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わたしはポケモントレーナー

”自己紹介をゲームで語る”。
なんて、なんて素敵な企画だろう。

そう思えるほどに、わたしには愛してやまないゲームのタイトルがひとつある。
それは、そう。

ポケモンだ!

もう今や世界中で愛される不朽の名作、ポケットモンスター。
ゲームの概要とかもはや説明する必要ないと思っている。
最近だと、金曜ロードショーで名探偵ピカチュウが放送されたばかりだ。
あとは、ピュレグミ×ピカチュウのコラボお菓子が発売された。
欲しいのに、近所のコンビニで売っていなくて落ち込む日々。

そんなわたしとポケモンとの出会いは、1997年4月1日まで遡る。

この日がなんの日かはご存知だろうか。
そう、アニメポケットモンスターの記念すべき第1話放送日だ。

幼稚園でもうすぐゆり組さん(年中)へ進級を控えたわたし。
このときは、1年前に発売されたゲームボーイソフト、ポケットモンスター赤・緑をプレイしているお友達は身の回りにいなかったため、ポケモンという存在をまだ知らなかった。

わたしの母は仕事をしており、よく祖母の家に預けられていた。
その日も、祖母の家で大好きな焼き鮭定食の夕食を食べ、テレビを勝手に見ていた。
そのときである。
たまたま、本当にたまたま、テレビ東京のチャンネルがついており、アニメポケットモンスターが放送されたのだ。

かの有名なサトシとピカチュウの出会いが描かれた第1話を、リアルタイムで偶然見ることのできたあの日から、わたしはポケモントレーナーとなったのだ。

ポケモン手作りめんこが羨ましい

それ以降、毎週火曜夜6時半は、必ずポケモンを見ていた。
わりと最近、アマゾンプライムでポケモンが配信されていたので20年以上ぶりに昔のアニメを見たのだが、話の流れや細かなセリフ等、今になってもやっぱり覚えていた。
それくらい、幼児だったわたしにとってポケモンというアニメの存在は大きかった。

幼稚園でも、ポケモンブーム到来である。
ポケモンいえるかな?を最初から最後まで間違えずに歌える子はヒーロー扱いだった。
ポケモンごっこの際には、なんにでも変身できるミュウとメタモンが人気の役だった。

毎週楽しくアニメを見ていたわたしだったため、当然伝説のポリゴン回も視聴していたのだが、特に健康上の問題は起きず、訳もわからぬままポケモンがなぜか放送されない時期を迎え、心底悲しんだ。

放送休止期間が終わり、すみれ組さんへと進級していたわたしは、ポケモンの再開を喜んだ。
そして毎週木曜夜7時に、再びポケモンを見るようになったわけである。

この記事を書く際には、映画ミュウツーの逆襲のことを本当はとてもとても×100入れたかったのだが、愛が重すぎてまとめられず断念した。ので、この場を借りて書かせて欲しい。

ポケモンの映画がやると知って、わたしは楽しみすぎて踊り狂った。
初めて、自分から映画館に見に行きたいと母にお願いをしたのが、この作品である。
そして、映画を見て悲しい、嬉しいと感動し涙する経験も、このミュウツーの逆襲が初めての映画となったのだ。
一昨年、映画ポケットモンスターみんなの物語を観終わった後に突然、「わたしは誰だ…」と予告音声が流れ、ミュウツーの逆襲evolutionというタイトルがばーんと出て来て、夫と共に「え?え?」と、上映中はお静かにのマナーさえも忘れてこんらんじょうたいに陥ったくらいには、わたしの中でのレジェンドオブシネマとなっている。

アニメも映画も人気のポケモン。
6歳当時、わたしはやはりまだゲームの存在は知らなかった。
しかし、そんなわたしにとって羨ましくてならないものがあった。

それが、お友達のお父さん(絵がめちゃ上手)の手作りポケモンめんこである。
リザードンとかカメックスとかかっこいいポケモンも、ピカチュウとかピッピとか可愛いポケモンも、直径5cmくらいの厚紙の中に一匹ずつ描かれている、手作りめんこ。
羨ましくて自分で真似して作ってみたものの、納得のいかない出来栄え。

お友達の持っているものが羨ましいと感じる気持ちも、わたしはポケモンから芽生えたのだった。

ちなみに、後々他にも羨ましがる子が多数出始めた結果、子供同士で物々交換という名の、物のトラブルが発生。
幼稚園に関係ないものを持ってこないようにと先生からお話があり。
わたしはポケモンめんこを借りることも貰うこともできないまま、ポケモンめんこブームは去り、幼稚園卒園となったのである。

ゲームポケットモンスターとの出会い

1年生となったわたしは、ついに、放課後お友達と遊ぶという経験と同時に、ゲームボーイという最高に面白い遊びを知ってしまった。

冬にはポケットモンスター金・銀が発売され、ゲームボーイカラーを持っているお友達を中心に、ポケモンの話題といえばアニメよりもゲームという空気になっていった。

ゲームを買ってもらえなかったわたしは、毎週のアニメを楽しむことと、たまに遊ぶお友達がプレイしているのを隣で見ることで、なんとか我慢していた。
内心は羨ましくて羨ましくて仕方がなかったのだが、わたしは聞き分けのよい子供だったので、「買って買って欲しい欲しい!!」と、駄々をこねることもできず、そのまま1年生を終え、2年生も終え、3年生をも終えようとしていた。

12月24日。

わたしはこれまで、サンタさんからは「どんなプレゼントが来るかお楽しみ」というスタンスでクリスマスを楽しんでいたのだが、この年は違った。

”サンタさんへ ポケモンのゲームがほしいです!!!!!!よろしくお願いします!!!!!!!”

この手紙を、夜にクリスマスツリーに飾った。
お願いの気持ちも込めて、母と妹と一緒にフルーツポンチを作り、それもツリーの下へ置いた。

サンタさん来たかな。
来てないかな。
まだかな。

そわそわしながら眠りについたわたしは、翌朝飛び起きると大慌てでツリーの下を確認した。
包み紙が置いてある。
必死に包装を破り捨てて出て来たのは…

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スケルトンブルーの、ゲームボーイアドバンスだった。

わたしは狂喜乱舞した。
嬉しすぎて大絶叫だった。
ついでに、フルーツポンチが全部食べてあったことにも大興奮だった。

しかし、気づいた。

ソフトが…ゲームのソフトが何もない。

よく見ると、ツリーには英語の手紙がくっついていた。
何やら文章が書かれているが、英会話教室に通っていたとは言えど、読み取れた単語は"sorry"と"pokemon"のみ。

しかし、賢いわたしは察した。
サンタさんは、どうやらゲームボーイは用意できたが、なんらかの事情でポケモンのソフトまでは用意できなかったらしい。

母に、次のお休みになったらおもちゃ屋さんに行きたいとお願いをした。
それまでの数日(といっても確かたったの2、3日)、わたしはソフトの入っていないゲームボーイアドバンスを、つけては消して、つけては消して、喜びを噛み締めた。

そうしてついにやってきた、トイザらス。

わたしは、発売から1年以上経って、ようやく手に入れたのだ。
ポケットモンスタークリスタルを。

現在でも、3DSでバーチャルコンソール版といって、ゲームボーイ時代のソフトを購入し楽しむことができるのだが、もちろん速攻で買った。楽しかった。

こうして、わたしの初めての冒険の舞台はジョウト地方で、初めてのパートナーはヒノアラシとなったのだ。

ママにゲーム隠された

さて。もう見出しで内容を察せるだろう。
案の定、ゲームにのめり込みすぎたわたしは、母にゲームを没収された。

夕飯に呼ばれても動かない。
風呂に入れと言われても動かない。
宿題は後回し。
休日の朝は起きて真っ先にゲーム。

こんな状態だったのだから、当然である。

しかし、何度隠されても、わたしは毎回毎回しっかりゲームを回収していた。

階段下の物置。
父親の部屋。
本棚の一番上の隅。

素知らぬ顔して回収し、こっそりとトイレやお風呂に持ち込んでゲームをしまくり、わたしのバクフーンやランターン、プテラはレベル100になっていた。

トイレに何時間もこもってゲームをしているのだから、さすがに母もおかしいと思ったのだろう。ふつうにバレた。
ゲームをちゃっかり回収していたことへの驚きと、トイレに篭ってまでやる?という驚きとで、母は怒りを超え爆笑していた。
やることをちゃんとやる、でなければ今度こそ捨てるという約束の元、ゲームを返してもらったわたしは、それまでよりはちゃんと動くようになりつつ、ゲームの世界を楽しんだ。

それでもポケモンが好きだった

その後、ポケットモンスタールビー・サファイアも目一杯楽しみ、エメラルドこそ買わなかったものの、昔の青バージョンを購入し楽しみ、わたしは小学校卒業を間近に控えていた。

そんなときである。
一体いつどんなタイミングでそのような話になったのかは覚えていないが、わたしはひどく傷つく体験をした。

ずっと、一緒にポケモンを楽しんでいた女の子の友達がいたのだが、その子に言われたのだ。

「まだポケモンとかやってるの?ダサくない?」

つい最近まで一緒にゲームしてたじゃん!
ポケモンを増やす裏技とか教えてくれてたじゃん!
とは言い返せず、わたしは家で落ち込んだ。

それにくわえてさらに追撃。母からも、「まだポケモン好きなの?」と、アニメを見ていて言われた。

そうなのか。
もうポケモンを好きでいたら、変なふうに思われるのか。

ひとつ学んだわたしは中学生となり、部活が忙しくなったためアニメを見ることもなくなり、自然とポケモンから気持ちが離れていった。

こうしてアニメも見ず、ゲームもせずに中学2年生になったとき、ニンテンドーDSと、ポケットモンスターダイヤモンド・パールが発売された。

もうポケモンなんてダサいよね…

そう自分に言い聞かせ見て見ぬふりをしていたが、やっぱりどうしても気になって、発売から大分経ったある日、わたしは、自分でこっそりとTSUTAYAへ出かけ、誰にも内緒でポケットモンスターパールを買った。
DSの方は、一体なんのソフトを遊ぶためだったか忘れてしまったが、クリスマスか誕生日かで貰ったんだったと思う。
そのときすでに持っていたので、自分のお小遣いを貯めて、ソフトを買うだけで遊ぶことができた。

もう、ポケモンが発売されたからといってクラスで話題になることもないし、やっているという人も誰もいなかった。
ただ、今から思えば、もしかしたらわたしのように、周りの空気を読んで、こっそり家で楽しんでいた子もいたのかもしれない。

わたしも、ひっそりと自分だけでポケモンを楽しんだ。
友達と話題に出さなくても、ポケモンは夢と冒険とわくわくをわたしに十分与えてくれた。
本当に大好きだったので、友達が「ポケモンとかまだやってる人いるんだね」と言った際に同調するのが、とても心苦しかった。

だからわたしは、現代の子供、そして子育て中の親に、声を大にして言いたい。

人の好きなものに口出しをするんじゃない!!!!!!!!

大好きなものを後ろめたい気持ちで楽しんだ、わたしのような悲しい10代を過ごして欲しくないと、切に思う。

あれから20年

その後もわたしは、ポケットモンスターシリーズの発売日を毎回心待ちにし、発売されたら急いで買いに行き、思い切り遊んだ。
ポケモンGOを起動して、たくさん歩き回った。

初めてゲームポケットモンスターと出会ってから、ちょうど20年が経つ。
大人もゲームやアニメを楽しむという空気が出来上がり、大変嬉しく思うと同時に、わたしにとってはもうひとつ、嬉しいことが。

それは、ポケモンは”いる”ということだ。

初めてポケモンと出会ったゆり組さんのあの頃、わたしは七夕の短冊にこう書いた。

”ピカチュウと、フシギダネと、ヒトカゲと、ゼニガメがほしいです。ぜったいにほしいです。”

ゲームが欲しいとかそういうことではない。
わたしは本気で、ポケットモンスターという生き物と一緒に生活をしたいと、動物をペットに迎えたいという気持ちと同じ思いで願った。
いつか誰か、すごい研究者が、本物のピカチュウを生み出してくれないかと思っていた。

この時は、残念ながら貰うことができなかった。

しかし今、わたしの生活に、ポケモンは”いる”のだ。

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バナ夫。

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わたしの相棒はサンダース。

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友人からも可愛いと評判のピカチュウ。

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ゴクリンちゃん。

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ヒバニーのキックくん。

バナ夫とか、ちょっと平均的なサイズよりも小さいけれど。

アニメを見て、そして初めてゲームでポケモンの世界を冒険した日から、一緒に生活したいとずっと願っていたわたしの元に、ポケモンたちがやって来てくれたのだ。

わたしは、ゆり組さんのころのわたしに教えにいきたい。

ポケモンいたよ!
みんなお気に入りのポケモンを連れて歩いてるよ!
ポケモンは世界中にいるよ!日本にはいないポケモンもいるよ!

そして、
わたしは大人になってもポケモントレーナーしてるよ!
最高に楽しいよ!

ってね。




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