涙の国
その小さな国ではいつも誰かが泣いていました。
あまりにもみんな泣いているので、いつしか泣くことが当たり前になって、慰める人もいなくなりました。
それにこの国では、泣けば泣くほど幸せになれるのです。
皆の流した涙はどこかに溜まり、川になって海に流れ、やがて空に昇り雲となり雨を降らし、最後には綺麗な虹になります。
人々は虹ができる度、嬉しくて誇らしい気持ちになるのです。悲しくて、辛くて、寂しいほど、幸せになれるのでした。
ある日、小さな国に旅人がやってきました。
旅人は、泣いている人々を見かけては思います。
「どうしてみんな泣いているんだろう。この国では、誰か大切な人が死んでしまったのかな?」
旅人は人々に泣いているわけを尋ねて歩きました。
「ママの帰りが遅かったのよ」
「お気に入りのマグカップを割ってしまって」
「どうしても上手に歌えない歌があるんだ」
泣いている理由はどれも、旅人にとっては取るに足らないものでした。
そんなことで泣かなくてもいいのに、と旅人は思いました。
「たくさん泣けば、それだけ綺麗な虹が見られるんだよ。ほら、空を見てごらん!」
旅人が空を見上げると、大きくて綺麗な虹がかかっていました。
旅人は泣いていない少年を見つけました。この国に入って、泣いていない人を見かけるのは初めてです。思わず声をかけました。
「ねえ君、この国の人はどうして泣いているの?」
「それはね、みんな本当に大切なことがわからなくなっちゃったからさ。だから僕、なんとかしたいんだ。一緒に来ておくれよ」
少年は旅人を連れ、街外れまでやってきました。
そこには、丸くて大きなタンクがありました。
「みんなの涙はね、ここに溜まるんだよ。そうして虹になるんだ」
「ああ、さっきも見たよ。大きくて綺麗な虹だったね」
「うん、でも、泣いているより、笑っている方がいいと思うんだ」
少年はそう言うと、カバンから先の尖った石を取り出し、タンクを叩き始めました。
「やめたほうがいいんじゃない? 壊れてしまったら、怒られちゃうよ」
旅人は不安そうに言いました。
「構うもんか。ちょっとでもひびが入ればそれでいいんだ」
やがて大きなタンクには小さなひびが入り、ちろちろと水が漏れ出しました。
「これは?」
「みんなが流した涙だよ。涙が溜まらなくなれば、みんなは泣くのをやめてくれると思うんだ」
少年は、満足そうです。
すると、遠くから怒鳴り声が聞こえてきました。
「タンクを傷つけたのは誰だ!」
屈強な男が、叫びながら近付いてきます。
少年は慌てて逃げだしました。
後に続き、旅人も走り出します。
けれども、二人はとうとう捕まってしまいました。
男は二人を問い詰めます。
「このタンクに傷を付けたのはお前か?」
「いいえ、僕じゃありません」
少年は涙を流して答えました。
「そうだろう。この国の人間なら、この涙がどんなに大切か、わかるはずだからな」
「ええ、ええ、その通りです」
少年は必死に訴えます。
その様子を見て、男は旅人をじろりと睨みつけました。
「……じゃあ漏らしたのは――」
「僕じゃない!」
旅人は語気を荒げて主張しました。
けれども、信じてくれる人は誰もいません。
この国の人が、大事な涙を漏らすようなことをするなんて、誰一人として思っていなかったからです。
旅人はぽろぽろと涙を流しました。
旅人の涙はいつしか川になって海に流れ、やがて空に昇り雲となり雨を降らし、最後には大きくて綺麗な虹になりました。
国のみんなが愛する、大きくて綺麗な虹でした。
しかし、その虹を見ている人はほとんどいません。みんな下を向き、泣くのに一生懸命だったのです。
おしまい
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