穏やかに好きであること。
ぼくには人に語れるような趣味がない、ということは確か以前も書いた。
それからずいぶんと時間も過ぎたが、相変わらず人に語れるような趣味はとくにないままだ。
ただ、あの頃とは違っていまはそれで悩むこともなくなった。
ぼくには、人に語れるような趣味はないが、穏やかに好きなことはたくさんあることに気がついたからだ。
料理、インテリア、身体を動かすこと、座禅をくむこと、散歩、本を読むこと、文章を書くこと、珈琲を淹れて飲むこと、最近は音声配信もおもしろい。
うん。これだけ好きなことがあれば十分じゃないか。
それぞれは、そんなに深く知っているわけではない。オタクってほどでもない。
だけど、どれもぼくは穏やかに好きだ。
そういう意味では、娘と過ごすことも穏やかに好きな時間と言えるかもしれない。
一緒に公園に行ったりする時間が。過ごしている間はちっとも穏やかな時間ではないけど。
小さいころ。ひとつのことがちっとも長続きしなくてよく親に怒られていた。親のその気持ちも、親となったいまならよくわかる。
やりたい、というからお金や時間をかけて用意したのに3秒で飽きる子ども。そりゃ、愚痴の一つだっていいたくもなる。つまり、あれは教育じゃなくて愚痴だったんだろうな。
でも、そう言われ続けたことはぼくに、「ひとつのことが長続きしない自分」という印象を形作ってきた。
そして、それはダメなことなんだと、無意識に思い続けていた気がする。
だけど今は思う。
ひとつのことが長続きしないことは、べつに悪いことじゃないと。
楽しめることと出会えるまで、新しいことに手を出し続ければ良いだけのことだと。
そして、少しだけかじった食べかけの残骸たちは、穏やかに好きなこととして、人生を豊かにしてくれるのだ。
では、また明日。
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