「6歳の娘が髪を染める」のが嬉しい理由
6歳になる娘が「髪をカラーリングしたい」と言い出した。「わずか小1にしてヘアカラーかぁ」と思わず遠くを見てしまった。
一瞬、胸にチクリと「大丈夫かな?」がよぎった。
「学校で怒られない?」
「髪の毛傷んでも平気?」
「さすがに、もう少し大きくなってからでよくね?」
でも、娘の通うスクールはそんなことでイチイチ目くじらを立てるようなことはない。
髪の毛も、痛むかもしれないけど、まぁどうにでもなる。
気になっていたのは、大した理由もない「倫理観」的な、つまりはぼくの感情の問題ってだけだった。
じゃあ、6歳の娘がヘアカラーすることの何が、ぼくの感情をチクリとさせたのだろうか。
▷ 無意識に残っていた昭和的な価値観
巷では、ちょっと茶色い髪の毛が「地毛」なのか「染めた」のかわからないから「地毛証明書」を提出せよという学校もあるようだ。都立高校の4割がそういった処置を取ってるとの記事もある。
「髪を染める奴は不良」たしかにそんな時代もあったけど。記事のタイトルにも載ってるように「令和まで残った歪な校則」だなぁと思う。
歪だと思いながら、この昭和的な価値観が自分の中にもちゃんと刷り込まれていたことに気がついた。
「高校生はよくて、小1はダメな理由ってなんかあるの?」
自分に問いかけてみる。
高校生はよくて、小1はダメな理由なんて何もなかった。
ぼくが感じた胸のチクリとした感情。
時代に合わせてちゃんとアップデートしていかなくちゃな。
感情に任せて、大した理由もないのに娘に「ダメだよ」って言わなくて本当によかった。
ぼくの感情の問題と、娘のヘアカラーしたい気持ちには何の相関関係もないのだから。
▷ カラーリングは自己表現と言うよりも自己肯定の工夫
娘には、自分の外見を好きでいて欲しい。
大切なのは、自分の見た目をありのまま受け入れて好きになることじゃない。自分を好きでいるための工夫をすることだと思う。
ありのままの自分を、ありのまま好きでいて欲しいなんてのは、無責任な他人のエゴでしかない。
物事は何であっても、好きでい続けるためには努力と工夫が必要だ。
それは、人間関係においても、夫婦においても同じだし。自分自身だって、好きでい続けるためにはたくさんの工夫が必要だ。
メイクだって、カラーリングだって、整形だって、オシャレだって。
ぼくはそれらは自己表現と言うよりも、自己肯定のための工夫だと思うのだ。
他人に向けて「これがわたしなの!!」って表現したい人ばかりじゃない。
でも自分に向けて「この髪型いいかも」って思えたら、それだけでハッピーだったりする。
家族だろうと恋人だろうと、本人の自己肯定のための工夫をとやかく言う資格なんてないし、ましてや学校なんかに自己肯定を否定されるいわれもない。
思春期に自分を好きでい続けるのってけっこう難しいと思うのだ。とくに外見なんて鏡を見れば自己嫌悪でため息が出ちゃうような年頃。
ニキビだとか、一重まぶただとか、くせっ毛だとか。
だから、子どもの頃から好きな自分であり続ける術を学ぶことは大切だ。
それは、幸せになる術とも言えるかもしれない。
娘が「かわいい」に目覚めた。
まだ髪を染めてはいないけど、髪を切って染めるのを楽しみにしながら鏡の前で髪をとかしている。
浮き浮きと、嬉しそうに笑う姿を見ていると、ぼくまで娘のヘアカラーが楽しみになってくるのだ。
では、また明日。
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