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内発的動機づけと糖尿病の親父

GWに鳥取の実家へ帰省。
母が父に対して、しきりに「なんでもすぐ醤油かけるのやめて、薄味で食べて」「食べたら少しでもいいから散歩してきて」
と、口うるさく身体に気を配っていた。

だけど、父は全然聞く耳をもたない。
まあ、少しは意識して減らしたり運動したりしているんだろうけど、言われないよりは多少はマシって程度。

そんなやり取りを見ていて、妻と外発的動機づけだけじゃ、人の行動変容は起こらないよね、という話になった。

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動機づけには内発的動機づけと、外発的動機づけというのがあります。

■内発的動機づけ
自分の中から物事への興味・関心が湧いてくる内面的な要因。

■外発的動機づけ

強制・懲罰・評価・報酬などが要因となる動機づけ。

もしも、ぼくが糖尿病なのに健康に気を使わない生活をしていたら、妻だったらどういうかな? という話になりました。

「わたしだったら、『あなたの身体だから、好きなものを食べて好きに生きればいいけど。その不摂生のせいで体調を崩したり病気になったりして、その面倒をわたしが見なくちゃいけなくなるのは無理。入院の手配、費用、その他もろもろ全ての責任を自分自身でまかなえるように準備した上で不摂生をすればいい。
でも、その責任が負えないんだったら、わたしに迷惑がかかるから健康であるための努力はしてほしい』
って、言うかな」

それを聞いて「そりゃ、そうだよなー」と。
ぼく自身、結婚をして子どもが生まれて、と家族が増えるたびに「自分の身体はもはや自分だけのものじゃない」という意識でいるので、言われるまでもなくその感覚ですが、改めてそう言われたとしたら大いに納得します。

「あなたのため」と言われるよりも、ストレートに「わたしのためにそうして欲しい」と言われたほうが、自分がどう行動するべきか考える気がします。

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ぼくは普段朝食を食べません。でも、母はぼくに朝食を食べさせたい。
だから帰省するたびに小うるさく「朝食を食べなさい」と言われ続けます。
「朝食を食べないと健康になれないから、あなたのためだから。子どもだっているんだから」と。

適当に聞き流して、結局食べないのですが、どう言えばぼくが朝食を食べるかな? というのも妻と検証しました。

「わたしは、たまに帰ってきた息子のために朝食を作ってあげたいの。普段食べないのは知ってるし、そうかもしれないけど、実家にいる間は美味しい朝食をつくるから、わたしのためにも食べて欲しい。みんなでそろって朝ごはんを食べたいから」

などと言われれば、別にNOとは言わないし、その朝食を全力で楽しむでしょう。でも、「あなたのため」と言われた途端「じゃ、食べない」となってしまう。

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こうした動機づけって、とても大切だなぁと思うのです。
「あなたのため」という言葉って、言い換えればその人の判断力や価値観を否定していると受け取られ兼ねない。
「あなたの判断は間違っている。わたしの判断のほうが正しいんだから従いなさい」とも言いかえることができる。少なくとも受け手にそう感じさせてしまうリスクはわりと高い。

だけど「わたしのためにそうして欲しいの」というのは、言われた側の自主的な判断を尊重することになります。言われた側がそうすることで、お願いした人を助けられるなら、そうしてみようかなと。

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自分の子どもへの声がけのときも、この視点って役立つと思うのです。
できるだけ「あなたのためだから」という言葉は言いたくないなって思います。自分のためになると思うかどうかは、自分で判断すればいいだけのことですから。

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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
妻とこうした話をずーっとしているのが、とにかく楽しいのです。
いつまで喋ってても喋り飽きることがない。久々にゆっくりじっくりと話をする時間が持ててよかったなぁ。
ぜひ、また見に来てください。

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