見出し画像

駐妻が茶室で癒されていく話①

私は夫のシンガポール駐在に帯同して、5年目。
30代の2児の母である。

おそらく人生で最初で最後の、
約3ヶ月に渡る母子一時帰国中。

この機会に、
今までやったことのない茶道を始めた。

ここのところ見つめ直している
これまでの自分について、
考えたことをとりとめなく、書いていこうと思う。
長くなるが、お付き合い頂けたら嬉しい。

———————
つい最近までの私は
自分のことが大嫌いで、
認められなくて、
自分と他人を比べて、羨んで、
今の自分を取り巻く状況の不満ばかりを
探していた
不機嫌な人だった。

いわゆる駐妻として、
20代後半でシンガポールに移り住み、
第一子の出産育児と順調だったはずだった。
大変なこともあったけれど、
プール付きコンドミニアムに住み、
聞いたことのない南国の鳥の声で目覚める朝。
なんて幸せなんだろう、恵まれているんだろうって思っていた。


長男が、スタスタと歩き、言葉を発するようになってきた頃、

流産手術と
婦人科系の手術を
両方ともシンガポールで経験した。

別に大病でもなんとでもないし、
成功率が低い手術でもなかった。

だから、
平気のように自分は振る舞っていないといけない、と思った。

この程度のことで弱音を吐いてしまったら、
海外での家族生活全てが、
なし崩し的にだめになるかもしれないという
プレッシャーがあった。

周りの友人達も、妊娠出産に関する”何か”を多かれ少なかれ背負っているのを知っている。
悲しいと声にだすことで、他の誰かを間接的に傷つけるかもしれないとも勝手に思っていた。

本当は怖かった。
立ち止まって、灯火が消えた命のことをゆっくり悲しみたかった。

エコーで見た、
あのピクピク動いてた心臓は、
シンガポールのどこかに
連れていかれた。
そう、言い換えると、医療廃棄物として、捨てられた。そういう決まりになっているから。
捨てていいですか?と許可を求める書面に病院でサインをした気がする。確か。
よく覚えてないけれど。

もし0.001パーセントの確率で、
自分が手術中に麻酔下で絶命したら?
テレビドラマでしか見たことのない、まぶしい手術台の光。これが最期の目に映る映像?
自分の遺体はどうやってシンガポールから日本に運ばれるんだろう?
長男はどうやって育てるのかな?
なんてよからぬことを考えた。

でも、そんなことを口に出したら、
余計に負のスパイラルに陥ってしまう気がして、
歯を食いしばって、強がった。

大したことない。大したことない。
何回も自分に言い聞かせた。

今思うとそれがダメだったのかもしれない。

自分の本心を見つめるのが、
とっても怖くて嫌だった。

大したことないと念仏のように唱える一方で、
うまく、心軽やかにサッパリ突破できない自分を
心の内で、無能だと責め続けた。

知らない誰かの視線や評価を気にして、
がんじがらめになっていた。

続きは、
【駐妻が茶室で癒されていく話②】です! 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?