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私の留学の話

本日は、私の留学の話をしてみたいと思います。写真は、某北欧の国で撮ったもの。シャレオツでしょ。

大学生のとき、1年間休学して、北欧のとある国に留学したことがあります。英語の教員を何となく目指していたので、海外で1年くらい生活した経験がないと、英語教員として説得力がないのではないか、というよくわからない理由で留学を決意しました。片親だし、経済的に裕福でもないので、日本学生支援機構の奨学金(借金)で細々と留学生活を送りました。もちろん、留学前はアルバイトを掛け持ちして、必死こいて準備していましたが、生活費を差し引くとあんまり残らなかったです。今、奨学金を月々13000円ずつ返していますが、正直言ってしんどいです。私は何のために、なぜそこまでして、留学という道を選んで今に至ったのか、ちょっと改めて考えてみたいなと思いました。さすがに1年間の海外生活は、今思うと非日常の極みだったし、何とかポジティブな記憶を抽出して、今の自分の糧にしたいと思います。

私は生まれてから25歳くらいまで、将来に対して想像力を働かせる努力をしない人間でした。小学校、中学校のときは、与えてもらったゲームをやる毎日。高校生になったら、モバゲータウンでネタを日記に書く日々。大学に入りスマホを手に入れずっとツイッターをやっているような人間です。「何となく高校に行けばやりたいことが見つかるだろう」と言っては見つからず、「大学に行けばやりたいことがはっきりするだろう」と思ったけどはっきりせず、行き着いた先は「食っていかなきゃいけないから働こう」でした。もちろん、きっと大半の人間がこのように生きてきているはずなのですが、自分の1度きりの人生を少しでも豊かにするなら、将来に対してある程度想像力を働かせたほうがいいなと最近は感じております。

留学した主な理由は、今思い返すと、モラトリアムを延長するためでした。そして、当時付き合っていた女の子の束縛が激しすぎて、さっさとその子のもとを離れたいという気持ちもありました。私が未熟だったのもありますが、その子は私に対して「友達と時間使うくらいなら私に使ってよ!」と激怒したり、気に入らないことがあると不機嫌になって理由を永遠に言ってくれないような子でした。(日本にいたとき、私は週に10日くらいのペースでその子の部屋に行ってたんだけどなあ。)留学して、物理的にはその子のもとを離れられたのですが、結局、精神的にはずっと束縛されたままでした。半年後、その子が同じ留学先に行くことが決定していたので(恐ろしいね)、私からほんの少しでも連絡が途絶えると「そっち行ったときに殺すから!!」と脅してきたこともあるので、その子は私という個人を尊重してくれてなかったかなと思います。私も接し方がわかっていなかったなあ。ですので、以下に書く留学体験記は、上澄みの上澄みです。私は、留学先での授業以外の時間は、ほとんど自分の部屋にいて、ずっとその子とやり取りをしていました。ごく稀に、こっそりと、他国の留学生たちとの交流を楽しんでいました。

まず、せっかく北欧の国に行ったので、北欧言語をかなり本気で頑張って勉強してみました。英語がそれなりに通じる国ではあるのですが、せっかくその国にいるならその国の言葉を覚えたいという欲はもちろんありました。英語と言語の構造がそっくり(SVOとか語彙とか)なので、英語⇔北欧言語 という勉強の仕方でした。duolingoというサイトでみっちりやってたら、半年もあれば基本的なことくらいは話せるようになりました。周りにドイツ語を話す人たち(ドイツ人、オーストリア人)が多くいたのですが、その子たちの上達っぷりは恐ろしかったです。ぼくが2~3週間かけて学んでることを、2~3日でマスターしちゃうのです。ドイツ語を母語にしている彼女たちにしてみれば、簡単だったのでしょう。ぼくたちが中国語を見て、ちょこちょこ分かる漢字が出てくるのに似ているんじゃないでしょうか。この経験ができたのは、楽しかったです。あと、頑張って北欧語を話したら「上手だね!」ってすごく褒めてもらえたこともありました。嬉しかったです。

英語に関しては、Academic Writing(学術論文の書きかた)とか言語習得理論、英語で英語の文法を説明する練習、とかいろいろやりました。楽しかったです。英語教員を本気で目指してたら、本当にいい経験だったと思います。でも、日本でやってたことと重なっていたので、これはそこまで重要な要素ではなかったように思います。いろんな国の人の英語の話し方を聞けたのは楽しかったです。イタリア人のrのクセがすごかったり、インド系の人はすべて半角カタカナみたいな英語でした。オーストリア人の女の子かわいい。ドイツ人、マジ美女。総じて、生活は何とかなるしそれなりに楽しかったです。自分の英語って通じるな!と実感した場面もありました。「ベーキングパウダー」を英語で言っても伝わらなくて北欧語だと伝わる、みたいな、意外と意思疎通がうまくいかない場面もありました。単純に、その人が料理に詳しくなかっただけなんだけど。

私が住んでいたところは、部屋は別々でしたがキッチンはシェアキッチンでした。イタリア人ども、マジで食器洗わないのでぼくは時折イライラしてました。でも毎晩、紅茶とコーヒー飲んでて楽しそうでした。時々混ぜてもらって、人狼みたいなゲームをやりました。もちろん負けたらお酒を飲まされました。イタリアとかドイツとかオーストリアとかその他とか、留学生だらけのアパートでしたので、北欧人とはそこまで交流できなかったです。彼らはフレンドリーで、いろんなことに誘ってくれましたが、私は元彼女のことが気がかりになり、ほとんど交流できていませんでした。ここまで書いた内容は、本当に、上澄みの上澄みです。元彼女の許可を得て、4泊5日の一人旅に行ったのがいちばん楽しかったですかね。あと、夏と冬の日照時間の差がおかしい。夏は日中が長すぎ。冬は暗すぎ。これを体験できたのも、貴重なのかな。

私はこのような状況下で、長い長い夏休みを迎えます。5月から8月末まで4か月の長い夏休みです。毎日毎日、元彼女と4~5時間以上、LINE通話をしました。私は部屋に引きこもることしかできなかったので、毎日電話をしても、つまらないです。適当に通話をしながら、天鳳という麻雀のサイトで麻雀をしていました。いくら「殺すから!!」と脅されているからって、誠実になれるわけがありません。恐怖による支配で、人間を思い通りに操作できるわけがないんです。その子のために思いやりを持とう、と思うよりも、その子に対していつも「事故にでもあって死んでしまえ」とすら思っていました。今思えば、私は彼女から精神的DVを受け続けていたのだと思います。だから、留学の想い出を語ろうとすると、ぼくにとってはダークな1年だったという印象が強いのです。だから、「留学生活で得たことは何ですか?」と聞かれたら「DVをしてくるヤバイ人からは逃げろという教訓」と答えます。これと同時に「DVを受けているときはDVを受けているとすら気づかない」という教訓も得ました。第三者の視点で見たら、明らかにおかしいはずなのに、私は、その子が言うことを真実のように思っていたと思います。また、私は人に暴力をふるうことはありませんでした。でも、彼女から暴力を受け続けていたら、耐えかねて、私も彼女に暴力を振るってしまったこともあります。人格も歪んでいたと思います。当然、すべてをその子のせいにするつもりはありません。その子はおそらくですが、「境界性人格障害」に当てはまる部分が大きいと思います。その子から来るたくさんの要求に対して、「できないことはできない」と伝え続ける努力が必要なのです。その子への適切な対処の仕方を、私自身わかっていなかったなあ、と反省しています。

留学に行く前に、面倒な人間関係を処理していけばよかった、という後悔。留学のような一大決心をするなら、未熟な考察でいいから、どんな目的で行くのかを整理すればよかった、という後悔。いろいろありますが、この後悔はきっと、次のライフステージで役に立つことだと思います。人生なんて、意識高いビジネスマンじゃないんだから、目的意識なんか持たずに生きていけばいいや、ってちょっと思っていましたが、ある程度は将来に対して想像力を働かせておこうね、と心から思います。大金と貴重な二十代の1年をかけて学んだのがこんな内容かよ、と自分でも情けないですが、今後は少し、人に対してポジティブに留学の話ができそうです。

結果論だけで言えば、料理が上達し、英語が上達し、いろんなひとと交流し、何だかんだいろんな土地へ足を運び、非日常の空気を毎日浴びられた!そんな留学でした。上澄みの上澄みだけど。

長文でしたが、読んでいただいてありがとうございます。感じるところ、思うところがあれば、ぜひTwitterなどで教えてください。思いを共有できると嬉しいです。それではまた。

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