誰のために仕事をするの?40歳になって、ようやくその答えに少し近づけた気がする。
誰のため、何のために仕事をしているのか。
自分は何をするために生きているのか。
何をしたくて、働いているのか。
こうした問が、コーンスープ缶の底に沈殿しているコーンのように、心のどこかに飲み干されることなくコロコロ転がっていた。
人前で話をすることの多い仕事柄、わりと明確に自分なりの答えを口にすることはできた。その言葉が嘘だったわけではない。だけど、あと少し、そう、それこそコーンの粒のように飲み干せていないもどかしさはあったように思う。
サービスのペルソナのことなのか?
「誰のために働いているのか」
という問に明確に答えられる人はどのくらいいるのだろう。そして、答えられるとしたらそれは、携わるサービスが想定しているペルソナを指すのだろうか。
ぼくは、キャリアのほとんどを自営業でやってきた。つまり、サービスのペルソナは自分で決める立場にあった。
子どもがいる同世代のパパ。
ワンオペで苦しんでいるママ。
たとえば、自分がやってきた事業の大ざっぱなペルソナはそんなパパやママだった。
彼らの抱えている家事シェアの課題を深堀り、それを少しでも楽にできるように、と。
そんな想いで事業を続けてきた。
あらためて言うけど、この想いが噓だったことは一度もない。これからも変わらないだろう。
にも関わらず、缶の底にまだ粒が残っているようなもどかしさもあった。
家族のために働いてる。という気持ちだってある。ある程度生活ができるくらいには収入がなければ、家族が困ったことになるのは間違いない。
そう思って自分を奮い立たせるときだってないわけじゃない。
でも、この「誰のため」は、仕事や家族の立場が変われば変わってしまうものだ。
たとえば、これまでの家事育児に加えて教育に関する仕事に携わりはじめたとき。家事シェアに困っているパパやママはペルソナから関係なくなる。
たとえば、娘が自立して家からいなくなり、夫婦ふたり、そんなにお金もかからずに暮らしていけるとなったら、もう家族のために頑張ってるんだと自分を奮い立たせることもなくなるかもしれない。
変わらずに、自分の中で働くための軸になるもの。
それがなんなのか、自分なりにスッキリとさせたかった。
自分の中で変わらずに一貫していること
自分の中でずっと一貫していること。
それは「居場所」だった。
ただいま、と帰りたくなる家にしよう。という想いで家庭に居場所を求めた。
学校をつくろう、ということで学校に安心安全な居場所を求めた。
不登校をめぐる問題への関心が高まったのは、学校にも社会にも、そして下手をしたら家からも居場所を失ってしまうかもしれないという危険に憤りを覚えたからだ。
でもそれは、誰のための居場所のことなんだろう。
自分の中に一貫するテーマとしての「居場所」を考えたとき、それでもまだ物足りなさは感じていた。
誰のために、の答え
それがいま、少し自分の中に納得のいく答えが見えてきている気がしている。
誰のため、何のために仕事をしているのか。
自分は何をするために生きているのか。
何をしたくて、働いているのか。
ぼくにとってのそれは「子ども時代の自分自身を救うため」なのかもしれない。
家が唯一の居場所だった子ども時代。ぼくにとって家は何よりも大切な居場所だった。
不登校ではなかったけれど、学校に居場所がなかった自分は学校やそれに準ずる居場所がいかに大切なのか、身を持って知っている。
サービス設計に必要なペルソナなんかではなくて、根源的に自分が救いたかったのは、子ども時代のぼく自身だったのかもしれない。
ただただ生きるのが辛かった、あの頃の自分に「ほら、大丈夫だよ、君の居場所はちゃんとあるから」と伝えたいだけなのかもしれない。
子ども時代のぼく自身に向けて、そう伝えられるような仕事を、していきたい。
では、また明日。
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