折り紙の全体像
折り紙とは何か?
「折り紙って何ですか?」
日本人はおろか、ノースカロライナに住む人もヘルシンキに旅行する人も今時あまりしない質問だと思いますが、私の頭にはひょっこり顔を覗かせることが多いです。
しかし、折り紙に三つ指を立てて向き合うには、まずその人となりを知らねばなりません。
Wikipediaによれば、折り紙は「遊び」「作品or紙そのもの」であるとのこと。まあ、その通りですね。
「遊び」=折るというプロセス
「作品・紙」=折られた紙というアウトプット
と考えると、
「折り方・手順」=折るための情報というインプット
もおまけで折り紙に含んでしまってもいいのでしょうか?
折り方そのものも折り紙だとすれば、頭の中で折り方を考えたイメージも”形而上折り紙”なんてカッコいい(?)名前をつけてあげられそうです。
では、以上を踏まえて、折り紙は次の3つを含む概念であると仮定してみましょう。
なお、折り紙用紙を折っている様子が折り紙であるように、複数の要素が一緒くたになっていても、それは折り紙と言えます。
色々な折り紙
さて、頭を整理できたような、むしろより分からなくなった心持ちですが、本題に入りましょう。折り紙の要素を定義することは一応できましたが、これはあくまで折り紙であるものと、折り紙でないものを選り分ける基準でしかありません。
物理的にも概念的にも折るという行為をしておらず、折り紙用の紙も折られた紙も無い対象は折り紙でない、と言えるだけです。逆にそれ以外は全て折り紙であると言えます。
言葉遊びという名の概念操作にすぎませんが、これには大きな成果があります。それは、「折り紙という概念がとんでもなく広がった」ということです。私は胸を張って布を折ったものを折り紙と言い、頭の中で考えた折り方を折り紙と言い張れるのです。
以上をもって私は、およそ折り紙でなさそうな色々な折り紙を試みていくプロジェクトを立ち上げます。折り紙は何か、ということを知るため、折り紙でありそうでなさそうなもの、なさそうでありそうなものを作り続けることで、折り紙であるものとないものの境界を限りなく薄くしていくのです。
インテリアとしての折り紙
Outputとしての折り紙(以降O折り紙)は、千羽鶴として人に贈られたり、オブジェとして飾られたりすることがあります。私は素直に思うのですが、たいていのO折り紙は邪魔です。紙なので軽く、すぐ脆くなり、ゴミとなります。
そんな可哀想なO折り紙を鑑賞可能な形にする実験が、この「インテリアとしての折り紙」です。
作品リスト
折り紙によるライオン
折り紙による鹿
折り紙による植物
折り紙によるテーブルランプ
折り紙によるランプシェード
フィギュアとしての折り紙
TBD
ver0.5 2023/04/15
Tomoaki Hamanaka
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