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YS 2.3 それともつながる

ヨーガ・スートラを、3種類の解説を読み比べながら1節ずつに光をあてる「ヨーガ・スートラを読みたい」。クリヤー・ヨガは、苦痛を発生させる原因を最小にして、サマーディを達成させるから必要だということでした。今回のスートラから、その「苦痛を発生させる原因」にスポットライトをあてていきます。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.2 その奥まで読みにゆく」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章3節

अविद्यास्मितारागद्वेषाभिनिवेशाः क्लेशाः॥३॥
avidyā-asmitā-rāga-dveṣa-abhiniveśaḥ kleśāḥ ॥3॥

The 'afflictions' are ignorance, egoism, attachment, aversion, and clinging [to life]. (3)
その苦痛とは、無知、エゴイズム、執着、嫌悪、そして生にしがみつくことである。

パタンジャリは、種類がいくつかあるものを説明する時、すぐにひとつずつの解説を始めるのではなく、一度それらを並べて見せてくれます。わたしはそれをメニュー回と読んでいますが、まずは全体像を眺めること。そして、このトピックを自分に寄せて考えられるようにするためにも、それらの意味するところがなんなのかについて、仮定を立ててみたい。


そもそも苦痛とは

でもまず始めに、「苦痛を発生させる原因」というときの「苦痛」ってなんでしょう。

フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、みんな意識下で痛みを感じているけれど、日常生活のあれやこれやの活動がそれに気づくのを許さないし、そうでなければ鮮やかに感じてしまうことになるだろうと書いています。だから、パッと見て分かることを指しているわけではないよといいます。

外側から見えているのと、内側で起こっているのとは違う。だからヨガの生徒には、本当の幸せは目に見える表層にあるのではないと知っておくべきだと続けています。ちなみにSkin-deepと表現していましたわたしと外の世界が触れる肌のレベルではなく、もっと内側だよということ。

そして、何も持っていないように見えても、その人は喜びの中にいるかもしれないんだ(He may be in bliss)という表現をしているのもいいなと思います。喜びや幸せは、手にして保有する(have/do)といったアクションではなくて、状態(be in)のことを指すんですね。それならやっぱり、ぱっと見で外側から分かることではないだろうと思います。


さて今回のメニューを

というわけで、その苦痛を発生させるメニューを眺めつつ、ひとつずつの仮定をたてて、これからのスートラに備えたい。


①無知
これは正に、先ほど書いたことですよね。見た目がハッピーそうだからって、中身もハッピーとは限らない。わたしは知らないのだということを知らないことが苦痛を生むということ。これはSNS疲れをしたときに、SNSで伝わってくるものはその人の一面でしかないことを思い出すのにも一役買いますね。

そして、そもそもの苦痛が、そこにあるものではなく、わたし自身が作りだしてしまっていることという話に続くだろうなと思います。ヨガ哲学の核となる部分につながっているところだな。


②エゴイズム
インテグラル・ヨーガ(パタンジャリのヨーガ・スートラ)(以下、インテグラル・ヨーガ。参考2)は我想と訳していましたが、フォーチャプターズがI-feelingと訳しているのを見ると、造語かなと思います。私を想うこと、というのはとてもフラットなようですが、今回のスートラで参考にしたハリーシャ(参考3)は、エゴイズムとしています。つまり、自分の欲望を満たすことに夢中で他のことを考えないことを指していそうです。

これも苦痛になるというのは分かりやすい。その欲望は本当に欲していることなのかという①であった無知が、これを引き起こす。分かる、けれど、なんとなく心がそれを認めたくないと少し抵抗する。だから、ストンと腑に落ちるような解説があるといいなと思います。


③執着
この辺りから、このメニューの順番は、リストの前が次のリストの苦痛を発生させるものなんだなと気が付きます。その満たそうとする欲望を、そうだよそれがないとダメなんだよと掴んで離さない。自分で気付くのは難しいレベルも含めて、そうやって執着してしまう。

これは何より自分の今までの経験が、その正しさを認めるなと思います。苦いものだらけが並んだメニューですが、まだ続きます。


④嫌悪
口の中が酸っぱくなってきました。これが必要なんだと頑なにつかみ続けるけれど、本当に必要なものではないから、本当の意味で手に入れることができず、そのエネルギーが嫌悪感を生むよというのが4つめ。

「本当の」という言葉は、使うだけでそれが「正しい」ことだと思考停止してしまいやすいので、あまり使いたくないなと思う言葉です。それを、ヨーガ・スートラと解説者たちは、どう解説するんだろうな。


⑤生にしがみつくこと
そして最後に、、これはなんでしょうね。魂は生まれ変わるという考えがベースにあることを考えると、このいま生きている人生にしがみつくことは間違った認識だということでしょうか。

ちなみにこの5つめは、フォーチャプターズだけ死への恐れとして、生ではなく死の側から苦痛の種を眺めているようです。解説でそのあたりも違いが出てくるのだろうか。


メニューを眺めてみて

インテグラル・ヨーガが、この5つの苦痛の並び順も大切だよと解説していますが、それはリストを順に読んでいるとその通りだなと思います。それもがつながっている。これは、言い換えてみれば、原因はひとつで、そのうちのどの段階にあるかということだけなのかもしれません。

「ヨガとはつながることです」というのを、たまに耳にします。これは自分の奥底に眠るものとつながるとか、自分が一部で自分の一部な世界とつながるとか、そういった意味合いで使われているのだと思います。

でもここでは、覗き込むことを楽しくはないよねと思うことであっても、認識し、つながってみることに時間をかけてみようよと誘われているようでもある。

ヨガ哲学は、2極でものを見ることをあまりしないなと思っています(分類はだいたい3つ以上なことが多い)。断言するには勉強が足りないわけですが、たとえば第1章で、【いいもの】【わるいもの】と選別するのではなく、【いいもの】と【それ以外】で分けているスートラがありました。

ここでつながるものは、ああ胸が痛くなりそうだなと思いますが、自分の経験の【わるいもの】を覗き込みにいくわけではないということは、思い出しておきたい。YS2.1 でハリーシャ解説していたように、自分を律することは、自分に罰を与えることとは違うと言っていたのを思い出しつつ、真摯に読もうじゃありませんか。


次回からは、メニューに書かれたひとつひとつに目をこらします。まずは無知から。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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もえ|渡辺朋江
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