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YS 1.20 できるできないより、やるやらない

前回のスートラでは、物質的身体を去ったひと(?)たちと、プラクリティに夢中になってしまったひとたちは、まだまだゆけよという話でした。今回は、ではその他のひとたちはどうしましょうかについて。
サンスクリット語の復習ですが、頭についた【ア】英語 not と同じ働きをするので、サムプラジュニャータ・サマーディは識別のあるサマーディ、サムプラジュニャータ・サマーディは識別のないサマーディですよー!

※前回分は、こちら『YS 1.19 神さまだって途中だってさ』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章20節

श्रद्धावीर्यस्मृतिसमाधिप्रज्ञापूर्वक इतरेषाम्॥२०॥
śraddhā-vīrya-smr̥ti samādhi-prajñā-pūrvaka itareṣām ॥20॥
シュラッダハー ビーリャ サムルティ サマーディプラグニャ プールヴァック イートレィシャーン


「Others (other than those disembodied and merged into prakriti) attain to asamprajnata samadhi through the stages of faith, strong will, memory and intelligence derived from samprajnata samadhi respectively.」(1)
(その他の者たちは、信念、勇敢な意志、記憶、サムプラジュニャータ・サマーディ(識別のある三味)より導き出される知性の4つの段階一つ一つを通して、アサムプラジュニャータ・サマーディ(識別なき三味)へと到達する。)


要は他の人も頑張りましょうというスートラですが、併記されたこの5つの項目が、アサムプラジュニャータ・サマーディへ進む道筋を順番に教えてくれています。さすがよくできているぞ、ヨーガ・スートラ。ではまずは最初の第一歩から。


①信念(Sraddha)
Sraddhaが、真実(shrat)と、保持する(dha)という言葉からできているので、そのまま読むなら、真実を保持するという意味。英語だと信頼(faith)や信用(trust)と読まれることが多いようですが、インテグラル・ヨーガ (2) は信念としていて、これが良さそうだと思います。というのも、他人を信頼/信用するのとは違うよとフォーチャプター (1) が明確にしているからです。真実を語る人を信頼しすぎることで盲目になってしまうことに気を付けてねと。グルから学ぶことを大事にする伝統があっても、グルは誘導するだけであって、そのひと自身が経験しなければならないと書いているの、面白いと思いませんか。

ではどうやったら始まるのかというと、真実を垣間見たその一瞬の自分の経験、だということです。その経験を真実だと純粋に受け取り、信じる気持ちを持ち始めること、それがヨガの実践・練習のスタートだよということですね。さて、みなさまどうでしょうか。あったとか、なかったとか、そういうことよりも、通過したことに気付けているかどうかな気がしています。


②勇敢な意志(Virya)
ヨガが誘ってくれる道を進めるために、勇敢な意思が必要だということは、もうここまでで十分に分かっているので、ですよねと思うところです。日々の実践・練習がつながっていくものであることを信じ、自分のしていることを安心して楽しむことによって湧き上がるエネルギーが燃料になると、ハリーシャ (3) は解説しています。そのエネルギーって、精神的にも肉体的にも必要だから、強いではなく、勇敢なという言葉を選びました。賛同してもらえるでしょうか。


③記憶(Smrti)
勇敢な意志と共に、自分のしていることの細部まで意識をしていくこと。Smrti は記憶(memory)と訳されることが多いようですが、ここでは何を記憶しているのか、それを隅々まで観察して見つめることと読むようです。勇敢な意思が必要なくらい、丁寧にしっかりと意識をくべて暗闇に光をあて、物事をそのまま見る力を育てる段階ということでしょうか。

ちなみに、もうすでに八支則を学んでいる方へのメモですが、この段階はディヤーナ(積極的な努力なしに意識が一方向に深く集中している状態)だよと、フォーチャプター (1) は書いています。言葉や角度を変えながら、リマインドし続けてくれているわけです。


④サムプラジュニャータ・サマーディより導き出される知性(Smadhi prajna)
記憶していることの隅々まで目を配ることで心が煽られにくくなり、それが最後の一歩手前の段階、サムプラジュニャーター・サマーディへと連れてきてくれます。サムプラジュニャータ・サマーディにも4つのステップがありましたが、覚えているでしょうか。全体像を眺めるためにも、もう1度 スートラ1.17 を読み返してみませんか。今度はもっと分かりやすくなっているはず。

ここでいう知性とは、日常生活での成功に必要な知性ではなく、サムプラジュニャータ・サマーディを通して成熟する知性だということです。視点が変わるような感じだと書いていますが、分かるようでも、具体的に語りきれないところです。しかし、この知性をもった賢者の名前をスッと出すところがフォーチャプターの面白さ。Swami Vivekananda なので、気になる方は調べてみてください(日本語も出てきます)。

とにかくこの知性を成熟させることによって、ヨガの実践・練習が加速し、最終目的地であるアサムプラジュニャータ・サマーディへとつながる。


英語で書かれたヨーガ・スートラも参照する中で、面白いなと思っていることがあります。それは、今回のサマーディを目指すという道の過程に限らず、「できる・できない」の話はあまりなくて、「(そう)なる・ならない」の話ばかりなこと。今回のスートラでいえば、到達できるではなく、到達する。ゴールがあると、たどり着くことができるかどうかを考えてしまいますが、実践・練習を続けることで自然とそうなるよと書いているわけです。できるできないじゃないんだから、私たちはやるだけ、ということですよね。でも、続けることこそが大変だから、ほれほれこんな感じだよと地図を見せてくれるのがヨーガ・スートラなんじゃないかと思っています。


さて、今回のスートラもぜひ音読しましょう。


ここから、なんとか早くアサムプラジュニャータ・サマーディにたどりつく方法ありませんか? というのの答えへに続きます。次回のヨーガ・スートラ第1章21節へは、こちらから⇩

※ 本記事の参考文献はこちらから



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