noteはじめて2年。「書くこと」という面白さへのファーストタッチだった。

noteをはじめてから、ちょうど2年が経った。
毎日更新は560日ほどになる。
こんなに長く何かを書き続けることになるなんて、思ってもみなかった。そして、まだしばらくは書き続けていきそうなことにも驚いている。

noteに関しては、もう2年も経つんだなぁと感慨深く思う一方、「書くこと」については、まだたったの2年なんだな、と思う。

長ければいいと言うわけではないけど、まだまだビギナーであることを、事あるごとに自覚させられる。

この2年でありがたいことに、いくつもの連載をさせてもらうことにもなった。そのうちのいくつかは終わり、また新しく始まったりもしている。

発信し続けていることで、「書く人」なんだという認識を持ってもらえるようになったようだ。


書き続けることで、ぼくは自分の表現の方法を手に入れた気がする。ギターを手にして、はじめて音楽という表現方法が自分にもできるんだと知ったような、そんな気分。

写真でも、絵でも、音楽でも。自分の中にある何かをじっくりと見つめて、表現する方法をひとつでも持っておくというのは、なんというか人生のバランスを取りやすくしてくれる気がする。

表現が自由なものであり、商業的なそれとは取り敢えず切り離された価値があるのだとすれば、ぼくはこの人生のバランスを取りやすくしてくれるということになると思っている。

綱渡りの上の棒のようでもあり、山登りのステッキや動物にとっての尻尾のようでもある。
人生はどうも不安定で歩きにくい道が多く、そんなときに表現というバランス棒を持っていることは、こんなにも自分を立たせていてくれるのかと、その効果に驚く。

これまでの人生で、こうした表現の手法を持ったことのなかった僕にしてみれば、なぜもっと早くに手にしなかったのかと思うばかりだ。

そんな表現方法のなかでも、文章を書くというのは、コスパがいい。お金もかからず、先生もいらない。素晴らしい文章はネット上にも古典にもわんさか転がっている。


よく、カメラを持つと世界の見え方が変わると聞く。
ぼくはカメラのことはわからないが、きっと世界を眺めるときの解像度が上がるということなんだろう。

そういう意味では、文章を書くようになることにも同じ効果がある。ぼくは、娘との日々がこんなにも面白いのだと文章を書くようになって異様なほどに敏感になった。


noteをはじめて2年。
それは「書くこと」という面白さへのファーストタッチとしての2年だったように思う。


では、また明日。

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