夏が遠いからこそ蝉を想う

蝉、蝉、蝉。


思い出す、夏のこと、夏というか具体的に五月から九月終わりくらいの時期。


ミンミン鳴き出す季節。忌まわしい物体、蝉。


辺り一面には蝉。道の端に蝉。木々には蝉、点々と蝉。

大合唱も大合唱、サウンドなら音量下げてるレベルの騒音が奏でられ顔をしかめざるを得ない。

あぁ、今年もやってきたんだと感じる情緒もそこそこに、蝉は私達にこれでもかと、存在をみせつける。


蝉だって一生懸命生きてるんだから。
七日間しか生きられないんだから多めにみてあげて。
蝉可愛いじゃん、小さいし。


どこの誰が言ったか知らないが、蝉が嫌いだと主張すると定型文のように飛んでくる言葉。

聞き飽きた、説教じみたことも言われ慣れた。


何故蝉のみにここまで固執するのか。その答えは自分でも分からない。とにかく嫌いなんだ。


嫌いなものは嫌い、そのことだけははっきりしている。

でも対処しようとかは思わない。何故なら無限だから。無限であって、季節には終わりがある。だからあえて何もしない。


道を通る時に怯えるのも、ベランダに落ちてきた奴に喚くのもある種過ぎていく時なのだ。

そして季節が変わり、また夏がやってきて、不快なあの姿を見せつけてくる。



永遠の謎の存在、それが蝉。

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