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夜叉と相棒 三話

 山を下りていく中、夜叉は鵺に肩を叩かれた。振り返れば少し離れておぼつかない足で山道を歩く小夜に気づく。歩幅の差もあるが足場の悪さに苦戦しているようだ。

 少女の姿をしているとはいえ、天女である彼女に体力がないとは思えず意外そうに観察していれば、小夜に「天ではあまり歩かないから」と言われる。

 羽衣で空を飛べる天女はあまり歩くことがない。歩けなくはないけれど、ずっと歩き続けるという経験は少なかった。今は修行に出ているために羽衣は没収されているのだが、小夜は「歩く練習はちゃんとしたの」と木葉月山神の元で教えてもらっていたという。

 天女とはいえ、少女の身体である以上は歩き方に差が出てしまう。夜叉に合わせて歩くなど彼女には無理なことだというのは聞かずとも分かることだ。話を聞いてしばし、考えてから夜叉はほらと手を差し出した。

 差し出された手を握って隣を歩く小夜を時折、確認しながら慣れていないように歩幅を合わせていれば、くふっと鵺が笑いを堪えていた。


「鵺」
「あぁ、拳を握るな。笑わぬ、笑わぬから」
「夜叉と鵺はいつも一緒なの?」
「そうだよ、小夜」


 夜叉が鵺を黙らせようかと考えていると小夜がそう問うた。なんだと見遣れば疑問に鵺が答える、こいつとは旅を始めてからずっと一緒だと。長い付き合いなるなと笑う鵺にどうしてとまた問いが返ってくる。するりと彼女の肩まで下りてきた鵺は「面白いから」と何でもないように話す。


「夜叉といればまず食べ物には困らん。さらに嫌々手助けしている哀れな様子が眺められるのだ、飽きることがない」


 助けたくもない人間を、神に手を貸さなければならない。関われば嫌でも人間の身勝手さを醜さを知って、神の横暴さが身に沁みる。時に感謝されることはあれど、恐れられ、罵倒を浴びることだってあり、その理不尽さに堪えるしかない。そんな哀れな姿というのは鵺にとって面白いものだった。

 理解できないように眉を下げる小夜に鵺は「同情はよくない」と告げる。


「夜叉は神に負けたのだ。神罰を受けた者を同情してはならないんだよ」
「でも、手助けしたのに恐れられるのはどうして? 助けたのに感謝されないの?」
「人間というのはね。自分たちとは違う存在に恐怖するものなんだ」


 人とは違う力を持っていて、物の怪を妖かしを薙ぎ払う強さを見せて、それが自分たちに降りかかるのではないかと考えてしまう者も少なくはない。力の無い弱い人間というのは恐怖を抱き、避け、時に恩を仇で返すように牙を向いてくる。

 都合の良い頭をしているんだ、人間はと笑う鵺に小夜は「身勝手なのね」と不満げに呟いた。彼女の様子に人間のことをあまり理解していないのだろうと夜叉は会話に入るように名を呼ぶ。


「小夜。人間の前で自分が天女であることは絶対に言うな」
「なんで?」
「人間に捕まって玩具にされる。死ぬより苦痛を味わうことになる」


 天女などという存在は人間からすれば恐れではなく、興味の対象だ。その血は万病に効くと人の世では噂されているだけでなく、絶世の美女でありその身体は男の心を満たすなどなんと下世話なことまで囁かれている。捕まればどうなるかなど想像できなくはなく、夜叉は「老若男女関係なく、人間には気をつけろ」ときつく言いつけた。


「あと人前で俺を夜叉と呼ぶな」
「どうして?」
「夜叉とは人間にとって悪しき妖かしだからだよ」


 小夜の疑問に鵺が「夜叉がしでかしたことは言い伝えられているからねぇ」と答える。詳しい話など知らずとも、夜叉という妖かしが人を襲ったと知っている人間はいるのだ。彼等に退魔師など呼ばれては相手をする手間が増えてしまう。

 夜叉は神罰を受けているために人間を殺すことはできない。できないというだけで死なぬ程度に痛めつけて逃げることはできるが、できれば争いというのは避けるべきだ。

 人の負の感情というのは悪しき妖かしを呼び寄せる。彼らと戦いにでもなれば周囲に被害がでないとも限らず、それによって人が死ねば夜叉の罰が重くならないとも限らなかった。

 鵺の説明に小夜はなるほどと頷いて「じゃあ、なんて呼べばいいの」と首を傾げる。


「黙っていればいい」
「阿呆か、お前は。何かあった時に困るだろうが。小夜、人前では夜叉のことは白蓮びゃくれんと呼ぶといい」
「鵺」


 鵺の発した名に夜叉が眉を寄せる、口にするなと言いたげに。それでも鵺は「お前の名には変わらんだろう」と返す。


「お前が貰った名だ、大切にしろ」
「それは……」
「お前に名を与えたあやつは呼んでほしいはずだよ」


 そう言われては夜叉は言い返せず、眉を寄せて小夜を見遣る。何を話しているのだろうかと不思議そうにしている目と合った。しばし、見つめ合ってから夜叉は仕方ないかと「好きに呼べ」と返す。


「びゃくれん、びゃく?」
「呼びやすいように呼べばいい」
「じゃあ、びゃくにする」


 びゃく、びゃくと覚えたての言葉を喋る幼子のように口ずさむ小夜に、何が楽しいのだと夜叉は思いながらも深く突くようなことはしなかった。

 妖かしである以前に女である小夜を夜叉はどう扱うかと頭を悩ませる。木葉月山神に丁寧に扱うようにと命令されているけれど、鵺以外の他人と距離を置いてから百年は経っている。妖かしの男に今更、何ができるというのだ。他人との接し方などとうに忘れているというのに。

 たまに人間に頼まれ事をするとはいえ、会話など大したものはしない。本当に面倒だと夜叉は機嫌良さげに歩く小夜を見遣って、ぴたりと足を止めた。


「びゃく?」
「小夜、俺の後ろに下がれ」


 握っていた手を離し、前に出れば小夜は周囲を見渡しながら後ろに下がる。鵺が彼女を守るように隣を陣取って夜叉は刀を抜いた。

 ざわざわと騒がしい。静かだったはずだというのに複数の声がする、すぐ傍で。ぴたりと風が止んで黒い霧がゆったりと迫ってくる。

 木々の間から腐臭を放ちやってきたのは泥の塊だった。百足のように生えた複数の人間の腕で地面を這い、ぼつぼつと疣のようにある目玉がぎょろぎょろと動く。泥からいくつもの声が発せられているが、何を喋っているのかは聞き取れない。


「まぁた、山の物の怪かい」
「運がない」
「お前に運がないのはいつものことじゃあないか」


 ははっと鵺が笑えば、夜叉は不機嫌そうに顔を顰めながらも刀を構えた。泥の物の怪は向けられた刃に「ギャァァァアァァァァ」と甲高い奇声を上げながら、その見た目に反した素早い動きを見せる。たったったと地面を這い、勢いよく飛び上がった。

 夜叉は避けることなく刀で薙ぎ払い、地面に叩きつけるとともに斬りつける。数本の腕が飛び、血のような粘液を吹き出しながら奇声を上げる物の怪は暴れた。じたばたと這いながらぐにゃりと身体を膨らませ、人間のような大口を開ける。

 喰らうように迫ってくるも夜叉はそれを避けて回りこみ、また一撃を加える。ぐぇぇと呻きながら地面にへばりつく物の怪だったがぐるりと向きを変えた。小夜を認識した物の怪は彼女に向かって飛び掛かった瞬間、びゅんっと吹き飛ばされる。

 鵺は尾の蛇を鞭のようにしならせてから物の怪の腕に巻き付けてくるんぐるんと振り回す。


「ほれ、夜叉」


 ぐるんと振り回された物の怪が投げつけられ、夜叉はぐっと刀に力を籠める――刃に焔が纏い焼き尽くすように物の怪の身体を切り裂いた。

 燃える身体は悲鳴を上げる。いくつもの声が痛々しく鳴き、悶えて、はらはらと灰になって散り、あぁぁと最後に泣いて物の怪は消えていった、跡形もなく。

 ぶわりと溢れ出た瘴気を鵺が喰らう、ずるずると。美味そうに全てを飲み干して、満足そうに笑みを浮かべていた。

 はぁっと呼吸をしてから夜叉は刀を鞘に収めるて小夜の無事を確認すれば、彼女の丸い瞳がこれでもかと開いていて、動かずにじっと見つめられていた。恐がらせたかと夜叉が「大丈夫か」と声をかけると小夜はぱちりと瞬く。


「すごい!」
「はぁ?」
「びゃくと鵺は息ぴったり!」


 何を言っているのだと夜叉が言葉の意味を理解できていないでいると、鵺が「息が合うのは当然さ」と背後に回ってきた。


「こいつとは長い付き合いなんだ。何をしたいかまで分かるぞ」
「長い付き合いだと分かるのね」
「そりゃあ相棒だからさ」
「誰が相棒だ、ただのタダ飯食いだろうが」


 いつ貴様と相棒になったと夜叉は反論するも、鵺は撤回する気はないらしい。「お前だってわしが動くことを見越して立ちまわるだろうに」と言われてしまう。確かにそういうことをする時もなくはない、なくはないがお前を相棒にしたつもりはないのだ。そんな夜叉の主張など鵺には通用しない。

 せめて小夜にはちゃんと訂正せねばと彼女を見遣れば、なんとも純粋で煌めく瞳を向けられていた。嫌な予感がする、その夜叉の勘は正しい。


「相棒って素敵ね!」


 いいな、いいなと小夜は目を輝かせていた。あぁ、だめだこれは訂正できないと全てを察した夜叉は鵺を睨むしかない。


「私も夜叉と鵺の相棒になりたい!」
「ほう、そうくるか」
「相棒って一人だけなの?」
「そんな決まりはないさ。お前もなれるかもしれないねぇ」


 なぁと鵺に同意を求められて眉を寄せる夜叉だが、小夜の無垢な眼差しに文句も言えない。天女とはこうも純粋であっただろうか、出逢ってきた彼女たちを思い出していくも小夜のような存在はいなかったと結論が出る。

 言葉を待つ小夜を無碍にできず、夜叉は「そうだな」と返すしかなかった。ぱっと表情を明るくさせて嬉しそうにしている彼女にあぁ、これはまた面倒になると思うも、言ってしまったものは仕方ないと諦めるしかない。


「お前、やっぱり丸くなったなぁ」
「黙れ。貴様のせいだろうが」
「わしは本当のことしか言ってないがなぁ」


 けらけらと笑う鵺に夜叉は無言でその猿の額を殴った。

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