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GMATが消滅した海外MBA受験の世界

GMATがどのビジネススクールへの出願にも全く必要とされない海外MBA受験の世界が訪れるかもしれない。そんな予兆が少しあります。

GMATとは

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GMATとは、GMACという母体が提供するGraduate Management Admission Testの略称で、海外MBA入学審査において、伝統的な試験として長きに渡り多くの学校で用いられてきました。

GMATの合計スコアは、200点~800点で採点され、世界の全受験者の平均スコアは約550点と言われています。

1つの目安として、私自身は、700点ちょうどでした。

この点数は一般的に、欧州校であればこれだけで合格が保証されることはないもののそれ以上の受験をしなくてもいいかなと受験者が考えそうな点数(欧州校しか眼中になかった私も実際そうでした)、米国のトップ・オブ・ザ・トップ校であれば、合格するかもしれないが心許ないので再受験しようかな(本当はもうしたくないけど...)と受験者が考える点数、なのではないでしょうか。

様々な合格体験記でもドラマチックに語られている通り、GMATは一般的に海外MBA受験にあたっての最大の難関になることが多く、問われる英語力も、純粋な英語力の測定を目的とするTOEFLやIELTSの比ではないと言われることが多いです。

但し、正確には、英語力以外の力が英語で深いレベルで問われているからそう感じるのだと思う部分もそれなりにあります。

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また、一般的にGMATは、学業面のパフォーマンスの判定にあたり考慮する要素の1つに過ぎず、学業面のパフォーマンス自体が全体の出願書類・インタビュー等で考慮される要素の1つに過ぎないというのが、MBA入学審査においてどの学校にも基本的に共通する考え方です。

但し、GMATが持つ全体の要素中の重みという意味での程度の差は、学校によってそれなりに存在します。

IESE(イエセ)を含む多くの上位校では、現在GMATかGREのスコア提出を出願の必須要件にしており、いずれの試験であっても、評価上の有利不利は一切ありません。

本稿では、GREの是非については一切の議論を控えますが、わずか2年前と現在とで、世界的なGREの普及度には大きな差があることのみ指摘しておきます。

なお、本稿は、新型コロナウィルスの影響を受けて数ヶ月前に発生した各校の一時的な特殊対応について言及するものではなく、より継続的・中期的な方向性の話が主となります。


新たな試験の導入可能性とその論拠

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一部の他校の動きを踏まえ、まさに先週後半から、IESEの入学審査チーム内で、GMATとGREとは更に別の試験(以下、「テストZ」)のスコア提出を是とするかについて活発な議論が交わされてきており、チーム内でも若干意見が割れています(現在完了進行形)。

入学審査の通年のサイクルの途中で、新規の試験形式を入学審査に導入することを認めることはやり方次第ではあるものの必ずしも公平ではないので、主に来年以降(2022年入学以降)どうするかの話です。

テストZがGMATより平易であるという前提のもと、議論がなされており、ここでもその前提で話を進めます。

導入推進派の論拠はどういったものなのでしょうか。

まず、テストZを導入すれば、敷居が下がり、おそらく出願数は増えるでしょう。

出願数が増えれば増えるほど最終的な学生母体の質が高まるという仮説に基づき出願数にも力点を置いて活動していること及び他校も同程度かそうでなくとも一定以上は出願数を重視していることを踏まえると、ここだけ切り取ると、一見理に適っているようにも思えます。

そして、他校の多くがテストZのような試験を導入する流れが本格的に発生したならば、それをしないことによってIESEが敬遠されて相対的に不利になり得るという考え方もあります。

また、GMATで点数が出せない学生をテストZに明示的か否かは別として誘導して、公表対象である学校としてのGMATの平均値を下げないようにすることができる、といった効果もあるかもしれません。

一部の学校でこの手法が既に多用されていると私は認識しています。

志願者(アプリカント)は知的な方が多いので、当然このカラクリは認識しており、殆どの方が、公表されている同校におけるGMATの平均値が同校の学生の学業面におけるレベルを正確に表しているとは思っていないでしょう。

他方、GMATの平均点は国によって歴然とした差があり、これの要因の1つである国ごとの教育方針・内容の差などを踏まえると、世界の全てのアプリカントをこの大小だけで見定めるのは、極めて危険です。

例えば、海外MBAに関わるメディアの一つであるPoets&Quantsが公表している直近のデータによると、英国のGMAT平均点が601点なのに対し、クウェートのGMAT平均点は332点です。

国籍の多様性に配慮している学校(特に欧州)であればあるほど、このような国ごとの水準の差には十分配慮しながら選考を行っているでしょう。

テストZは、クウェートのような低GMATの国からの出願者にとっては、心理的な安心あるいは励みの材料として働き得る側面もあるでしょう。

ちなみに、言い換えると、学校の所在地によって、出身学生の国籍分布について大きな差がある(特に米国人が大多数の米国とマジョリティなき多様性が特徴の欧州)ことを踏まえれば、GMATの点数だけでその学校の価値を見定めることは、一部の外部機関が公表するランキングと同様(今回は詳述は控えます)、必ずしも効果的でない、ということも十分おわかり頂けるでしょう。

また、GMATの点数の高低と在学中の勉強のパフォーマンスとの間に相関関係が必ずしも多くないという指摘もあります。


新たな試験の導入による副作用

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本note全体として、組織の見解を示すものではなく、あくまで私の個人としての見解を示すものであるとは明記していますが、それが本稿にも適用されることをここで改めて強調しておきます。

私の意見としては、現状維持すべき(GMATとGREのみを引き続き試験の対象として許容すべき)と考えています。

立場上、書けないこともいくつかあるので、論拠が弱く見える部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。

テストZの導入により、学業面での能力の証明が弱くなることは前述の前提条件から自明ですが、これをどう捉えるべきでしょうか。

まず、MBA中の成績には直接反映されなくとも、学業面について真剣でない学生の入学率が上がることで授業の質と他の学生も含めての学びの質の低下にも繋がることが考えられます。

IESEは、キャリアサービスや関連の活動の量は他校に劣らず、されど割合としては全体の経験の中で相対的に他校より低いことが推定されます。

裏を返すと、学業面に重きを置いているということです。

海外MBAの実態が就職予備校だと一部で揶揄される中で、IESEは、他校以上に教授等のリソースを割いて学業面を重視して、本業界における高等教育機関としての矜持を保っていることが、私がIESEについて素晴らしいと思っていることの1つです。

それに対応する疑問としては、では、そもそも海外MBAに行ってわざわざ「勉強」することが、そもそも卒業後の活躍に繋がり得るのか、意味があるのか、というものでしょう。

この点については、以下の記事でも少し述べています。

IESEの場合、ケースメソッドによる、グローバルビジネスリーダーに必要な意思決定能力の開発、と、教授から学ぶこともさりながらそれ以上に国籍・職歴面で多様な学生同士で学び合うことの価値が、その後の活躍に繋がり得るのか、という話です。

私は自分の例とその他多数見てきた例を以て、そう確信していますが、給与面に直接的に反映されてくるとは限らないので、反証の余地がないわけではないでしょう。

ただ、個人の能力以上に業界特性によって実質的なレンジが決まると言える給与面で活躍の是非を測るのが、そもそも果たして適切なのでしょうか。

私は、任天堂の、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド開発チームの成した仕事の1/100の価値も世の中に出していないと確信していますが、実際にそんな給与格差は存在しないはずです 笑

そして、海外MBAの間口を広げすぎた結果、その中身がコモディティ化・陳腐化していては、結果的に、外部から見た海外MBA自体の価値が毀損していくことになるのではないでしょうか。

私自身の意見は控えますが、国内MBAに対する昨今の主たる懐疑論の要因の1つは、まさにこの間口の広さです。

また、私と意見が近しい某同僚は、MBA採用企業からの評価の低下についても恐れていることを指摘しています。

GMATをどの程度MBA採用企業が重視するかという点も、国ごと及び業界ごとに温度差があるのは事実です(日本は低温です)。

ただ、確かに、GMATによってもMBA採用企業が学校のレベルを大まかに測ろうという風潮が世界的にはある程度存在し、特に海外MBA界隈を離れた世間一般の認知度が必ずしも高くない学校に対してはその傾向が強い可能性があります。


改めて問われる敷居の高さの意味

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海外MBAの敷居が高い1つの理由が学費にありますが、学費高騰という形で業界として学費による敷居は上がってきました

新型コロナウイルスのおかげで、予期せぬ形でこの潮流は一時停止していますが。

奨学金なしでIESEにアフリカから来ているMBAの学生が限定的であることが、いかに学費が大きな負担であるかを別の視点から証明しています(2年間の学費は、現在89,950ユーロ)。

インフレに慣れていない今どきの日本人の典型的な発想として、学費の高騰に抵抗感がある部分もあるのかもしれません。

敷居は、誰のためにどう高くあるべきなのでしょうか

試験に関する今回の話題は、根本的な海外MBAとそれを提供するビジネススクールの存在意義についても再考させられる貴重な機会となっています。

既述のGREの急速な普及を踏まえれば、GMATとテストZが自由選択でき、一層難しい試験であることが自明なGMATを誰も選ばない結果、テストZのような試験が主流となる未来が案外近くまで来ており、それは、私個人がどう考えようが抗いようのない荒波なのかもしれません。

そんなことグダグダ言ってないでGMATとっとと滅びろ、とか呻いてる受験生の声が聞こえる気もしますが、きっと幻聴でしょう 笑






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