自分が好きなものって広めたい?
「自分の好きなものを人に勧めるか」という話を妻とした。
妻は「広めずにはいられない」という。厳密には何でもかんでもってわけでもないのだけど、とにかく自分の「推し」の尊さは発信せずにはいられないのだと。
ぼくは、「広める」という観点がそもそもなかったりする。たとえば好きな作品、好きな作家、好きな物、その人に勧める理由がなければ勧めない。
ただし、勧める理由がある場合は勧める。
イメージとしては、好きなもの(こと)に勧める動機があるのではなくて。欲しい人がいるかどうかに動機がある。
「これ美味しいから食べてみて!」とは言わないけど「美味しいステーキが食べたいの? だったらぼくはあの店が好きだよ」という感じ。
人に勧めなくても、好きなもの同士で話をするのも楽しいというのだけど。
ぼくは村上春樹氏の作品が好きで、よく読んでいる。だけど村上春樹好きな人たちと、村上春樹トークをしたいとは思わないんたよなぁ。
自分のなかで、「これ最高にいいんたよなぁ」と思えていたら結構満足だったりする。
自分のやり方で好きなものをただひとり愛でていたいのかもしれない。
めったにないけど、本当に好きになると自分の気持ちの奥にある何かと繋がってしまうような気がする。なんというか「彼女のどこが好きなの?」と言われてもうまく答えられなくて、なんと答えてもちょっと違うんだよなぁ、と思ってしまう気持ちに近い。
「どこって言われてもさ、なんか彼女といると自分らしくいられるような気がするんだよ」
「相性がいいってことかー」
「相性っていうか、んー。まぁいいや」
って気持ち。
「どこが好き」とか聞いてくんなよ、って。もう存在が自分の一部みたいな気持ちなんだよ。ってなる。
そこら辺の気持ちは当事者間で分かり合えてれば他の人に言葉を尽くして理解してもらいたいとは思わない。
ぼくが好きになる気持ちは、なんであろうとそんな感じなのかもしれない。
よくも悪くも、自分の殻に頑なに閉じこもってる。
だから、妻のように「発信せずにいられない」というのはとても羨ましかったりもする。
では、また明日。
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