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自己紹介と田舎の思い出

1992年、山に囲まれた盆地の地域の病院でわたしは生まれた。夏は緑、冬は青と白に染まる山々に見守られてすくすく育ち、御歳27歳。東京に来た頃は、周りに山がなくて落ち着かなかった。

8歳まではマンションに住んでいた。学校から帰ってくると、空っぽのエレベーターをわざと5階まで行くよう仕向け、わたしは階段を駆け上がって競走していた。記憶の中ではかなり勝ち越していたような。

マンションの前には大きな川が流れていて、昔はたくさんのカモが暮らしていた。カモにパン耳をあげようとニコニコしたわたしと、そんなわたしを取り囲むカモたちとの写真が残っている。川辺の小道は最初自然のままだったのに、人工的な土手のように工事されてからは、カモたちはいなくなってしまった。寂しかった。またその川で妹と遊んでいた時に、ものすごく大きなヘビ出会ったこともある。今思い返すと多分シマヘビ。噛まれたら大変と思い、動きと息を止めてヘビが行ってしまうのを待った。怖かった。

9歳で一軒家に引っ越した。小高い山の上の家から学校までは、大人の足で歩いて25分。こどものわたし、行きは走って20分。帰りは歩いて1時間。毎日が山登り。日陰で座り込んでは水筒のお茶を飲み、ぜぇはぁいいながら通っていた。幼児期に運動会のかけっこでいつもビリだったわたしは、この通学筋トレによりぐんぐん運動能力が伸び、6年生の徒競走では1位だった。元の運動神経はあまり良くないのに、リレー選手の補欠にだって選ばれた。

そんな山の上の家。近所には小学生のこどもがたくさんいたので、毎日毎日、学校の日も休みの日も夜になるまでたくさん遊んだ。

公園で秘密基地作り。靴飛ばし。ターザン。鬼ごっこ。高学年になるとちょっとワルになっており、自転車鬼ごっこというなんとも危険な遊びもしたし、ドッジボール中にボールがお隣さんのブドウ畑に転がってしまうと、みんなでボールを取りに行きこっそりぶどうをつまみ食いした。立ち入り禁止の廃校に忍び込んで、黒板に落書きなどしてみたり。

どれもこれも、のどかな田舎だったからできた経験だと思う。幼少期の遊びの思い出は、今思い出してもきらきらと輝いていて、わたしの宝物だ。

大学では教育学を研究していた。遊びについて学生同士自分たちの経験を共有し分かったが、東京出身の子達がしてきた遊びとわたしのしてきた遊びはかなりかけ離れていたようだ。遊ぶ時間、場所、仲間ともに、どうやらわたしのしてきた遊びは東京でいうと1950年代の遊びらしい。

都心の大学で過ごした時間は充実していた。わたしは東京が大好きだ。人も物もたくさんで、いろんな経験ができる。でもやっぱり田舎も好きだ。風景、匂い、おいしい水。きらきらの思い出。そんなわたしが住んでいるのは、東京だけど、都心から離れた静かな地だ。都会と田舎のいいとこ取りな生活ができて、とても気に入っている。


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