」と誘う。大学ではサッカー同好会で身体を動かしていた僕にとって、それはとても魅力的なお誘いだった。早速参加することにした。
社長が持っていたのは全長32ft。約10mくらいのヨットで、いわゆるレース艇だった。だからヨットに乗るということはレースのための練習か本番のレース、ということ。水着のお姉ちゃんを同乗させて入江に留めてダイブ!のような遊びの要素は全くなかった。その競技志向が楽しくて、いろいろあったけど好きになり、ほぼ毎週末にはヨットに乗る生活になった。
生まれて初めての海外も、その年の夏の「日本海横断国際ヨットレース」に出場するために行ったソ連(当時!)のナホトカだった。ナホトカから北海道の室蘭まで日本海を横断するレースに参加した。学生クルーが3人同乗して、彼らの一人とナホトカで楽しいこともしたのは内緒。
その年の秋には全日本選手権に出場。しかしレース中に事故を起こして学生クルーが落水。そのまま溺死してしまった。ナホトカで一緒に楽しいこと(内緒)をしたヤツだった。それから僕らはヨット活動を1年謹慎した。
1年後に活動を再開したのだけど、オーナーである社長は乗る気がなくなってしまった。若いクルーだけでチームを運営したけど、力不足で、勝ちを狙えるような=全日本選手権に出場するようなチームではなくなっていた。所属がバラバラの同好会みたいな?オーナーの気持ちも萎えたのか、数年後にチームは解散となった。
そうしたら他の強豪チームからお誘いがあって、その艇に乗ることに。新しくて速い艇で、チームのやる気も高かった。そのチームでは日本ミドルボート選手権という、自分たちが最も勝ちたいと目標にしていた大会で優勝することができた。そのチームでは本当に毎週土日、ほぼ全て練習とレースに明け暮れた。最高に楽しかったけど、結婚して子どももできて、幼稚園に上がる年になった。週末は家にいない、子どもとほとんど遊んでない夫で父。その年の春に引退させてもらった。ここまでだいたい10年でした。
当時の仲間とは、1~2年に1度くらい集まって飲むので、なんとなくつながっている。そして一昨年の秋に、その一人から誘われて再開しました。今では月に1~2回のお手伝いですが。おかげさまで思い出も今も、ヨットは僕の人生を彩ってくれています。
そうそう、トップの画像は、今お世話になっているヨットです。
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