vol.3. 僕がボーダレスジャパンで起業を決めた訳~

先週のVol.1のあとは、vol.2で難民キャンプに行ってなぜソーシャルビジネスの世界に入ったのかを書こうと思ってたんですが、今日のボーダレスジャパン創業者田口のオンラインイベントに参加して、どうしても「なぜ僕がボーダレスで起業する道を選んだのか」を書きたくなってしまったので、書きます。笑

何てったって、昨日のカンブリア宮殿を見た皆様、今日のボス(田口一成)のオンラインイベントに参加された方々、意味分りましたか?笑

社会起業家のプラットフォーム?社長が35人?売上54億?元じゃないですよ。円ですよ。

僕も正直入社を決めた5年前はかなり怪しい会社だと思ってました。いや、何なら入社して2ヶ月目くらいまでよく分かってませんでした。

家族は言わずもがな。新入社員研修でビジネスプランを発表し、副社長に「自己満だね」と言われてる姿がガイアの夜明けで放送され、印象は最悪。あれはテレビの切り取り方が悪かっただけで、本当は教育的観点に溢れた素晴らしいアドバイスの連続で、そのあとはみんなで楽しい歓迎会があったのに。。。笑

ということで、導入が長くなりましたが、今回は僕がなぜ自分で起業するのではなく、ボーダレスグループとして起業する道を選んだのか、を書いていきます。


ボーダレスの仕組み①株主配当

と、その前に、カンブリア宮殿でも言っていた、「株主配当を投資額以上に受け取らないと定款に書いてある」という話。これは本当の本当です。ボーダレスジャパンの創業者のボスも、鈴木さんも、投資額以上に配当は受け取らず、あくまでも給料しか受け取っていない。同様に、僕を含めボーダレスグループ35社の経営者全員が利益配当を受け取りません。

そう、ボーダレスジャパンも、僕のボーダレスリンク も、その他ボーダレスグループのすべての会社で創業者メリットがゼロなんです!もう一度言います、ゼロなんです!


ボーダレスの仕組み②起業の方法

「じゃあ、雇われ社長なんですか?」よく聞かれますが、それもちがいます。各社は完全に独立経営です。例えば僕の場合だと、2017年12月にミャンマーへ渡航し、ビジネスプランを書き始めました。ボスはアイデアマンとして、週1回ミーティングで事業プランのアイデアをもらいます。

3ヶ月ほどで、ビジネスプランは完成し、想定PLやCFも完成し、いける!となったタイミングで、当時20社くらいあったボーダレスの全社長を招集。1時間ほどオンラインで事業ピッチ。そのあと1時間ほど質疑で事業モデルの詰めが甘い部分や、懸念事項、改善アイデアをもらい、最後に決済。ボーダレスグループの重要な決定事項は、こうしてグループ社長全員で決定します。

詰めに詰めたプランと持ち前の自信と勢いで押し切り、事業は晴れて全会一致の承認。通常はこの後会社を登記し、銀行口座を作って、ボーダレスグループからの投資額が振り込まれ、事業スタートします(確かそう)。僕の場合は、すでに会社があったので、そのまま事業開始しましたが、その話はまた後で。


ボーダレスの仕組み③各社の関係

こうして晴れて事業がスタートすると、自分の収支予測に基づいて、自分や社員の給与を決めて、オフィス借りたり、必要なものを揃えて、ここから事業の押しボタンを見つけるまで仮説検証を繰り返していく。

僕の場合は、あまり連絡しないタイプなので、本当に困った時、アイデアが欲しい時、月に一回くらいかな、ボスや鈴木さん、他のグループ社長に連絡してアイデアをもらう。

あ、後ボーダレスにはMM会議というものがある。Monthly Meetingの略なのか、Monthy Management 会議なのかは忘れたけど、多分後者。前者だと月次会議会議になってしまいダサいので。これは、黒字化した会社の社長が4人一組に分かれて、月に一回経営課題の相談や、事業戦略のアイデア出しを行う取り組みで、三分の一くらいは組織の悩み、社長としての悩みを相談してたりする、心の拠り所、KYDだ。

ここから分かるように、ボーダレスグループには一切の「支配関係」がなく各社は完全独立なので、創業者の田口や鈴木を始め、誰かに「あーせーこーせー」と言われることは全くない。でも、社会を変えていくという本気の志を持つものが35人も集まってて、全員がファミリーだと思ってるので、おせっかいすぎるほどアドバイスや助け合い、叱咤激励をし合う。仲間だから。

「事業が失敗するとどうなるんですか?負債をかかえるんですか?」

これもよく聞かれますが、答えはNOです。代表ボスの口癖は、「起業家に必要なのは、挑戦する機会と失敗する機会」何度でも失敗し、また挑戦できる仕組み、それがボーダレスというプラットフォームです。トルコのある新規事業の事業停止が決まった時、社長グループのスレッドに流れたみんなのメッセージは、「お疲れ様!」「良いグループの学びになった」「次こそは成功させよう」などなど、前向きな応援メッセージばかりだったことからもよく分かる。

ボーダレスグループはこんなところです。なんとなくイメージできましたか?控えめに言って、素晴らしい仕組みです。社会問題の解決を目指す社会起業家にとってこれ以上のプラットフォームはないと思います。本当はSUS(スタートアップスタジオ)や、新卒RISE、ボーダレスアカデミーなどなど面白い取り組みがたくさんあるんですが、ぜひWEBをみてください。


僕がなぜボーダレスで起業したのか


今度こそなぜ僕がボーダレスで起業したのかについて書きます。

僕は2016年度の新卒起業家採用としてボーダレスに入社しました。ミャンマーのカレン民族のために事業をするために、経験と実力を最速で手に入れられる場所だと思い、ミャンマーでも事業をしているボーダレスジャパンを選びました。

「2年くらい働いて実力つけて自分でやろう」、入社4ヶ月目くらいまでそんな風に思っていました。自分の会社を作って、自分で好きにやって、自分でお金を稼いで、自分で結果をだす。「自分が、自分で、自分、自分、自分。」副社長の鈴木さんに言われた通り、「自己満」の塊でした。

そんな「自分まみれ」だった僕の考えが180度変わったのは、入社5ヶ月目の時でした。当時内戦が激化していたシリアから、あるシリア人女性が難民のための事業をしたいとボーダレスに入社。

学生時代から難民問題に取り組んでいた僕と2人で新規事業立ち上げをやっていました。3ヶ月に及ぶボスによるマンツーマンのプランニングの後、いよいよ現場検証ということでトルコへ出張することに。いわゆる「トモローボーダレス入社元年」です。勝手に呼んでます。

プランニングも大詰めに差し掛かり、そろそろ日本でできることはないなというので、現場に最終検証にいけば?ボスから声がかかったのは確か水曜日。

久しぶりの海外事業立ち上げということで、内戦が激化するシリアの隣国トルコに、ボーダレスジャパンの代表ボスと副代表鈴木さんが同行することに。千鳥のノブがそこに入れば、「どういうリスクヘッジじゃ」とツッコミを入れるであろう、ボーダレスにとって超危険な橋。護衛は、トモロー。なんと頼りない。

2人の都合があうのが、来週月曜日からしかない、らしい。ちょっと待て。5日後!何もアポ取れてない!社長と副社長連れて、1週間の長期出張。まだアポ0の水曜日夕刻。ただただパソコンのメール画面を見つめて祈ってた。飛行機の手配は普通はこういうのは新入社員がやるんだろうけど、ボスが全部やってくれた。笑

なんとか木金で来週分のアポをぎっしり入れ、いざ出発。最後の二日のアポは入ってなかったけど、行ったらなんとかなると思ってもう諦めた。

出発の朝、スーツにビーサンで福岡空港に到着。入社5ヶ月、若かった。ボスと合流し、両替所でドルに両替。「ボスが1万円くらいでいいなじゃない?」というので、騙されたと思って1万円だけ両替した。1週間の出張中、終始ボスと僕は鈴木さんにご馳走になる事態になるとは知らずに。その後飛行機に搭乗、座席はまさかの僕が前で、ボスが後ろの縦配席。トルコまでの数時間、後ろで新書を読むボスに遠慮して映画も見れずに過ごし、気づいたらトルコに到着していた。

トルコに到着した夜はイスタンブールでそのまま一泊。翌朝早朝の飛行機で、シリア国境のガジアンテップという、シリア国境すぐの街に飛行機で移動した。飛行機に乗った後、ボスと鈴木さんに今日のアポを説明。すると驚きの一言が。

「今回の営業、全部トモローにやってもらうから」

フランダースの犬のエンディングの音楽が頭を駆け巡る。。。営業資料は英語で全部作って持ってきてた。そう、ボスのために。到着まで1時間、音楽はアメリカドラマ24の時計を刻む音に変わり、営業の準備を死ぬ気でやった。日本からの飛行機、映画を見る隙を狙ってた自分をジャック・バウアーが殴る。

お昼頃、ガジアンテップ商工会議所に到着し、シリア難民起業支援担当の方と面会。左に鈴木さん、右にボスを従え、センタートモローが英語でスマッシュを打ち込む。引いたら負けやと思い、堂々とプレゼン。その時点で営業としては負けているのに。

一発目の面談は好感触。うまく協力してもらえそうな感じがしたが、営業としては最悪。ボスと鈴木さんの豪華なアドバイスを頂き、次に向かう。そして、次の面談で大番狂わせがあった。

次に会ったのはシリアから逃れてきた元経営者。再び僕らのプランを発表したところ、どうも感触が悪い。細かい話は割愛するが、持ってきたプランがはまらないことが分かった。

そこからがすごかった。事業モデルの修正につぐ修正。悲しんでいる暇なんか1秒もなく、社長田口と副社長鈴木はどんどん修正アイデアを出していく。これが、ボーダレスを創った男達か。鳥肌がたった。

出張を通して分かったことは、彼らの事業家としての圧倒的な力だけではなかった。それは、ボーダレスを創った2人の「思い」だった。

三日目の夜、ガジアンテップで夕飯を食べた後、ホテルの二階の薄暗いテラスで2人と膝を突き合わせ戦略会議をやった。その時、特に僕の心にのこったのは、事業戦略の話ではなかった。それは、「なぜボーダレスを創ったか」だ。

創業して間もないころ、毎日が減っていくキャッシュとの戦いだったこと。なんとか会社を持たせるために、社会的インパクトに直結しない仕事もたくさんしないといけなかったこと。事業を前に進めるためでなく、資金調達や、会計業務におわれ、事業戦略を描き実行する時間が取れなかったこと。そんな時間を、自分たちが「無駄に」した時間を、後から来る起業家に使って欲しくないと。

「社会起業家が、事業を前に進めることだけに集中できれば、社会はもっとはやく良くなる」

その言葉を聞いた時、自分が惨めに思えた。「自分で、自分が、自分、自分」自分でやることにこだわっていた僕。結局自己満であり、小欲に刈られていたんじゃないかと。この人たちは、本気で社会を変えようとしてる。口だけじゃない、利益配当も放棄し、自分のためではなく、未来の社会起業家のためを、社会を変えるためだけを考えている。

「この人たちと一緒に新しい世界を作りたい」「この人たちの理想を一緒に叶えたい」理想を語り、そしてそれを実践する2人のことをその時初めて理解し、僕の「ボーダレス元年」がスタートした。ボーダレス元年ってなんだ。


ガジアンテップでの調査は終わり、さらに国境に近い街へ。流石に緊張が高まった。シリア難民が大量に流出していた場所だ。トルコの空港の爆破テロから間もない時期で、いつ何かが起こっても不思議ではない。

ボスや鈴木さんには冗談で何度も「2人がテロで死んだらボーダレスは僕に任せてください」と言っていたけど、内心は本気だった。ボーダレスの仕組みは世界に広がらないといけない。世界が必要としてると。そのためには、何としても僕だけは生き残ろう、そう心に決めていた。それが、2人をこんな危険な場所に連れてきた僕の責任だと。。。冗談です。

とは言うものの、結局何事も起こらず、3人とも無事に帰国。帰国最終日に最後のトルコ飯を食ってやろうと馬鹿喰いしたトモロー1人だけが帰国後胃腸炎で三日ほど休んだが、無事代表、副代表を日本に連れ帰ることができたのでした。


これが、ボーダレスのリアルです。ボーダレスの仕組み自体が新しいので、なかなか理解できないかもしれません。実際に僕はボーダレスミャンマーというプラットフォームをつくる一歩目をミャンマーで今やっていますが、ほとんど理解されません。

でも、僕は胸を張ってこの仕組みを広げていきたいと思っています。きっとこれからボーダレスの仕組みを理解し、パートナーや仲間が増えていくと信じて。

それが、ボスや鈴木さんを始め、ボーダレスジャパンで僕を育ててくれた先輩社長達、事業を支えるスペシャリストの皆や同期、パートのママさんたちへの恩返しではなく、次の起業家への恩送りだから。


おしまい


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