「残りの人生、少しだけ好きにさせてもらいますね」
ばあちゃんには、自由がなかった。結婚をしてから70年近く、ずっと。
じいちゃんは人にも、自分にも厳しく、すべてが自分の思い通りになるものだと信じて疑っていない人だった。
ぼくがまだ子どもだった頃。じいちゃんは歩くのがものすごく早かった。小さなぼくは小走りにならないとその歩みについていくことができない。後ろを振り返ることは一切なく、家族をどんどん引き離しながら目的地へ向かって立ち止まることなく突き進んだ。
ばあちゃんは膝が悪くて、その速さになかなかついていくことができなかった。それでも、じいちゃんにとっては「みんなが歩くのが異様に遅い」ということだった。
そんなじいちゃんの歩く後ろ姿を、いまでもよく覚えている。
ばあちゃんは、大好きな茶道の会にもじいちゃんの許可がなければ行くことができなかった。友人と街にでかけたいと言ったときも「なんでそんなことをする必要がある?」「友人にはお前はいてもいなくてもいい存在だが、俺にとってはここにいてもらわないと困るんだ」と、言われたという。べつに1年も旅行に行くわけじゃない、日中出かけて夜少し帰りが遅くなる程度の話だというのに。
いまで言えば、モラハラということになるんだろうと思う。家族全員が、じいちゃんに対して腫れ物を触るように接していた。いや、接することがないように少しずつ距離を取っていっていた。
じいちゃんは、ばあちゃんと、ぼくをあからさまに愛した。
ぼくは、ゆくゆくは家(墓)を継ぐ14代目の当主だからだ。じいちゃんは、ぼくのことではなくて「家を継ぐもの」という肩書を愛したのだ。13代目にあたる父は、じいちゃんとあんまり馬が合わず、そうそうに東京で離れて生活するようになっていたから、あまり会話もなかったようだった。
そして、他の家族の存在をいっさい受け付けようとしなかった。
とても真面目で、自分にも、他人にも同じように厳しかった。人に娯楽と友人を否定したように、自分自身にも娯楽も友人もいなかった。
そんなじいちゃんも、5年前に亡くなってしまった。ぼくに娘が産まれたばかりで、ひ孫の顔を見るのをとても楽しみにしていたが、それだけは残念ながら叶わなかった。
最近ふと、じいちゃんの葬儀を思い出した。
ばあちゃんは、とても、なんとも言えない顔をしていた。少しほっとしたような、自分のなかのなにか大きなものが欠けてしまったような、ただ「悲しい」というだけではない欠落感のようなものを感じた。
ぼくには、そのときのばあちゃんの気持ちはよくわからない。70年近くともに過ごしてきた主人(じいちゃんは、まさに主人という感じだった)がいなくなるというのが、どういう気持なのか。
ばあちゃんは、葬儀のとき、じいちゃんに向かってぼそぼそと小さな声で話しかけていた。そのときの一言が、耳に残っている。
「残りの人生、少しだけ好きにさせてもらいますね」
ばあちゃんは、じいちゃんに向かってそうつぶやいていた。
ばあちゃんはいま、とても元気だ。とはいっても、家を出て出かけることはほとんどない。畑仕事をしたり、大好きなお茶を飲んだりして過ごしている。
ばあちゃんは、時折じいちゃんの夢を見るという。そこではじいちゃんは、いつも笑顔で、とても優しく、いつも気遣ってくれるのだという。
そう話すばあちゃんは、嬉しそうにも、寂しそうにも見える。
愛情は、相手と分かち合わなければいけないのだと、ぼくは思った。
相手が受け取りやすく、受け取った時に愛情を感じてくれる形で、伝えないといけないのだと。
じいちゃんが、夢の中でニッコリと笑ってくれるだけで、ばあちゃんはきっと幸せなんだと思う。
「伝える」というのは、言いたいことを投げることじゃない。
受け取りやすいように加工して、受け取りやすいように放つ。その行為が「伝える」という行為なのかもしれない。
それでも、伝わらないことや誤解を招くことはたくさんあると思うけど。
「投げっぱなし」ではない、「伝える」をぼくは大切な人たちに向けて意識し続けていこう。
では、また明日。
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