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子育て2ネタ:① 子どもと暮らしている不思議と奇跡 ② 人の見た目についての悪口

今日はひと記事としては短めの子育てネタを2個
■ 子どもと暮らしている不思議と奇跡
■ 人の見た目についての悪口
について。

■ 子どもと暮らしている不思議と奇跡

娘が生まれて、5年。もう少しで6年になろうとしている。
だけど、たまに。本当にたまに自分が子どもと一緒に生活していることを、不思議な気持ちで眺めるような瞬間がある。

娘にとっては、生まれてからずっと僕は彼女の「お父さん」だ。
でも、僕にとっては、娘が生まれる前の人生のほうが圧倒的に長い。

だからなのか。

部屋の中で娘が遊んでいる姿を見たり、ベッドの中でぐっすりと心地よく眠っている姿を見たりしたときに、不思議な気持ちになることがある。

そもそも、不妊治療の末に産まれた娘は、ぼくと妻にとって本当に奇跡のような存在。ふたりで一緒に、願って望んで、妻が何度もなんども病院に通った末に授かった命。

その生命が、ありがたいことにここまでスクスクとムチャクチャ元気いっぱい育っている。そしていまでは、文句もたれるし、生意気なことも言うし、可愛いくひっついてくる。

自分とは違う、ひとつの生命が、自分の生活のなかにやってきて、混ざり合っていく奇跡。それを感じたときに、それがあまりにも当たり前なんかじゃないことを自覚したときに、ぼくは娘がここに当たり前に存在することの奇跡を感じるのかもしれない。


***

■ 人の見た目についての悪口

「人の”見た目”についての悪口は、ぜったいに言っちゃダメ」
今朝、娘の目を見ながら、ぼくは少し強めに伝えた。
最近、言葉を操るのが楽しくて仕方がない彼女は、色んな所から見聞きして覚えた言葉を使ってみたくてしかたがない。
先日も、それで手痛い失敗をしてしまったのだけど、

当然そんなことで懲りることなんてなく、やっぱり似たようなことは繰り返す。

娘なりに気をつけながら「口悪いのはあかんで」と自覚しながらも、まだまだその精度は甘く、今朝ぼくにピシャリと叱られた。

「ハゲ!」「デブ!」「ブス!」
コンプライアンスに抵触するからか、以前よりもメディアを通してそうした言葉を耳にすることは減ったような気がする。けど、そうしたチェックも入らずに比較的自由に発信できるYou Tubeなどでは、かなりよく聞く。

ぼくは、こうした人の外見に対するイジりは、なんであろうと口にすべきではないと思っている。

許されるのは自虐までで、それを他人がどうこう言うのは、たとえ笑いになっていようといまいと、個人的には好まない。

外見は、その人の一部分でしかないのにも関わらず、根の深いコンプレックスにつながっていることが少なくない。どんなに仕事や性格が素晴らしくても、外見に抱えたコンプレックスはその人の自己肯定感を大きく下げてしまっていたりするものだ。しかも、それが他人からは見えづらかったりもする。

それだけではない。外見への批判は、そのまま差別へとつながることもある。
LGBT、人種、障害、病気。外見だけで何かを判断し、イジり、あざ笑う行為は、言った本人や周りの人間がどう思おうが、言われた人の心を切り刻む力を持っている。

「バカ」「あほ」なんて悪口がかわいく見えるほどに、外見への悪口は、口にしてほしくないのだ。

でも、子どもは無邪気にそれを口にする。もちろん、幼ければ幼いほど、そこに特別な意図も悪意もない。
「あの人なんか汚いね」「あの人禿げてるね」「あの人、めっちゃ太ってるね」
ただ思ったことを思ったままに口にすることがある。

親に言って笑っているうちに、そうした言葉がどれだけの「力」を持っているか。
そうした言葉がどれだけの人を無意識に「傷つける」か。

これについては、妥協せずに理解できるまでしっかりと伝えていきたい。


では、また明日。

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