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(後編)ミャンマーに来て4年、社長退任します。

前編では、2018年に起業してから、ここまでの道のりを振り返りました。ここからは、激動の2021年、そしてなぜ今退任し、新たな挑戦を始めるかを書いていきたいと思います。

2021年『勝ち筋は見えた、攻めの時?』

2020年度を超え、会社の体制はある程度落ち着き、収益も安定、業務モデルも固まってきた。「今こそ、横展開だ!」と思っていたところで、クーデターが起こってしまった。治安は悪化し、移動の自由は制限され、コロナは悪化。想定しうる最悪の事態が次々に起こる。

僕たちも含め、これからのミャンマーの未来に希望を抱いていた人たちに絶望が降り注いだ。そんな中、去年4月に募集していた「次期経営者候補募集」に、旧知の仲である安田からラインが急に来た。「次期経営者、俺でもいい?」と。

願ったり叶ったりだった。採用は出しているものの、苦戦するだろうと思っていた。そんな時に、学生時代から志を共にし、一緒に社会を変えようと熱く語り合った彼からの連絡には胸が高鳴った。

彼自身も、ある有名なソーシャルベンチャーで海外事業統括として、ビジネスを作り上げてきた人間であったこともあり、即答でYES!と答えた。

そして、なんと彼はクーデターとコロナで次々にミャンマーから日本人が帰国する中、逆にミャンマーに乗り込んできた。そしてクーデター以降治安が悪化する中、ヤンゴンから12時間、タクシーでシャン州まで来てしまったのだ。

安田がジョインしたこともあり、クーデター下でありながらも、事業の成長は加速、早速5月にアグリセンター3号店をオープンし、来月にも4号店開店を控えている。サービス農村数は150村を超え、農家の数も5000人近くになった。

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クーデターとコロナで、以前に比べるとできることはかなり限られてしまった。しかし、これまで後回しにしていたことや、優先順位を下げていたことが、逆に重要になってきたりと、事業モデルをシフトすることで、確実にこの荒波を越えていけると信じている。


『新たな挑戦をする理由』

今回の決断に一番大きく影響を与えたのは2月に起こったクーデターだった。

2021年2月1日、クーデターが起こったその日、僕はタイの大企業CPのオフィスにいた。朝から電話、ネット、テレビ、すべてが遮断されていて、「もしかしてクーデター起こったんじゃないの?」なんて冗談を言いながらCPの小ぎれいなオフィスの階段を登っていた。

すると、CPの代表者から、クーデターがあったと聞かされ、笑い事ではない、でもきっと一時的なもので、すぐに元に戻るだろう。そんな風に楽観的に思っていた。

特に真剣に考えることなく、そのまま会議に入り、二時間ほど事業について熱く説明し、結果的に今後の事業成長の上で最も重要な業務提携が実現することになった。

あの日、僕たちにとっては成長のためのとても大きな一歩を踏み出したはず。でもその日を境に、この国の人々の未来に暗闇が差し込み始めた。

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ここからだ!と意気込んでいたメンバーたちも全員がデモに参加、会社は1ヶ月もぬけの殻になった。僕自身も何かできないかと、デモに行くメンバーの背中を全力でサポートした。

しかし、次第にデモに対する武力弾圧が強まり、デモは沈静化、デモに行くこともできなくなったメンバーたちは気持ちのやり場を失い、仕事をしても楽しくない日々が続くことになる。

あれ以来、毎月やっていた社員の誕生日会も、週末のフットサルも、何気ない会話も、少しずつ減っていった。

5月ごろからは、農業繁忙期に突入し、農家たちは農業をしないわけにはいかないので、自然とメンバーたちも忙しくなり、心の中では国の未来、自分たちの未来に不安を抱えながらも、毎日の業務に明け暮れる日々が始まった。

そこで思った。みんなが心の中で不安な時に、自分たちの未来が見えなくなってきているときに、社長である自分が一緒に暗くなってる場合じゃないと。

自分の仕事は、この4年間やってきたように、みんなが暗闇にいる時に、船頭としてわずかな光を見つけ、そこにみんなを導いていくことだ。

こんな時だからこそ、自分が先頭に立って「俺らの人生は終わってない!これからや!」そうみんなに見せてやりたい。そう思った。

それが、当初2022年と言っていた予定を前倒しし、クーデターにコロナ、国内紛争と混沌としたミャンマーで、今新たな挑戦を始める一番の理由だ。

「じゃあ、ボーダレスリンクはどうなるんだ。置いていくのか!」そんな声が飛んできそう。。でも、一つ席が空けば、メンバーにとっては一つチャンスになる。そして何より、ボーダレスリンク には信頼できる、ミャンマーの未来を背負うリーダー達がいる

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1年目の終わりに辞めずに残ってくれたメンバーたち、2年目の終わりに組織崩壊を経験し、僕にダメ出しをしてくれたメンバーたちは、今では会社のリーダーとして、それぞれのチームを引っ張ってくれている。

肥料運び担当から始まり、スケジュール管理も全くできず、パソコンにも触ったことがなかった初期のメンバーの一人は、今や7人を束ねるエリアリーダーに。

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あの時僕に一番厳しいダメ出しをした、当時入社1年目の新卒の若造は、今では10人以上のメンバーを引っ張る、頼りになるマネージャーに。

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「あなたのもとで仕事をしてると、悲しくなる時がある。」と入社2ヶ月で僕の目の前で泣きながら激怒した女の子は、新店舗開発のリーダーに。

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それぞれがそれぞれの場所で、意志を引き継ぎ、農家さんたちの生活を良くするため、日々立派に奮闘している。

「試してみないとわからない。」1年目から誰も経験したことがないことの連続で、僕が繰り返しみんなに伝えていた言葉。

どんな困難にぶつかっても、無理だと思っても、「やってみよう」そう思うための合言葉。

今では、各チームのリーダーたちが、メンバー達を引っ張るために言っていいる。

「最近になって、あの時のあの言葉の意味がわかるようになった。」「なぜあの時あそこまで厳しく言っていたのかが、やっと理解できた。」メンバーからそう言われることが増えた。

みんなが、それぞれにメンバーを抱え、自分のチームを動かすために必死になる中で、彼らが一人前のリーダーになってきた証拠だ。そんな風に思う。

そして、立派に成長した若いリーダー達を中心に、彼らのチームのメンバーたちも着実に成長してきている。彼らが安田とともに、全国1000店舗を展開し、ミャンマー中の農家さん3000万人にサービスを届ける日が待ち遠しい。


『これからの挑戦』

ここまでが、この4年間の軌跡と、なぜ退任するのかでした。ここからは、じゃあこれから何をするのか、詳細は次回にしますが、ここでも簡単に触れさせていただきます。

将来的に僕が作りたいのは、ボーダレスミャンマーというミャンマーの社会起業家達のためのプラットフォームです。

僕がボーダレスジャパンのサポートで事業をすることができたように、ミャンマーでも、「社会を変えたい、でもお金やノウハウはまだ足りていない。」そんな社会起業家達を応援するプラットフォームを作りたいんです。

そして、ミャンマーでソーシャルビジネスが1000個生まれる仕組みを創っていきます。

そうは言っても、社会起業家達をサポートするには、もっともっと投資に回せる資金と事業を創るノウハウが必要です。僕自身まだまだ経験も足りていません。

そこで、まずはもう一つ自分で事業を創ろうと考えています。難民となっている仲間達に雇用を創出するような事業を考えています。まだ事業プランは何も決まっていませんが、またモデルが出来上がれば、この場でご報告させてください!

今度の事業は1年で引き継ぎ、その後僕自身はプラットフォーム創りに力を入れたいと考えていますので、創業期から社長候補を立ててスタートできればいいなと思っています。

ミャンマーでソーシャルビジネスやりたいって言ってる人いるよ!みたいな方がいらっしゃれば、日本人、ミャンマー人、その多国籍問いませんので、ご連絡いただけると嬉しいです。


『感謝』

無茶をする僕をいつも暖かく見守り応援してくれた家族、プランニングからずっと伴走してくださったボーダレスグループ代表のボス、副代表の鈴木さん、時には慰めの言葉を、時には叱咤激励してれた本当の兄弟のように思えるボーダレスグループの社長達やメンバーのみんな、異国の地で心細い中、事業も個人的にもお世話になった現地で出会った皆さん、たくさんの機会とアイデアを下さった取引先やパートナー会社の皆さん、そしてボーダレスリンクの兄弟達、今まで本当に本当にありがとうございました。

僕自身も、ボーダレスリンクも新たな、チャレンジングな一歩を踏み出し、もっとでかく、もっとインパクトが出るよう成長していきます。新たな挑戦を始める僕たちを、引き続き応援いただけると嬉しいです。


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