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YS 1.22 3つのメモリ

ひたむきさ次第で、サマーディへたどり着くのがだいぶ早くなるよと教えてくれた前回のスートラ。そこに、もう少し補足があるようです。

※前回分は、こちら『YS 1.21 自分の練習を』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章22節

मृदुमध्याधिमात्रत्वात् ततोऽपि विशेषः॥२२॥
mr̥du-madhya-adhimātratvāt-tato’pi viśeṣaḥ ॥22॥
ムルドゥ マディヤーディマートラトヴァーッタトーピヴィシェーシャハ

成功のために要する時間は、さらに、その修練が穏和であるか、中位であるか、非常に激しいかによって、異なる。(2)

前回に引き続き、スートラを読めば、十分にふむふむと思える内容。熱意は熱意でも、穏やかなのと、中くらいと、激しいのとあるのは当たり前のような気がして、なぜわざわざ書くことにしたんでしょうね。インテグラル・ヨーガ (2) は、今回も解説なしでした。


ハリーシャ (3) は、真ん中の道を行くのがいいよということだと考えたいと言います。非常に激しいという意味で今回のスートラに使われたサンスクリット語 adhimātra には、やり過ぎの、必要以上の、という意味もあるというのがその根拠のひとつ。ハリーシャは、パタンジャリが仏教徒だった経歴があると推測しているので、仏教の教えも加味するとそう解釈できるのではないかとも考えているようです。)

ただ、パタンジャリが書いたと考えられている解説書には、実践・練習にやりすぎといういうことはなく、徹底的にやるのがいいよと書いているそうなので、そういうことかもねと。

ううむ悩ましい。読んでくださっている方は、どちらに賛同するでしょうか。


ヨガを始めた時は、情熱と期待がいっぱいだったけれど、想像していたような結果が手に入らず、変わらず続けてはいるものの、エネルギーや挑戦する気持ちが減ってしまうなんてことはありませんか。その、期待は減りつつも続けている状態が、このスートラでいう中位だと、フォーチャプター (1) は書いています。フォーチャプターらしく明示してくれるの、ありがたい。練習にひたむきさがあるのは間違いないけれど、サマーディにすぐにたどり着けるほどに実践・練習をしているわけではないということですが、イメージできるでしょうか。

非常に激しい実践・練習については、すぐに達成できるような強い意志を持って、その時まで休みなく取り組むことだと書いています。なるほどなるほど。


今回のスートラは、ハリーシャとフォーチャプター、2つの解説のカラーの違いがよく分かるなあと思います。前者は昔からの伝統を実直に大事にしているところ、後者ももちろん大事にしているけれどもう少し現代っぽさがあるので親しみやすく理解しやすいかんじ。もうここは解説無くても大丈夫でしょうと、解説を省いたインテグラル・ヨーガも含めて、どれが正しいでなく、どれも新しい視点をくれるものとして受け取りたい。そして、これが真実ではないかと思うことを選びたい。その真実に触れる一瞬がヨガの始まりだという書いていたのは、スートラ1.20でしたね。そこに戻るんじゃないだろうか。そうやって、今ここから何度でも始めることができる。


フォーチャプター曰く、伝統的には、生徒のひたむきさに合わせて、先生が指導してきたということです。また、始めから難しい実践・練習を要求すべきではなく、先生から与えられたことを誠意をもって行いなさいと書いています。何をするかより、どうするかの方が大事だからというのを読むと、どこの道を通ってきたとしても、ここがこのスートラの目指した着地点だとも考えられそうです。

ヨガの実践・練習を行ううえで、こうなったらいいなと結果を求める気持ちと、あとはこんな方法やあんな方法をしてみたいという気持ちが芽生えることってあります。そんなとき、方法に優劣をつけるのではなく、自分の練習に誠実でありなさいということではないだろうか。他のことに気が散ってしまうことのないよう、自分がどう取り組んでいるかに目を向けるために、メモリとして3つに分けたのではないかなあと、わたしは思います。


インドって3つセットが多いなと思っている余談も、ちょこっと書いておきたい。プラクリティを構成する要素もサットヴァ・ラジャス・タマスの3つ、アーユルヴェーダの体質診断で使われるピッタ・ヴァータ・カファの3つ、世界のサイクルを破壊・始まり・維持と3段階で考えているなどがあります。これって、2つだと白黒つけたくなってしまう脳みそから自由になるのにいいよなと思うんです。これについて調べてみたいという段階なので、ただの仮定ですが、もしそうだとしたら、このひたむきさの3つの分類も、良し悪しでなく今の自分を観察するための指針だと、より考えやすいかななんてことも思っています。


余計なことももうひとつ。初めてインドを旅行した時に、そういえば、道に迷ったら3人に尋ねていました。インド人は分からないと答えるのは失礼だと考えるから、嘘でもとにかく教えてくれるという噂は聞いたことあるでしょうか。本当なのかは分からないし、そもそもわたしがインドの言葉を話せないのでごめんなさいですが、確かに道を尋ねるとみんなわりと違う方向を指さすものでした。

そんなわけで、わたしの解決策は、とりあえず3人に聞いて、その答えの多数決で決めること。結果それでも違うこともあったけれど、まあ自分で決めたからしょうがない。何かの際にご活用ください。(あるかなそんな時..)


では今回もスートラを音読して終わりにしましょう。


サマーディに早く到達する方法は次回も続きますが、また違った展開になります。わたしは、おおおと声が出ましたがどうでしょうか。次回のヨーガ・スートラ第1章23節はこちらから ⇩

※ 本記事の参考文献はこちらから






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