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カラフル屋根の上に、ロープウェイ

 私がリュック一つでコロンビアを旅していた時の話をしようと思う。当時大学生だった私は、夏休みを使って、中南米をアンデス山脈沿いにチリまで南下していく旅の最中だった。メキシコではチラホラと見かけたアジア人も、コロンビアに渡ると全く見なくなり、たまたま入った店でウェイターに尋ねても、東洋人が来るのはかなり珍しいと言われたのを覚えている。
 女子大生が一人でフラフラしているのもあまりよろしくないような治安だと聞いたので、私は必死に同じ年頃の女子に話しかけ、数日一緒に過ごしてくれないかと頼んで回っていた。幸い、同じくバケーション中だった現地の子と仲良くなり、観光に付き合ってもらえることになった。ディアナという名前の、大きな瞳が印象的な子だった。ただ、同じ年頃かと思った彼女は、高校生になったばかりのかなり年下だった。向こうの女の子たちは、とにかく見た目が大人っぽいから年齢を当てるのが難しい。ディアナは英語が流暢だったので、私は片言の拙いスペイン語を使わずに済んだ。とにかく、一人では不安だったコロンビア旅に、心強い仲間ができて大変助かった。
 私は彼女に案内され、メデジンの街中を観光していた。すると、山の麓にカラフル屋根の可愛らしい家々が立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。原色使いの鮮やかな景色がいかにも南米らしく思えた私は「あそこに行ってみたい!」とディアナに伝えた。すると、ディアナは「ロープウェイがあるからケーブルカーでなら行けるよ」と言う。私はぜひぜひ!と二つ返事でケーブルカーに乗ることにした。
 ロープウェイは山の頂上に繋がっていて、私たちはカラフルな街を見下ろしながら、一定のスピードで山を登っていった。近くで見ると、色鮮やかな家の数々は、屋根や壁をカラフルに塗ってはいるものの、建物自体はずいぶん古いように見えた。それでも、洗濯物も干してあるし、生活感は出ていたので、人が暮らしているのだろう。私はディアナに尋ねた。「ケーブルカーは途中で降りられるの?下の街を散歩してみたいな」すると、ディアナは慌てた様子でこう返した。「危ないから絶対ダメ。あれは貧困街だから、持ってるものを全部盗まれちゃうかもしれないわよ」私は驚いた。治安が悪いと散々聞かされていたものの、これまでそんなに危ない目にも遭わず、快適にコロンビア観光を続けていたからだった。なんでもディアナによると、貧困街が家をカラフルに塗っているのは、もともとは観光客を誘き寄せるためだったのだという。その昔、まんまと引っかかり、やってきた観光客は金を強請られるか、運が悪ければ身包み剥がされたのだという。恐ろしい話だ。
 我々が乗ったケーブルカーは、コロンビア政府が観光客のために用意したもの。そしてそれは、貧困街で起こるトラブルの被害を減らすためでもあったのだそう。私はケーブルカーの中でディアナからそんな話を聞きながら、カラフルな街を眺め続けていた。俄にポップで可愛らしいイメージは覆され、なんだか不穏で、そして経済の仕組みから生まれた悲しみが、街中にひっそりと漂っているような気がしてきた。それなのに、ロープウェイが敷設されてからは、このカラフル屋根の街並みが、新たな観光地として純粋な経済効果を生んでいるのだ。もう彼らが家をカラフルに塗りたくった元の目的は果たせなくなってしまっただろうに。今そこに住む人々がどうやって生計を立てているのかは、分からなかった。ディアナは、観光の経済効果が彼らの生活も多少は豊かにしてくれてるはずだと言っていた。
 私はケーブルカーを降りると、面白さと悲しさが同居しているような景色に別れを告げ、ディアナと観光を続けた。結局、コロンビアでは危険に晒されることもなく、安全に旅を楽しむことができた。ちなみに、メキシコでスマホをスられていた私は、その後携帯なしでチリまで渡っていった。そのせいで事前に立てた計画はパア。行き当たりばったりの旅になってしまったが、それでも良い人たちに巡り合って、無事に日本に帰ってこれた私は幸運だったのだと思う。今だってそう。寒い冬に毎日温かなベッドで寝て、起きて仕事に行って、週末は遊んだりダラダラしたりして、たまに美味いもん食える人生が、幸運そのものだしね。

#私だけかもしれないレア体験

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