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YS 2.46 アーサナ1:快適で安定している

ヨーガ・スートラを有名たらしめるのが、ヨガのゴールを目指す8段階を記す八支則。ヤマ、ニヤマときて、今回は3つめのステップ、アーサナです。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.45 イーシュヴァラ プラニダーナ: 何を信じるかは選べる」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章46節

स्थिरसुखमासनम्॥४६॥
sthira-sukham-āsanam ॥46॥

アーサナ〔坐法〕は、快適で安定したものでなければならない。

一般的に「ヨガクラス」というと、インストラクターのリードに沿ってヨガのポーズを取っていくクラスを指します。しかし、これまでヨーガ・スートラを読んできた中で、ヨガとはポーズを取ることだけではないということは、すでに明確です。そして、今回のスートラは、それは快適で安定したものでなければならないといいます。これ、世界がぐっと広がる気がしませんか。ハレルヤ。


「快適で安定している」を目指す

フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、アーサナをポーズと訳すのみですが、インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)は坐法、ハリーシャ(参考3)も座る姿勢としているので、このスートラが指すアーサナは座位であることが分かります。ネタバレですが、八支則のこの先に瞑想が待っているので、座って集中するときに邪魔になる身体的なこと、たとえば、お尻痛いとか、力入りすぎてしまうとか、そういうのはここでなんとかしましょうねというわけです。

まずは、現状の把握が大切です。いま、ヨガクラス中、もしくは自分で練習しているときの座位のポーズは、快適かつ安定していたでしょうか。

まだまだかなあという方も、焦らずいきましょう。なにせ、ガンディーですら為しえなかった、アヒンサー(非暴力)の後に出てくるアーサナです。できるできないのチェックリストではなく、目指すところは〈ここ〉だよの指針が明確になった、ということが大事。


いまも生きている伝統だから

ところで、ヨガクラスで行うアーサナは、座位のポーズだけではありません。ヨーガ・スートラの編さんされたより、だいぶ後に編さんされた「ハタヨーガプラディーピカー」ですら、紹介されているアーサナは15のみ。そこから、ヨガの伝わってきた過程で、また枝分かれした流派によって、寝転んだポーズや、立っているポーズ、逆転のポーズが増えてきたということになります。

これらを、パタンジャリは不要だというでしょうか。


ヨーガ・スートラを編集したパタンジャリの確立したヨガの流派を、ラジャヨガと呼びますが、フォーチャプターズは、ラジャヨガの道を進む者がアーサナを練習することに害はないと書いています。記載がないからといって、必要ないというわけではないよということです。

また、パタンジャリの言葉にはないが、身体に平衡状態をもたらすアーサナも実践されるべきだと続けています。身体の平衡状態が心に及ぼす影響は、アーサナを熱心にしていれば知っていることですよね。そう考えると、生活スタイルや、ヨガを学ぶ方法が変わっていくなかで、その必要性があったと考えるのが妥当ではないかと思います。


このアーサナがどんどん増えていることについて、ヨガ界の宝石や、現代ヨガの巨匠と呼ばれるダーマミトラは、ヨガが生きた伝統だから起こることだと『Asanas: 608 Yoga Postures』(Dharma Mittra, New World Library, 2012/8/21)に書いています。伝統が伝統のまま残していることはもちろん大切ですが、ヨガ生きているからこそ、そこに変化も生まれるというわけです。

ダーマの文章は、奇をてらっているわけではないのに、はっと気づかされることが多く、わたしが大事にしている本のひとつです。英語のみではありますが、気になる方はぜひ見てみてください。アマゾン上で試し読みもできるようです。
私はこれを読んで、この先生と練習してみたいと、NYのスタジオに行きました。そしてまた行きたいなと思っています。


インテグラル・ヨーガも「そうした快適さと安定感を持つものなら、どんな姿勢でも”アーサナ”である」と書いています。そして、ひとつの形を完全にできたら充分だけれど、実際どれだけ快適で安定した姿勢でいられるだろうと、わたしたちに問いかけています。

ここでもう一度、アーサナにおいて快適で安定した姿勢でいられているでしょうか。そして大事なことは、そうでないと思ったときに、これからのヨガの練習と実践をどのようにしていったらいいのかを考えてみることではないでしょうか。


強さと柔軟性

インテグラル・ヨーガが書いていることを、もうひとつ紹介したいのですが、「われわれをこわばらせるものは何でも、われわれを壊すこともできる。柔軟であるときにのみ、われわれは壊れない。」ということ。

雨風がつよい日に、すぐ壊れてしまう傘と、そうでない傘がありますよね。植物が折れてしまうこと、あんなに硬そうな木であっても、真っ二つに折れてしまうことは、なかなかありません。

また、柔らかければいいわけではありません。「われわれに必要なのは鋼鉄の強さであり、同時にまた、その柔軟さである」と、インテグラル・ヨーガは続けています。柔軟性だけを追い求めると、練習の仕方を誤ると腱をいためたり云々、ということにつながっていきます。物事に向き合う姿勢として、風のままに揺れているだけでなく、立ち上がらなければいけない時だってあるでしょう。

片方の性格に寄り過ぎてしまうことのないように、必要に応じて使い分けられるように、そのバランスを取る力も育てていくのがいい。だから「そのような瞑想的な身体にするために、その予備的操練として、われわれはたくさんのポーズをとるのである」と解説がいうわけです。


アーサナについて、もう少し続きます。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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