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ともに人生を歩もうと覚悟を決めた日。

結婚をして数年が経っても、あまりピンときていなかったのかもしれない。
「家族になる」ってどういうことなのか。

僕は結婚と同時に起業し、しばらくほぼ無収入のような状態になった。起業を躊躇していた僕の背中を思いっきり押したのは妻で、その時期の生活を支えてくれたのも妻だった。

そのすぐ後に妻も起業してしまい(!?)、お互いほぼ無収入な中アルバイトをしたり助成金を受託したりしながら自転車操業のような毎日だった。だから、一緒になって支え合いながら生きている実感はあったし、欠かせないパートナーではあった。

けど、それは「家族」だったのかな。家族と言うよりは人生のパートナーという関係のほうがしっくり来ていたかもしれない。

僕の中で妻が本当に「家族」になったのは、入籍をして結婚式を挙げたことがきっかけじゃないみたいだ。確信、というか強烈に実感したのは、妻とともに不妊治療をはじめたことがきっかけだった。

結婚後も、僕たちの間にはなかなか子どもができなかった。
子どもができなかったとしても、妻となら楽しく暮らしていける。それは揺らぐことなく確信していたし、そうなるかもしれないと話もしていた。

それでいい気もしていた。

子どもを授かるかどうかは、努力の結果ではなく、運命の結果だと思っていたし、運命であればどのような結果であっても、それを受け入れた中で最善の生き方を導き出すしかないのだ。

妻とご機嫌に暮らすこと。それが、当時の僕にとって何よりも大事なことだった。

「不妊治療をしようと思う」

ある日、妻は僕にそう言った。そして、不妊治療について色々と説明をしてくれた。妻は、僕に言うまでの間にたくさん考え、調べ、いい病院も聞いてきていた。

そして、僕も治療について色々と調べ始めた。一緒に病院に行き、説明を受け、妻と改めて話し合いをした。

このときだった。

僕の中で、妻を「パートナー」ではなく「家族」として実感したのは。


「家族」とは、一緒に生活をする人のことではないのかもしれない。血の繋がりや、婚姻の書類を提出したからなるものでもない。
「家族」でないと解り会えない、一線を越えた深い部分を共有する関係。それを家族と認識するのだなと、僕は思った。

ともに立ち向かうのが「困難」なときもある。
何か「新しい挑戦」なこともあるかもしれない。

深いところで繋がっていることが、いいことばかりとも限らないけれど。(それ故に苦しいことだってあるはずだ)ただ、「家族」でないと代替できないことが、人それぞれにあるのだろう。

不妊治療は「家族(夫婦)」でないと、ともに立ち向かうことができないことだった。
それ以来、本当の意味で僕は、妻と「家族」になったのだと思う。

#10年前のわたしへ  というエリさんの企画を目にして、10年前に何があったかなと思い返してみました。当時の記憶がありありと思い出されました。

先が見えない不安。自分の力でどうにもできない無力感。
妻と話した話。病院の待合室。最寄り駅の様子。

そして。振り返ってみれば、これこそが妻との関係が変わった出来事でした。
ともに人生を歩む覚悟を決められてよかった。そうならない可能性だってあったかもしれないのです。それは、このときばかりでなく、いつだってそうなのだけど。

思い出してよかった。
この先の10年も、きっと色々あるだろうなぁ。未来のことは何一つわからないけど。少なくともこの10年は、とてもいい10年だった。

いい10年を、ありがとう。


#10年前のわたしへ

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とても素敵なページになったのでぜひご覧頂けたらうれしいです。

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