娘に対して、いつだって優しいパパであるわけじゃない。

娘に対して、いつだって優しい心で接していたいと思う。でも、当然そんな仏様のような気持ちでいつづけることはできないものだ。

ここ最近、小さく、本当に微妙な日々のコミュニケーションの中に、ゆとりのなさを感じることが増えてしまった。

たとえば、
「もう一回、カードゲームやりたい」
「肩車してほしい」
「トイレに一緒に来てほしい」

散々相手をしてきた上での、こうしたひと要求に気持ちがささくれ立ってしまうのだ。

自分の中で、ここまでは相手をしよう、と考えているボーダーラインが、少し下がってきているように感じる。

なぜ、気持ちにゆとりがないのかはわかっている。少しの睡眠不足や、仕事のプレッシャー、先々への不安や心配。一つひとつは取るに足らないことだけど、重なることで、普段の生活の判断の軌道を少し変えてしまう程度の力がある。

軌道が変わった些細な判断の結果は、その瞬間はなんの影響もなくとも、数日、数週間の単位で見たときにわりと大きな方向の違いに発展してしまっている。

「あと一冊、絵本を読んでほしい」
「公園に行きたい」
「抱っこしてほしい」 

この瞬間、面倒くさい、と相手にしないことは簡単かもしれない。

どうしても、娘の要求に応えたくないときだってあるかもしれない。

それはそれで、いいんだろうと思いつつ。
気持ちのゆとりのなさで、雑に娘の要求を扱ってしまっていたことには反省をしている。


ぼくには、どうするべきなのか、なんて答えはわからない。
自分が我慢をしてでも、相手にすべきなのか。
そんな必要なんてなく、素直に無理だと伝えればいいのか。
伝え方を優しくすればいいのか。

ちなみに、答えが欲しいわけでもない。
ひとつだけ、これだけは重要だと思うのは、自分の言動に自覚的であることだ。

いまは、気持ちが辛い時期で、辛く当たってしまっている。
いまの言葉は、娘を傷つけてしまったかもしれない。

そうしたことに、自覚的であること。無意識にやってしまわないこと。
やってしまったことから、目を逸らさないこと。


いま、少しだけいつもの自分よりも厳しいパパになっているかもしれない。
そのことには、せめて自覚的であろうと思うのです。

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今日も見に来てくれてありがとうございました。
自覚的でないと、反省も改善もなにもできない。子育てだけに限りませんが、大事なことだなと思うのです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。

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