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用意するものはハネムーンとカラフルなスポドリです


僕のゆたかさは、妻と過ごす時間で決まる。

妻と楽しく過ごしている時間が多ければ、それがゆたかな状態だ。

今回は、妻と過ごす時間が僕の「ゆたかさの基準」になった、ある出来事について書く。

…………


ロサンゼルスからカンクンへのフライト中、僕の体調は最悪だった。


折角のハネムーンにも関わらず、披露宴の疲れから、すっかり体調を崩していた。慣れない長距離フライトによる追い打ちは酷く、気管支炎のような咳が頻繁に出た。

早朝6時ころにメキシコのカンクン空港へ到着した時、5月初旬とは思えない太陽の眩しさに、視界がぐらりと歪んだ。熱帯雨林に近い気候のせいなのか高熱のせいなのか分からなかったが、とにかく足取りもフラフラした。


一緒に飛行機を降りた人々は迎えのツアーバスへ消えていき、僕たち2人だけがロータリーに残された。

僕たちはバスを待つ間、怪しい2人組の販売車からやたらと高いオレンジジュースを買って、並んでベンチに座った。黄色の嘴をしたカラスみたいな鳥が、ピューイピューイと鳴きながら歩いていた。


幸いなことに、妻は体調を崩していなかった。僕もラスベガスでカジノに興じている間はそんなに酷くなかったが、旅行が進むにつれ少しずつ悪化していった。

僕の体調を案じて、妻はアメリカにいるうちに旅程を変えてくれた。あんなに行きたがっていたトゥルムのラグーンを諦めさせてしまったのは、今でも申し訳ない。


50人は平気で乗れそうなブルーの大型バスが来て、僕ら2人だけが乗った。車内は業務用スーパーの冷凍庫に入ってしまったようなエアコンの寒さだった。

妻と肩を寄せ合い、祈るような気持ちで眠りについた。


この日はカンクンの中心地を見て周る予定だったが、僕がすっかりグロッキーだったので、宿に無理を言って早めにチェックインして休むことにした。

昼過ぎには回復するかと思ったが、なかなかそうはいかなかった。備え付けの水では足らず、妻は異国の地に1人で買い物へ出かけた。僕は一緒に行ってやることもできなかった。


「消化に良いもの探したんだけど、なにも売って無くて」


顔くらいの大きさがあるぶ厚いハンバーガーと、カラフルなスポーツドリンクを買ってきてくれた。僕は思わず笑い、消化に悪いハンバーガーを喜んで食べた。妻も笑っていた。

その夜は騒々しかった。宿のそばにある公園では、祭りの日でもないのに地元の人が爆音で異国の音楽を流し、テキーラを呷っていた。「元気だったら行けたのにねー!」と、妻は笑った。


翌日、丸一日眠っていたからか、少しだけ回復した。

日本からメキシコへ移住したという若いお兄さんが車で迎えに来てくれた。浅黒く焼けたお兄さんはスペイン語で流暢に話していて、格好良かった。


信じられないくらい路上駐車が並ぶ一角に車を停め、案内された場所で僕らはダイビングスーツに着替えた。

ダイビング未経験の僕らは、「OK」と「おかしい」の2つのハンドサインだけを教えてもらった。あとは、プールで5分くらい酸素ボンベを背負ったまま泳ぎ、すぐに沖へ出た。

沖に向かうに連れてエメラルドグリーンから群青に染まっていく海は美しかった。妻と「船酔いしそうだけど気持ちいいね」と笑い合った。


水深10mは暗くて、寒かった。珊瑚がゴツゴツと自生していて、まだら模様の大きな海老や、口を尖らせた小魚が群れで泳いでいた。

呼吸するのが精一杯な僕は、命からがら妻の手を握って泳いだ。海底で手を繋いで泳ぐのは不思議な気分だった。海底からは魔法みたいに空の青さが分かって、僕はその美しさに、体調の悪さを一時忘れた。


その晩は、離島のイスラ・ムヘーレスへ船で渡った。

甲板では陽気な黒人紳士がトランペットを鳴らしていた。セレブな老夫婦はその紳士にびっくりするくらいのチップを渡した。僕たちは「ビール一杯ぶんにしかならないけど」と言いながら、ほんの気持ちを渡した。


イスラ・ムヘーレスの夜は静かだった。中心地と違って地元の自然な静謐さが残っていた。僕たちは地元の人たちがたむろしているピザ屋に入り、オススメを2枚持ち帰って宿で食べた。

三角の形をした三階建て宿の真ん中にはプールがあり、どこの部屋からも丸見えだ。それゆえか、誰も泳いでいなかった。僕たちは買っておいたメキシコのビールを飲み、眠りについた。体調は、少し良くなっていた。


翌日は、メキシコで最も美しいビーチと言われるプラヤノルテに行った。当然、これまで見た海の中で比較対象が無いくらい美しかった。ビーチを見た時の妻の顔は、忘れられない。


午後には、リゾートエリアへ戻った。この日から3日間の宿は、ハネムーンに相応しく海外セレブがバケーションにこぞって使う高級ホテルだ。腕に付けたリングを見せれば、ホテル内やプールサイドでの飲食は全て無料。生きている間に経験できるとは思えない、贅沢な場所だった。


しかし、ここへ来て体調の悪さがぶり返してしまう。


僕は喘息さながらの咳が止まらなくなり、熱もガンガンに上がってきた。チェックインする頃には足取りもままならず、妻に全て手続きを任せてしまった。

部屋に入り、ハネムーン仕様に可愛く飾られた室内に喜ぶや否や、僕は倒れるようにしてベッドに寝転んだ。


そこからは、地獄だった。


道中に買った風邪薬や気管支拡張剤は全く効かず、高熱のまま咳で眠れない時間が続く。もともと喘息の気があった僕は、咳で眠れない状態が最も苦しいことを、よく知っていた。

咳をするたびに上体を起こさねばならず、眠ることができない。呼吸も乱れ、脳には十分に酸素が届かなくなり、意識が曖昧になる。


僕は息も絶え絶え、「早く気を失ってしまえ」と願っていた。


どのくらい時間が経ったのだろうか。


ぼんやりと目を開けると、拙い英語でホテルの医務室へ電話していると思われる妻が目に映った。慌てながらも、懸命に症状を伝えようとしている。


その姿だけを目に留め、僕はまた、まぶたを閉じた。


その後、朝か昼かも分からない時間に目を覚ますと、看病に疲れ切って眠る妻の姿があった。


僕は薄ぼんやりとした意識の中、体調とは裏腹に満たされた気分になった。


この人と結婚して共に生きていくことに、自分の人生を懸けられる。そう確信した。


僕の人生が、この人の人生と重なったことが実感できた。


ゆたかな僕の人生が、いま、始まった。




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