小さな夜の歌

静かに灯る街明かりが、夜の始まりを知らせました。広場は、家路を急ぐ商売人や、酒を飲み交わす陽気なおじさんで賑わっています。春になるにはまだ少し寒い、綺麗な夜のことでした。

人々の間を縫うように、歌声が聞こえてきました。少し悲しげで、でも透き通った声です。

声の主は、一人の少女でした。すらりと伸びた手足は白く美しく、しかしまだ幼さの残る、不思議な雰囲気を持つ少女でした。
けれど、顔のほとんどが薄汚れた布で覆われ、その表情をうかがい知ることはできません。

それでも街の人々は、少女の歌声に聞き惚れてしまいました。歌が終わると、小銭を投げ、静かに次の歌声を待っています。

1人の酔っ払いが少女に向かって言いました。
「顔なんて隠して、勿体つけるんじゃあないよ。見せてごらん!」
そうして、嫌がる少女の顔の布に手をかけると、無理やり引っぺがしてしまいました。

辺りがしんと静まりかえりました。無言で立ち去る者もいれば、少女に唾を投げかける人もいます。
少女の顔は、火傷でひどくただれ、赤黒く変色していたのです。
少女は黙ってうつむき、人々が散っていくのを待ちました。

「ねえお父さん、さっき綺麗な歌声が聞こえては来なかった?」
右手に杖を持ち、左手は父の手に繋がれたその男の子は、嬉しそうに耳をすませました。
「あんな汚いものは見てはいけないよ」
そう言うと父親は、そそくさと家に入り、ぴしゃりとドアを閉めてしまいました。

こんなこと、少女は慣れっこでした。また次の街へ、誰も自分を知っている人がいないところへ行けばいいだけなのですから。

少女が立ち去ろうとした時、さっき親子が入っていった家の二階の窓が開き、男の子が顔を出しました。

「ねえ、君。綺麗な声の君。まだここにいる?」
少女はどう答えるべきかと、考えました。「私はここよ」と声を出すには、自分の姿があまりにも醜いことを、少女は良く知っていたのです。

「ねえ、君。いないのかい? もう一度、君の歌が聴きたいよ」
少女は少し考え、それから返事の代わりに歌を歌いました。少女の歌声は空より澄んで、星より輝いていました。

「素敵な歌をありがとう。ねえ、君。僕にもっと歌っておくれよ。今日はもう遅いから、明日からずっと、毎日ここで。僕は毎日君の歌を聞くよ」

それから少女は毎夜毎夜、窓の下で歌いました。醜い顔を隠しもせず、毎夜毎夜歌いました。
少年は何も言わず、ただにこにこと笑いながら耳をすませていました。
少女の歌を聴いているのは、二階の窓の少年だけ。もう、誰も立ち止まって聞こうとはしません。

そんな日が一週間も続くと、少女は少年と話してみたくなりました。しかし、少女は人に話しかける勇気を持ち合わせてはいませんでした。
歌を歌うのは今日で最後にしよう。また新しい街に行って、新しい場所で、顔を隠して歌を歌おう。少女がそう決めた最後の夜、少年は少女に話しかけました。

「ねえ、君。僕は君に触ってみたいなあ。君の歌だけじゃなく、声も聞いてみたいんだ。本当だったら君の顔だって見てみたい。でも、僕は目が見えないから。ねえ、君。そっちへ行っても良いかな?」

少女は少し考えて、それから返事の代わりに、歌を歌いました。
とても綺麗な歌でした。
少年はその歌を聴くと窓を閉め、階段を駆け下り、玄関から外へ飛び出しました。

「ねえ、君、どこにいるの?」
目が見えない少年は、ふらふらと手探りで歩き、ついに転んでしまいました。
少女はあわてて少年の手を取りました。

「ああ、君。やっと会えたね。君の手を握れて、僕はとっても幸せだよ。君はとっても美しいよ、そう思うんだ。僕のパパや周りの大人たちはみんな、君のことを醜くて汚いって言うんだけれど、僕はそうは思わない。……それだけじゃあダメかい?」
「……いいえ」

少女はそう小さく呟くと、また歌い出しました。その声はとても綺麗なものでした。
と同時に少女が流した涙も、それはそれは綺麗なものでした。

おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?