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子どもからの質問に"答"えるのではなく、"応"える。

京都へ移住してから、毎日毎日空を眺めていた。
何かの暗喩ではなくて、本当に空を眺めていたのだ。
車で娘を幼稚園に送り迎えするとき。
外で散歩をしているとき。
公園にいるとき。
周りを大きな山で囲まれている分だけ、空が目立つのかもしれない。

ぼくは40歳にして、空の色が青一色ではないことを、はじめて体感したように思う。

矢萩:子どもからの質問に対して、対話になっていないことが多いんですよね。「なんで空は青いんですか?」と聞かれたら光学的に説明することもできるだろうけど、「夕焼けって赤くない?」「確かに!」みたいに対話していけばいいと思うんです。
(中略)
久保:僕らは、低学年からそうした質問があったら、「まず空を見よう」と言います。「本当に青いのかな?」と。刷り込まれた思い込みの言葉じゃないのか、もともと持っている感性を邪魔する言葉によって”わかった風”になっているんじゃないか検討する時間を作ります。
※ 上記リンクの"後半"記事より抜粋

知らず知らず、思い込んでしまっていることって大人になるほど増えていきます。
その思い込みを、無意識に子どもへとインプットしてしまう。
この対談のように「なんで空は青いの?」と聞かれたときになんて答えるのか。それは、子どもとの対話を深めていく上で欠かせない問だと思います。

正解じゃなくても、その子のした質問に対して一生懸命何かを想像して出てきたものを渡す。“こたえる“っていうのを、解答の「答」ではなく応答の「応」で応える。そうしたら、先生も保護者も何か言えるはず。正解を出そうとするんじゃなくて、応答してあげてほしい。
※ 上記リンクより抜粋

ついつい、正解を言わなくちゃと思ってしまうのだけど。ググって正解を伝えるよりも、"応"えるほうが面白いし、会話もはずむ。

ある意味では、夫婦の会話だって同じこと、あるかもしれない。「答え」を知りたいわけじゃないときが。

娘を幼稚園に送る朝。

空が青いねと、ぼくが言うと「空は本当は虹色なんやで」と答えてくれたことがある。
「へー。なんで、そう思ったの?」と聞くと。
「だって、虹がでるやろ!? あれは、お空の色やで」
って言ってた。

娘は、よーく空を見ていたのかもしれない。虹がどういう理由で七色に見えるのかを、答えることも大切かもしれないけど、空は虹色なんだと思っている感性は大切にしてあげたい。

空は虹色ではないかもしれないけど、娘が抱くたくさんの疑問には想像力を持って応えていきたい。
わからなければ、一緒に答えを探せばいいし、答えとは少しズレたところに、鉱石のように光る面白さを発見するかもしれない。

親として、ぼくにもできることをひとつ教えてもらたような記事でした。


では、また明日。

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