わが子の才能には気付きにくいよね。
「息子は電車ばっかりが好きで、将来が心配で」
「めちゃくちゃクワガタにハマってるんだけど、クワガタが好きでもな。もっと勉強とかを好きになってくれたらよかったのに」
車好きでも、ママゴト好きでも、べつに取り立てて好きそうなものが見当たらなくても。
なんでもいいんだけど、自分の子どもってなんとなく「意味ないことが好き」か「好きなことなんかべつになさそう」と思ってしまわないですか?
それに引き換え、よその子って、なんだか才能が溢れてそうに聞こえてしまう。
「え、ちゃんとひとりでお片付けできるんだ」
「もう足し算とか好きになってるの!?」とか。
なんで、わが子って何にもなく見えちゃうんだろうね?
「もっと自分の子どものことをちゃんと見てあげてください。きっとなにか才能が隠れていますから」
なんてアドバイスをされるかもしれない。そして、もっとよーく子どもを観察するようになる。
そして、観察するほどに「なんにもないかもなー」ってガッカリする。
ぼくは、そういうひとってむしろ子どもを見過ぎなんじゃないかと思っている。
よその子が才能豊かに見えるのは、よく知らないから。才能豊かに見える子だって家ではどこも同じようなものかもしれない。
だから、というわけでもないけど。
観察のし過ぎも困ったものかもしれない。わが子の才能を伸ばしてあげたいって思うけど、才能なんて見つけようと思って見つかるものとも違う気がする。
わが子の特徴をどれだけ「これは才能だ!」って親が思い込めるかどうかでしかない気もする。
のめり込んでいるものに意味があるかないかなんて、どうでもよくて。
それが勉強だろうと虫だろうと、マンガだろうと、ゲームであろうと。
親が、子どもがのめり込んでいる姿を受け入れられれば、それは才能として認められるもののひとつになるのだろう。
なんか、ふとそんなことを思った夜でした。
では、また明日。
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