海外MBA卒業からの英語無双モード突入
多くの日本人にとって因縁の相手とも言えるであろう英語についてのコンプレックスを解消したいという思いから海外MBAを目指す方は少なくないはずです。
今回は、その到達点について考察してみます。
その到達点が初期地点、すなわち海外MBA前の英語力によっても大きく異なるのは結論の一部として自明なので、本稿ではそれ以外の観点を中心に話を進めます。
果たして、海外MBA卒業後、日本人は、表題の通り無双にまで至るものなのでしょうか。
英語ネイティブへの進化という叶わぬ夢
私自身は、これまでも複数回述べているように、海外MBA前に海外駐在や海外で教育を受けた経験なし、非帰国子女で、6年強の業務経験というバックグラウンドでした。
その上で、海外MBAを経てもあいにく英語ネイティブにはなれないのだなと感じる文脈をいくつか共有します。
第一に、数日英語を話していなかった後に話す英語のキレが微妙に平時に劣ります。
先日、早めの冬休みでブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに滞在していました。
特にブエノスアイレスに長めに滞在したのですが、想像以上にスペイン語しか通じない環境で、英語を全く使わずスペイン語脳で過ごしていた結果、休暇明け最初の、日本人ではないMBA受験生との30分の会話で、自分の英語のキレが微妙に平時に劣っているのを確認しました。
第二に、自分の英語のキレが相手の英語レベルにやや左右されます。
私は英語ネイティブとノンネイティブ双方のMBA受験生を頻繁に面接しますが、相手が英語ネイティブないしそれに準ずる英語力を持っている場合の方が自分の英語のキレが良いことを実感します。
相手の英語力が必ずしも高くない場合、自分も影響を受けてしまうことがままあります。
第三に、雑音が多い環境や仕事外の特定の話題で内容理解が追いつかないことがあります。
音楽が大音量でかかっている環境での聞き取りは全く簡単ではないですし、しばらく前の某ディナーで宗教関連(私が全く興味のない話題)の複雑な会話がなされている時に内容が十分理解できなかったことをよく覚えています。
第四に、大意は取れているけれども、未知の語彙に出くわすがゆえに完全な詳細を把握しきれていないことがあります。
第五に、不慣れな英語アクセント(ないし速度その他)であるがゆえに音としての認識が追いつかないことがあります。
日本人が一般的に苦手意識を持ちがちなインド英語を私はさほど苦手にはしていませんが、海外MBAやこの仕事ではあまり出会うことのない英語アクセントがネイティブのそれも含めて一定数あることを認識しており、主に仕事以外の文脈で、それらを理解できないことがあります。
ということで、海外MBAを以てしても、英語ネイティブレベルには残念ながら達することができていません。
各課題への対処方針
ここまで5つの課題を指摘してきましたが、以下に再掲します。
数日英語を話していなかった後に話す英語のキレが微妙に平時に劣る。
自分の英語のキレが相手の英語レベルにやや左右される。
雑音が多い環境や仕事外の特定の話題で内容理解が追いつかないことがある。
大意は取れているけれども、未知の語彙に出くわすがゆえに完全な詳細を把握しきれていないことがある。
不慣れな英語アクセント(ないし速度その他)であるがゆえに音としての認識が追いつかないことがある。
これらへの対処方針は次の通りです。
まず、1と2に関しては、そういうものだと受け入れ諦めており、それに尽きます。
3に関しては、冷静に考えると母語である日本語でもできていないことが多いので、日本語でできないことを英語でできないからといって悩む必要はさほどない、そして仕事の文脈で支障が出ることは限定的だ、と考えるようにしています。
4に関しては、上記の、日本語でできないことを英語でできないからといって悩む必要はない、が一部当てはまります。
また、語彙は終わりのない旅路なのでその都度淡々と処理していくといった割り切り(場合によっては、「そんなん知らんがな」という心持ち)も持つようにしています。
5に関しては、実はこれは仕事外のことが殆どですが、仕事でそういったことが仮にあったならば、その後も尾を引く可能性を踏まえ真剣に捉えるようにしています。
これらを整理すると、以下のような、更に大きな方針が浮かび上がってきます。
完璧でないことを過度に気にしない。
仕事で大きな支障が出なければ問題なしと考える。
理解が追いつかない場合、それが日本語でも理解できない内容ゆえなのか、英語の語彙不足ゆえなのか、音として認識できていないゆえなのかなどに因数分解する。
これら3つのうち、音として認識不可であることを重く捉える(仕事で頻繁に使う語彙は概ね習得できている前提)。
どこまで努力するのか
英語を完璧に習得することなどあり得ないという現実を突きつけられた時に職業人としてどこまで努力するのか、この点は個人の判断が分かれるところでしょう。
その判断に関わらず、おそらく合意が得られるであろう別の事実としては、英語は一定のレベルを超えると、それ以上努力することの燃費が非常に悪くなる、ということです。
知らなかった単語を覚えても、自分の英語レベルが上がれば上がるほどその単語に再度出くわしたり再度使うことが求められる場面は減ります。
自分を大きく見せるつもりはありませんが、その一定のレベルを超えた領域に私はいると認識しています。
この燃費の悪い努力を延々と続けるよりはスペイン語を勉強して一定レベルまで昇華する方が合理的という判断は、IESE(イエセ) MBA中の比較的早い段階で下しました。
一部例外を除き、ここ数年は英語については実践あるのみで全く勉強しておらず、語学の勉強はスペイン語ばかりとなっています。
スペイン語と英語は、日本語と英語よりも圧倒的に近いので、英語を基盤にスペイン語を学んでいくことになり、英語の習得速度よりははるかに早くなります。
したがって、英語が85のものを90に上げるのと同じ労力で、スペイン語を0から70に上げることができてしまうイメージです。
スペイン語の必要性という意味で、日本人の一般的なビジネス環境に鑑みるとこの努力が合理的と言えない場合も多いので、既述の通り個人の判断が分かれるところと指摘しました。
しかし、その矛先がスペイン語のような他言語であるかどうかはさておき、英語をどこまで学び続けるのか、他言語ないしそれ以外の他の内容に学びを切り替えるべきか、というのは考慮するに値する点です。
それにあたり関わる別の切り口としては、仕事で使う英語は生活で使う英語よりも平易であるという事実です。
生活で使う英語にも相当色々ありますが、簡単なものから難解なものまでその幅はとても大きいものです。
したがって、仕事で使う英語に焦点を当てれば、必要なレベルへの到達工数はそれなりに減ります。
他方、逆に私がスペイン語にこれまで投資してきた時間を英語にそのまま充てていれば、今よりも英語は確実に上達していました。
(それゆえ、海外MBA前の英語関連の環境や能力面で私に似ている方が、海外MBA卒業後に私と同じレベルの仕事上の英語運用能力を持つことは、日常的に英語のインプットとアウトプットが大量に求められる環境にいる前提なら、実はさほど難しくないと考えます)
私は生活に必要な英語レベルを高めきる動機を持ち合わせていませんので、仕事で問題なければ無問題と考えるようにしています。
海外MBA留学中の日本人が周りの英語を理解できず落ち込むこともあるでしょうが、その場面と目標次第では、実は大して落ち込まなくても良いのかもしれません。
私の基準が万人に当てはまるとは思っていませんが、いずれにせよ、これは個人の状況や優先順位に応じて適切で明確な目標設定が語学習得にあたり重要であることを示唆する内容ではないでしょうか。
日本人の海外MBA卒業生の英語レベルに対する評価
もちろん網羅的に把握できているとは思いませんが、立場上、日本人の海外MBA卒業生の英語レベルについて学校の枠を超えて大まかに推定することは比較的容易です。
例えば、完全に英語で実施される海外MBA受験生向けの学校説明会で、日本人卒業生4名を招いて45分くらいのパネルディスカッション(半分程度の時間は、想定外の質問に対応する必要あり)を実施するような場面を想定してみます。
ここで私が納得感を持てるレベルのパフォーマンスをパネリストとして過去5年の日本人卒業生が全員出せる学校は、おそらく世界に2校か3校しかないと考えます。
私がここで期待しているレベルは、例えば東アジア外のいずれかの国で同様の取り組みをした時と遜色ないレベル、多少なりともユーモラスな感じながら洞察に富んだパネルディスカッションに仕上げられるような余裕を伴うレベル等としてご理解ください。
なかなか厳しい評価と思われたでしょうか。
それに対し、実際の仕事の現場ではどうか、一旦、日本拠点で働く日本人卒業生を想定してみると、IESEかそれより上の水準であれば英語で致命的あるいはそれに近いレベルで苦労している人はほとんどいない印象です。
(逆に言うと、IESE未満の場合、違うニュアンスが生じます。具体的には、例えば海外MBAを卒業した後の英語力が、IELTSスコアに例えると7.5にかろうじて乗る程度もしくは7以下程度の英語力である場合を想定していただけると良いかと思います)
この差はどこから来るのでしょうか。
第一に、同じ日本拠点であったとしても海外MBA卒業後に求められる英語レベルにはそれなりの差があり、各卒業生は概ね自分の英語レベルに合ったレベルの就業先に落ち着いていることが挙げられます。
第二に、英語の訓練環境として海外MBAは高地トレーニングのようなものであり、海外MBAを乗り切れれば、卒業後、日本で働く限りにおいてはそこで求められる基準に照らすと英語で重大な問題を抱えることは考えにくいことが挙げられます。
海外で就職する場合にはどうでしょうか。
千差万別であり一般化するのは簡単ではないですが、国内のそれよりハードルが上がることは自明です。
海外就職は美談として語られがちですが、私の観測範囲では、海外に残り続けてその組織の限りなく上位にまで上りつめてという日本人のケースは稀で、数年程度で帰国するケースもしくは似たようなポジションで会社を変え続けるケースなどが一般的です。
この現象を英語力のみに帰結させることの愚かしさは自分が一番よくわかっていますが、例えば米国などを想定すると、英語非ネイティブとして英語ネイティブと戦い、戦い続けることの限界を一部示している印象もあります。
英語ネイティブに食らいつくことは一応できるけれども、英語面で彼らに引き分けたり勝つことは永遠に不可能であり、英語以外の能力で彼らを上回り挽回するしかないけれどもそれもそんなに簡単ではない現実を示しているのではないでしょうか。
AI時代に求められる真の英語力
とはいえ、少なくともIESEあるいはそれより上のレベルの海外MBAであれば、日本人の中で比較した際に、英語を使ってビジネスの世界で無双することは十分可能と考えます。
昨今、いかにもChatGPTが全て書いたような英語が、LinkedInにも日本人MBA受験生の諸々のコミュニケーションにも満ち溢れています。
色々な理由で英語力はさほど高くないと私が知っている方が完璧な英語を文面上披露されることが一昔前より圧倒的に増えました。
私もChatGPTを部分的に使いますし、使うこと自体を全否定するつもりは毛頭ありません。
ポイントは、その依存度と用途にあります。
自分の英語力を大きく上回る英文を誰でも披露できる時代になった今、特にビジネスの文脈では、タイムリーな人間らしいコミュニケーションができること、つまりそれを支えるスピーキングとその前提となるリスニングの能力の重要性がこれまで以上に増している印象です。
逆に、ライティングの重要性は下がっており、書かれたものを英語力の評価軸という意味で信頼することは難しくなってきているように思われます。
(ついでに言うと、そこにエッセイカウンセラーの手まで加わっている可能性の高い従来型のエッセイにビジネススクールとして大きく依存するのは、もう時代遅れではないでしょうか)
海外MBAが唯一の手段とは思いませんが、多くの日本人にとってこれらの本質的な英語運用能力をペーパーテストを超えたレベルで身につけるにあたり、最も即効性のある手段の1つが一定水準を超えた海外MBAでの経験と言えるでしょう。
AIが幅広に助けてくれる時代にこのレベルまで到達する努力をする職業人は減るので希少価値は高まる一方で、この能力の重要性は、それを活かす環境ありきながら普遍です。
また、英語力の発展型とも言える、国際的な舞台でリーダーシップを発揮できる力もここでは関係します。
英語ができることと当該リーダーシップ力の間には相関関係があるとは必ずしも言い切れません。
IESE MBA時代の同級生のフィリピン人等が好例です。
英語上は限りなくネイティブに近い彼らが、ケースメソッド主体の授業で積極的に参加したり国際性の強いチームを引っ張ることに四苦八苦しているのを目の当たりにしました。
広い枠組みで言えば、彼らも我々と同じ、世界の水準からすると控えめなアジア人なのです。
似たような話は、帰国子女の日本人にも当てはまるかもしれません。
TOEFLやIELTSのスコアが高かろうが大して関係ありません。
そういったところから脱皮するには、国際的な舞台でのリーダーシップ発揮について一定の環境と訓練が必要であり、繰り返しになりますが海外MBAがその唯一の手段ではないながら最も有効な手段の1つであるのは否定しがたい事実でしょう。
AIに依存したある種まやかしの努力と虚構が更に蔓延するであろうこの世の中において、地道に泥臭く真正性を伴った努力をできることの価値はますます高まります。
但し、AIをうまく使えば確かにそれなりのことはできるので、中途半端な到達レベルではなく、努力と実力の双方にて一定のレベルを突き抜けることも求められるでしょう。
結果的に、IESEという英語圏の学校でないながらも比類なき濃度のチームワークと強制参加型のケースメソッドという独特な組み合わせでこのあたりを徹底的に鍛えられたことは、こういった時代だからこそ私がありがたみを日々強く感じていることです(おそらく他校ではここまでの果実を得られなかったでしょう)。
英語脳の副次的効用
このレベルになると、概ね日本語を介さず、英語で考え英語でアウトプットするというのが一般的ではないかと思いますが、そういった英語脳は職業人としての仕事のパフォーマンスについて、言語面以外でも効用があるはずです。
人によってその度合いは異なるかもしれませんが、英語による日本語への侵食が起きるはずです。
英語を一定程度学んだ方ならば、英語が日本語よりも論理的で、ビジネスに一層適した言語であることに賛同いただけるはずです。
日本語は、例えば同じ「I」についても「私」「俺」「あたし」などの使い分けが可能であることなど、感情を含めた微妙なニュアンスの豊かさで優れていますが、平気で主語を省略したりして文意の解釈についての難しさ(及び、場合によっては誤解)を孕むことがしばしばあります。
それに対し、英語では特定の内容が「it」等で描写されるものだとしても、完全な省略は日本語比でずいぶん減ります。
英語脳で物事を考えるようになると、日本語のこうした特性に気持ち悪さを感じるようになるので、そういったいわばミスをビジネス上の文脈で犯すことが減るはずです。
逆に、日本語で他人が書いたビジネス文書を読んで、「あぁ、この筆者はきっと英語力がそんなに高くないのだろう」と推定できることも増えるでしょう。
他にも、日本語で実施するにせよあることが望ましいとされる、抑揚や間の作り方など、英語から日本語に有効な形で転用できる技術は複数あるはずです。
英語の修練は下りエスカレーターを上るようなものだという実に的確な比喩がありますが、海外MBA受験段階から、自分でそれに納得しつつ、日本語を使うことへの抵抗感や恐怖心を少しずつ持てると良いと思います。
極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、実のところ、これは私が長年特に仕事の文脈で強く抱いてきた感覚です。
まとめ
海外MBAを出たからといって全ての文脈において英語で無双できるわけではないことは既述の通りです。
しかしながら、一見直接的な繋がりがなさそうな内容も含めて、一定水準の海外MBAで求められるレベルまで英語に対する努力をすることの便益は、このAI時代だからこそ、多数あります。
平均的な英語力で多くの他国に劣る日本は、英語ができるだけで大きなプレミアムがつく稀有で幸運な市場です。
学校名とか会社名とか給与水準とかテストスコアといったやや表面的な切り口で自分を美しく見せたり守ることに力点を置くのではなく、一層本質的な力を獲得し、国際的な舞台で日々無双する方が読者の中から少しでも増えてくだされば良いなと思います。
メリークリスマス!