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YS 2.47 アーサナ2:目指すところは

ヨーガ・スートラを有名たらしめるのが、ヨガのゴールを目指す8段階を記す八支則。ヤマ、ニヤマときて、今回は3つめのステップ、アーサナの続きです。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.46 アーサナ1:快適で安定している」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章47節

प्रयत्नशैथिल्यानन्त्यसमापत्तिभ्याम्॥४७॥
prayatna-śaithilya-ananta-samāpatti-bhyām ॥47॥

By loosening of effort and by meditation on the serpent ananta, asana is mastered. (1)
余分な力を抜き、無限のものに瞑想することによって、アーサナは習得される。

前回のスートラで、アーサナは快適で安定したものでなければならないと書かれていました。その上で、今回は、アーサナを習得するために必要なこと2点を説明しています。


余計な力を抜く

まずは、アーサナ習得に必要なことの一つめとして、フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、余計な力を抜くことだと書いています。目指すゴールへ到達するための手段として、アーサナは悪戦苦闘したり、力を加えることなく、また、筋肉や神経を緊張させることのない状態であることと言うわけです。

ヨガのクラスに参加して、ヨガインストラクターや、他の参加者のアーサナを見ていると、難しそうなアーサナを、余計な力が入っていないままに簡単そうにやっているのを見たことがあります。あれかなあと、思いつく経験があるのは、ありがたい。皆さまも、あるでしょうか。


「なんとか」リラックスしようとするとか、「自分のおもう完璧」を目指すとか、そういう心の姿勢もないようにと話すのは、ハリーシャ(参考3)です。そうではなく、永遠のものに自然と溶け込んでいくのだと言います。また、インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、「自然な性向である落ち着きのなさ」を減らすことと表現していました。

さまざまな表現があるということは、さまざまな過程があるから。自分がアーサナの練習をしていくうえで、どの過程を通っているか、通っていきそうか、知っておくことは大事だと思うので、この機会を活用していただけたらなと思います。そしてそれは、意識を「いまここ」に連れてくる手助けもしてくれるはずです。


アドバンスなアーサナまで練習する意味

ではなぜ頑張らないとできないような、いわゆるアドバンスと呼ばれるようなアーサナも多くあるんでしょうね。わたしの場合を考えてみました。

わたしは、身体を使うことが得意ではなかったので、アーサナの練習を始めた時に、いままで感じたところのない場所が伸びているのを感じたり、始めましての場所が筋肉痛になることが、とても面白いなと思いました。頭でっかちだった(過去形?)なので、アーサナの練習を続けることは、身体とコミュニケーションを取ることを学ぶ過程でした。

練習を続けていれば、できることが増えてくるので、また新しいアーサナに出会って練習してというのを続けてきてもう10年くらい。それはまあ、アーサナの練習も好きだったから、いろいろなアーサナができるようになるのも自然なながれだったかなあと思います。


そして今思うのは、ややこしいアーサナほど、分かりやすく集中力を求められるので、自分が集中している状態を知ったことは、とても良かったと思っています。

たとえば、トリコナーサナより、アドムカ・ブリクシャーサナという名のアーサナ(ハンドスタンド)の方が集中力が必要です。なぜなら、毎日足で歩いているので、立つこと、足を動かすことは、考えなくても自然とできますが、手で地面を踏んで自分の身体を支えることは、どう身体を使うかを考えないとできないし、その動きに集中する必要があります。

さらに言うと、もう一度トリコナーサナの練習に戻ってきたときに、あれくらい地面を踏むこと、体重の乗せ方を意識してみると、あたまが勝手に誰かのことやご飯のことを考える暇はなく、普段慣れたかたちであっても、集中を連れてくることが、少し容易になっています。

この練習をしてきたことは、わたしは呼吸法、集中、瞑想と続く八支則のステップを進むにあたり、とても役に立ちました。手段のひとつなので、違う過程を通っていく方も多くいると思います。ハンドスタンドまでしなくても、私がそこで出会った集中にたどり着いている方も多くいるんだろうと思います。いろんな方の話を聞いてみたいなと思うところですよね。


無限のものに瞑想する

アーサナ習得に必要なもう一つは、無限のものに瞑想すること。インテグラル・ヨーガは、「偉大なもの、巨大なもの、よく安定し、十分に確立されているものなら何であっても」いいとし、そういったものに瞑想することで「不動性を達成するのである」と書いています。

インテグラル・ヨーガが、たとえば三時間を微動だにせずにただ座っていれば「身体を通じて心にブレーキをかけることができる」という説明をしています。「何かを手に入れるためにはそれ(心)は身体の協力を必要とするからだ。それがアーサナ達成の効果である。」

その瞑想の対象としてサンスクリット語で書かれているのは、アナンタ(ananta)です。フォーチャプターズ曰く、無限のものという意味もあるけれど、クンダリーニ・シャクティという第1チャクラで眠っているエネルギーのことも指すようです。エネルギーの話が入ってきやすい方は、瞑想の対象はそれでもいいのだろうと思います。


どちらにしても、大事なのはその対象に集中することなので、心が波打たないものを選ぶということが大事そうです。そうすることで身体のことに気が向かなくなるからだとハリーシャは書いていますが、そこに目的があるわけです。


第1章ですでに心を集中させる7つの方法について紹介しているので、以下にリンクをつけた第1章33節から始まる方法を、いま改めて読むのも面白いのではないかと思います。特に、この最初のスートラは、人と対峙するときの指針とするのにいいと思っているので、未読の方はぜひ。


ヨガの練習の中でもアーサナの練習が一番身近である方は、わたしを含め、多くいると思います。だからこそ、ヨガの聖典であるヨーガ・スートラが書く、そのアーサナの習得ということについて、アーサナと目指すところについて、考えてみることは大事なことだろうと思います。

次回は、八支則のアーサナ編の最終回。着地地点がどこにあるのか、ぜひお楽しみに。また来週、ここでお会いしましょう。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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