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子どもに交渉の余地を持つ

子育てをしていて、ぼくたち夫婦は気をつけていることがある。

それは交渉の余地を持つこと。


わが家では先日ママペイなるものをはじめた。簡単に言えば、決められたチャレンジをして達成したら手書きのペイがもらえるというもの。
貯めたペイは、ガチャガチャ一回できる権利とか、お菓子がいつもより一個多く食べられる権利とかと交換される。

そんなチャレンジのなかに、ごはんチャレンジというのがある。

野菜を含むご飯を、残さずキレイに食べたら20ペイもらえるチャレンジ。本人の気持ちしだいで、やってもいいし、やらなくてもいい。


今夜はごはんチャレンジをすると言う娘。ところが苦手な玉ねぎを全部は食べられずにギブアップ。あえなくごはんチャレンジは失敗となった。
ところが。

「わたし、玉ねぎちょっと食べたで」

と言ってきた。

(ここで、全部食べてないからダメ、と言うのは簡単だけど。それだと食べきれないなら挑戦しないって気持ちになるかもしれない)

そんな考えが脳裏によぎった。

「そうだね、それじゃあ少しがんばったから10ペイあげる」

妻がすぐに娘に答えていた。


親が決めたことがもしも「絶対」だとしたら。
娘には守るか守らないかの二択しかないことになる。でも、世の中は白と黒の間に無数のグラデーションがあり、大方のことはそのグラデーションのどこかに落ち着く。
それぞれの立場から、黒寄りにしたいのか、白よりにしたいのかは交渉しだいだ。

だから、ぼくたちはよく娘に交渉させる。

いつもよりちょっと高額の300円くらいするお菓子がほしいとき。スーパーのお菓子売り場で、ぼくと娘は交渉の場をもうける。

「お菓子を三回我慢できてから買ってあげる」
「いま買ってくれたら三回ちゃんと我慢する」

「もう、今日はお菓子買わないんだよ」
「でもわたし、幼稚園がんばったんやで!」

その交渉によって、納得できればぼくはちゃんと妥協する。

二百円のお菓子になることもあれば、今日は買わない、ということもある。もちろん娘は無事に三百円のお菓子を手にすることだってある。

「買わない!」
と言って、その場で泣きわめくのを引きずるように連れていくよりは、お互いの妥協点を探りあうほうがぼくとしては気が楽だ。

なにより、すべてのことが白か黒ではなくて。
上手に交渉すれば、自分の望む色にほんの少しでも近づけることができると思えたほうが、人生はきっと楽しい。


では、また明日。


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